ローカルニッポン

繋がる小さな経済循環4 秘伝の「赤山渋」地域の民族文化

書き手:ミモデザイン
デザイン関連と写真関連、取材活動を行っている。
新井宿駅と地域まちづくり協議会会員。会のサイト運営者。

カキシブという言葉は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
しかし実際には「何に使われている?」とか、はたまた「健康食品?」などと実際のところ効果や実態はあまりよく知らない人が多いかもしれません。

カキシブは渋柿の青い実から作った液のことです。最近は実のなっている渋柿の木をこの地域で見かけることがなくなり、あまり馴染みのないものになりました。ところが昔は人々がとても重宝した暮らしにかかせない万能液だったのです。

当時地域でつくられたカキシブは赤山渋と呼ばれ貴重な地元の特産品として広く知られていました。
この地域でのカキシブづくりの発展は植木の産地として自然条件がよかったこと、見沼・芝川の水場が好条件だったということも起因なようで江戸時代から盛んに生産されていました。

今回は特産品だった赤山渋の魅力を広めている「新井宿駅と地域まちづくり協議会」の活動を紹介します。

特産品「赤山渋」

昔、渋柿の木があった地域の農家では、今でいう副業のような形で盛んにカキシブづくりをしていました。そのカキシブを「渋屋」と呼ばれる屋号の問屋が集め、川を渡って江戸に卸していたそうです。
「赤山渋」と呼ばれたカキシブは、それはそれは江戸の町で一級品として大そう高値で取引されたといいます。

その用途は幅広く、布、和紙の染料としてだけではなく、防腐剤、防水剤の役目を担っていて和傘や包装紙、渋うちわなどに使われていました。家を建てる際の木の防虫剤としても重宝されていて大工さんたちにもかかせないものだったそうです。
また民間薬としても利用され、やけど・しもやけ・二日酔いなど、万能な効果は人々の生活にとても役立っていたといいます。

昭和に入ると化学製品の登場で「赤山渋」は時代とともに衰退していきました。
手間暇をかける作業中心のカキシブづくりは現代にはそぐわないのでしょう。需要がなくなるとともに専門の問屋もなくなり、用途が無くなった渋柿の木も減少していきました。

たいそう貴重だった特産品「赤山渋」ですが、その作り方の記録というのがまったく残されておらず、残念ながらその存在は忘れ去られていました。

今では少なくなった渋柿(左上)千成渋柿 (左下)鶴の子柿(右)豆柿

今では少なくなった渋柿(左上)千成渋柿 (左下)鶴の子柿(右)豆柿

ある時、地元の長老が川口・神根の農家に渋柿の木があるのを見て、消えてしまった「赤山渋」を再現してみようかという提案をしました。緑豊かなこの地域には数百年の歴史を越えてきた柿の木が僅かに存在していたのです。この思いがけない瞬間が当時の赤山渋を蘇らせる第一歩になりました。

赤山渋づくりの取組みを始めたのは第1話で紹介の『新井宿駅と地域まちづくり協議会』のまちづくり活動をしている会員さんたちです。

カキシブづくりでまちづくり

カキシブは一般的に私たちが食す甘い柿ではつくることができません。豆柿・千成渋柿・つるっこなどのカキタンニンが多い品種を選び、未熟な実の状態で利用し良いカキシブづくりにつなげます。まずは柿の木探しと実の状態を確認することから始めたそうです。

「伝統的な赤山渋づくりを再現し、地域文化として残したい」という想いは渋柿の木と出会ったことから始まり、復元をスタートさせたのは10年前からになります。

新井宿駅と地域まちづくり協議会工芸部 (左)榎原加代子さん (右)井上二三世さん

新井宿駅と地域まちづくり協議会工芸部 (左)榎原加代子さん (右)井上二三世さん

赤山渋の中心的な活動をしている『新井宿駅と地域まちづくり協議会』工芸部の井上二三世さんに話を聞いてみました。

赤山渋を実際に作ってみようと思ったきっかけは何ですか。

井上さん:
「もともと地域の植物を使って草木染をしていました。「地域の植物」と「染める」という共通点もあり柿渋づくりにとても興味が湧きました。赤山渋のことを知っている人たちが過去の話にするのはもったいないと話しているのを聞いたので、まずは実際に自分たちで経験してみるのが一番良い方法だとおもい始めてみました。」

当時は何もない状態からはじめたと聞きました。苦労されたことはありますか。

井上さん:
「自然のものを使うということです。カキシブ用の柿の木を探すことは第一の課題。探したとしても渋柿の木が実をつけなければ原料を集めることすらできません。毎年実がなるとは限りませんので、自然との兼ね合いでした。たった一つの60年程前の地域の柿渋づくりの映像を元に見よう見まねで進めました。手探りで始めた作業だったので失敗は何度もありましたよ。」

作業場所は川口・神根の農家。樹齢200年ほどの渋柿の木があり、8月中旬ごろの柿もぎり作業から始めたといいます。青いままの実を使わないと良い渋が取れないので、時期を決めて作業に取り掛かったといいます。

川口・神根の農家で昔の道具を使いカキシブづくり

川口・神根の農家で昔の道具を使いカキシブづくり

工芸部の榎原加代子さんに作業工程を聞きました。

カキシブづくりで工夫したことなどありますか

榎原さん:
「できるだけ昔のやり方で行うということを基本にしました。
昔は見沼代用水を使っていたので漉して使いました。地域の水は水温・水質がカキシブに適していているので良い渋に仕上がります。井戸水・水道水でも試しましたが仕上がりがそれぞれ違います。

昔の農具も使ったりするので興味深かったです。固い柿をつぶすのに杵と臼を使ったり、絞り作業にはジャッキを使用。”つっぱさみ”という柿を挟んで取りやすくする道具は手作りしました。潰した渋柿を足で踏み発酵を促す作業など手作業が多いので時間はかかりますが、みんなで分担しながら進めるので楽しかったです。」

つぶした後は見沼代用水に1週間ほど浸け発酵を促します。発酵臭は強烈です。これだけは何回やっても慣れることができないと言います。しかし作業を行った手はツルツルになり、カキシブの美肌効果を実感できるそうです。

絞ったカキシブ液は最初の乳白色から何か月か寝かせると暗い橙色になり、年数がたてばたつほど熟成しカキシブ本来の効果を発揮するといいます。古いものは10年前のものから寝かせていてカキシブ効果も抜群だといいます。

井上さんたちはカキシブで染物、木工品など作品づくりも展開し販売もしています。独特の天然のカキシブ色が表現されとても素敵です。

柿の実がなれば毎年のようにカキシブづくりを続けてきた井上さんと榎原さん。
その10年間の経験を活かし地域で今「赤山渋」の魅力を伝える活動を始めています。

布・木工品・和紙の作品。右の瓶はカキシブ液。

布・木工品・和紙の作品。右の瓶はカキシブ液。

どんな活動を始めたのか井上さんに聞きました。

井上さん:
「地域イベントなどで「赤山渋」の展示会や地元の小学校でのワークショップなどです。
展示会では作品を展示しながら赤山渋の歴史と私たちが取り組んできたカキシブづくりを発表しています。地元小学校では作品作りをしました。子供たちはカキシブの強烈な臭いに「くさーい!」と言いながらも楽しそうに和紙のハガキを作っていたのが印象的でした。子供たちの笑顔を見て本当によかったなと思っています。」

自然原料のカキシブは環境にもカラダにも優しいエコ素材。安心して取り扱えるところも魅力です。コロナ禍で健康効果の話題にもなったカキシブ。井上さんたちは今後美肌・消臭効果のあるカキシブ石鹸を作ろうと企画中です。

試行錯誤で続けてきた地域の伝統文化赤山渋づくりの再現は大変だったといいます。
今「赤山渋」が地域の文化として広まってきたのは、井上さんたちの地域との繋がりと前向きに行動してきたことが土台になっていると思いました。これからも川口のひとつの文化として残し伝えていく活動を応援していきたいです。

「赤山渋」の展示会は定期的に開催しています。是非地域の伝統文化を知る機会にしてください。

次回は「木を活かす 木と暮らす」木で繋がる環境にやさしい取組みをご紹介します。

文・写真:ミモデザイン

リンク:
新井宿駅と地域まちづくり協議会