秋田県秋田市の玄関口、秋田駅から、旭川に向かって歩くこと約20分。旭川に沿って広がるのは、東北屈指の繁華街・川反(かわばた)。
川反で明治初期から平成初期まで街の賑わいを支え続けた「川反芸者」たちの存在を迫ってみましょう。川反花柳界には最盛期、200名近くの芸者や舞妓が在籍していたといいます。
秋田初の女性代議士で、婦人運動の先駆者としても有名な和崎ハル氏が開設した芸妓学校では、芸者衆があらゆる勉学に勤しみました。そのため、秋田川反芸者衆の芸や教養のレベルは高く、秋田ならではのあたたかい人柄や容姿の端麗さなども加わって、多くの文化人や財界人に愛されたのです。
文豪・谷崎潤一郎氏は小説の中で、多彩で美しい川反芸者の姿を描写し「秋田美人」と表現しました。その後、多くの文豪が川反芸者を表現する言葉として「秋田美人」という言葉を使うようになったといいます。
今でこそ秋田の女性の容姿を一言で褒め上げるかのように使われがちな「秋田美人」という言葉は、実は本来、外見のみならず、おもてなしの精神と技量を持った芸者衆のことを言っていたのです。
秋田が誇る「川反芸者」の文化が復活
このように、「秋田美人」の言葉のルーツにもなったその素晴らしい文化ですが、平成初期に一度途絶えかけてしまいます。芸者衆の仕事場である「お座敷」の減少や後継者不足、高齢化などの原因で、川反で培われた美しい文化は空前の灯火となったのでした。
平成後期、地域の財界からの後押しもあり、このままこの文化を失うわけにはいかないと川反花柳界復活に向けた事業が始まります。秋田を元気にしたいと立ち上がった20代の女性起業家が中心となり、「あきた舞妓」「あきた芸者」が誕生しました。その後、秋田川反の元気を取り戻したいという想いに賛同した往年の川反芸者のお姐さんが若手の指導に参入。こうして、かつて川反で大切に守られてきた多くの踊りや心意気の糸が途切れることなく、次世代に繋がったのです。
あきた舞妓・あきた芸者のおもてなしとは
全国各地に存在する花柳界の見どころの一つに、ご当地ごとに異なる踊りや衣装の特徴を楽しむことが挙げられます。例えば、米どころ秋田の場合は、田植えや脱穀をする仕草が振り付けの中に見られたり、酒造りの工程を唄った歌詞があったり、手拭いを「あねさん被り」で頭に巻いて踊ったり…と、秋田の芸者衆だからこそのかわいらしさを楽しむのもおすすめ。
今回、あきた舞妓・あきた芸者の皆さんの考える「おもてなし」について、聞いてみました。
紫乃:
「秋田ならではの芸をお見せして楽しんでもらうのはもちろん、お客様が県外の方なら秋田の唄を覚えて帰ってもらうこともあります。そうすると、ふと思い出してまた秋田に行きたいな…と思いを馳せていただいたり、秋田で覚えた唄を周りの方に披露して思い出話に花を咲かせていただいたり。そこまでの楽しみまで含めてのおもてなし!そういったことをお姐さんから教わっています」
佳乃藤:
「そうですね。逆にお客様が秋田の方なら、秋田にこんなに素敵なものがあったんだ!と魅力を再発見してもらうきっかけになれるように努力しています。県内の方、県外の方それぞれの楽しみ方があるように思います」
緒叶羽:
「目の前にいるお客様が今何を求めているかを察して、それに沿えるように行動する。それがおもてなしなのかな?と思っています。例えば、この方はどこから来た方なのか、年代、趣味、初めて踊りを見る方なのか、踊りが好きな方なのか。少しお話しして情報を集めてその場で即座に判断して、最善を尽くしてあげることが大切とお姐さんからも教わっています」
時代に合わせた文化の継承
文化を継承する上で最も大切で、最も難しいのは、「時代に合わせて進化すること」と話す皆さん。困難に挑戦する皆さんの活動について伺いました。
緒叶羽:
「往年のお姐さん方の主な仕事場であった『お座敷』はもちろん大切に残しながら、観光で秋田を訪れる方や、子供たちや女性などにも気軽に秋田の芸能文化に触れていただける劇場公演も行っています。毎週土曜日の定期公演には県内外からのお客様がいらっしゃいます。最近は、修学旅行団の生徒さんたちもたくさんお見えになりますよ。生徒さんといえば、最近は学校のキャリア教育の授業の一環で、夢について語り合うワークショップなども行っています。他にも、オンラインツールを使った『オンラインお座敷』や、介護施設へのオンライン慰問サービスなども。…かつての大姐さん方がみんな生きていたら、びっくりされるかもしれません」
紫乃:
「本当、紹介しきれないぐらい、様々な形で文化を繋ぐ努力をしています。文化の継承の難しさで言うと、やはりコロナは川反の歴史に残る大事件です。この中で私たちがこの文化をさらに次の世代に継承できるかどうか、力量が試されている気がします。
継承者不足は今も悩みの一つですね。若い子にまずは知ってもらい、興味を持ってもらうこと。テレビに出たり、CMでネギを両手に持って圃場で踊ったり、SNSで花柳界の日常を発信したりもしています。私たちは日本の他の花柳界が着手しにくいことにどんどん挑戦できる恵まれた環境にあると思っています。それを強みに切り開いていきたいです」
佳乃藤:
「いいところはもちろん繋いでいくべきですが、時代にそぐわないことは見直して変えていく勇気も必要とみんなで話し合っています。時代に合っていなくても『昔からそうだから』という理由で続けていたら、いつかこの文化を途絶えさせてしまう可能性もあるかもしれない。昔からお姐さんたちが守ってきた想いや秋田の伝統文化が途絶えてしまうのが一番悲しいです。だからこそ、見極めも重要だと思っています。
全国的にこの悩みに直面している花柳界って本当に多いと思います。私たちは挑戦と進化に貪欲でいたいです。そういう意味で、大げさかもしれませんが、現代の新しい花柳界の先駆けになれれば嬉しいです」
真の「秋田美人」になるために
皆さんの考える「秋田美人」とはどのような存在なのでしょう?また、「秋田美人」になるためにどんな努力をしているのでしょうか?
紫乃:
「最低限、秋田の時事ニュースを頭に入れておく、秋田の観光の勉強をする、などのことはみんなのルーティンにできるように努めています。秋田のことを聞かれたら何でも答えられるようになりたい。お客様と思い出に残るいい会話ができるように日々の勉強は欠かしません。古い小説の中で、『川反芸者=秋田美人』とされていたのですが、肌の色が雪のように白いというのもまた表現されていたそうで、川反芸者として日焼け対策も徹底しています」
緒叶羽:
「秋田美人は、容姿の美しさだけではないと思っています。秋田への愛が強いことも秋田美人のポイントの一つ。いつもアンテナを高くし、秋田の情報をみんなと交換しています。それから、人として周りの人を大切にしたり、気遣いができたり、心も美しくなくてはいけません」
佳乃藤:
「人としての内面も含めて、秋田には素敵な人が多いので、そういった人たちを見習っていきたいです」
今後の夢
紫乃:
「目標は、川反花柳界の地方といえば「紫乃」の名が出るくらい皆さんに知ってほしい。そもそも現代日本において、長唄の三味線人口も少ないので、芸に関しては三味線に力をいれて頑張りたいです。
あとは、新しい子に入ってほしい!私たちの仕事に憧れ『素敵だな』と思ってもらいたいです。私もそう思ってこの世界に入ったので、そう思われるような仕事をしたいです」
緒叶羽:
「あきた舞妓としては、秋田の名産になりたいという夢があります。なまはげや秋田犬に負けないようになれたらと思います。
あとは県外、海外から『あきた舞妓に会いたいから秋田に行きたい』という人を増やして秋田の経済を回して地域に貢献できたら嬉しいです」
佳乃藤:
「もっといろんなことに挑戦したいです。踊りだけとか、演奏だけとかでなく、もちろん得意なことは持ちつつも、オールマイティでもありたいです。
そして、より女性が働きやすい花柳界にしていきたいです。職業柄、もちろん女性が多いですが、色々なライフイベントがあっても、夢を諦めて仕事を辞めることはもったいないので、長く働ける環境にしていきたいです。あまり外の方には言ったことがないかもしれませんが、私たちの共通目標が、『世界一幸せな舞妓事業をつくる』こと。舞妓・芸者たちだけでなく、お師匠様方、お客様、料亭さん、秋田川反花柳界に関わる全ての人が、幸せになれることを目指し、これからも全員で様々なことに挑戦していけたら嬉しいです」
「古い」はずなのに「新しい」、不思議な世界・秋田川反花柳界のごく一片をご紹介しました。知れば知るほどもっと知りたくなる秋田美人の秘密。いかがでしたでしょうか?
全国の花柳界がコロナ禍で苦しみましたが、これからはそれを乗り越えた分、以前より強くなって、益々各地の花柳界が発展していくことを祈っております。
観光で秋田を訪れる方にもぜひ秋田川反花柳界のおもてなしを体験していただきたいので、秋田市にご用の際は、ぜひお気軽に会いにいらしてみてはいがでしょうか。
文・写真:秋田川反芸妓連、(株)越中谷写真商会
リンク:
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