ローカルニッポン

ものづくりの町が旗印。挽物(ひきもの)木工の描く未来

本州の最西端である山口県下関市。その中ほどに位置する豊浦町は、なだらかな稜線を描く山々を背にして、目前に日本海を望むおだやかな町。山裾を滑り降りる風が心地よいこの場所に、小さいながら多くのファンを集める木工所があります。

大きな笑顔で出迎えてくれたのは、「ムクロジ木器」の辻翔平さん。辻さんは、ろくろを回して木を削る挽物(ひきもの)という技術で、木の器をつくっています。

七つの技術から成る、木工の世界

「木工七職」という言葉を聞いたことがありますか?
建築や造形において木材を主要な材料としてきた日本で、木の加工法を大きく7つに分類したことをあらわす言葉です。指物、刳物(くりもの)、彫物、曲物、箍物(たがもの)、編物、そして辻さんの取り組む挽物。木工は、古くから職人さんの領域が分かれており、この言葉からも専門性の高い世界であることがうかがえます。

辻さん:
「挽物は、もともとは漆の産地で発展した技術なんですよ。そういったところでは、木工職人は木地師(きじし)と呼ばれて、ひたすら木工をするんです。塗師が漆を塗り、蒔絵師が装飾して、やっとひとつの器が出来上がります」

完全分業制の世界。漆器に限らず、木工の名だたる産地はどこも、問屋・小売店・流通まで分業で、絶対的な物量をもって工芸を発展させてきました。

辻さんが木工所を構える下関市は、そういったいわゆる“産地”ではありません。
地域の人にとって、見慣れない挽物技術で次々と美しい器をつくりだす辻さんは、大きな体とチャーミングな人柄も手伝って、いつだって注目の的。

ろくろと刃物で、自在に曲線を描く。作業の傍ら、木くずが積みあがる様子もおもしろい

“産地”ではない場所で、職人になる

大学ではデザインを専攻し、インターンシップで訪ねた木工所で、はじめて挽物の技術にふれた辻さん。木の肌に刃があたって、シューッと音を立てて削れていく。木くずが舞ってなめらかな回転体ができあがる。見ているだけで、なんともいえない気持ちよさがあって、その印象は鮮烈でした。

実習を終えてからも、卒業までその木工所に通い続けるほどの熱量で、挽物職人への憧れは増すばかり。
「いつかは、木工職人として独立したい」。
卒業後、約5年のサラリーマン経験を経て、2015年に念願の独立を果たします。

辻さん:
「はじめは、木工の土壌がある、福岡県の大川市や糸島市での独立を考えていました。でも、第一子を授かったのがきっかけで、妻の実家がある山口県の下関市に移住することになったんです。自分の家族は転勤族だったから、子どもにはふるさとをつくってあげたくてね」

家族の縁で導かれるようにして決まった新天地は、歴史ある修禅寺があり、地域の人から「御嶽山(おだけさん)」の愛称で親しまれる狗留孫山(くるそんざん)のふもと。自然に恵まれ、昔ながらの風景が残る質実とした土地の雰囲気は、辻さんの目にとても好ましく映りました。

「ここに木工の文化がないなら、いちからブランディングしてみよう」、「ここでしかつくれないものをつくろう」。まっさらな状態から、木工職人として発起する。そのためには、この土地の自然や地域に寄り添うことが、辻さんにとって大切な作業になっていきます。

ちなみに、屋号である「ムクロジ木器」の「ムクロジ」は、最初に工房を構えた場所の地名から。

辻さん:
「漢字では、杢路子(むくろじ)と書くんですけど、分解すると『木工の路をゆく子』と読めるんです。この偶然はすごいでしょ(笑)。立ち上げは大変だったけれど、人にも恵まれて。ここで独立することの納得感は、いろいろとありましたね」

愛着の湧く“景色”を

器の、特に焼き物の表面に現れた様子を“景色”と呼ぶことがあります。模様や色合い、釉薬のたれ具合を見て、「いい景色ですね」などと表現するのです。木の器の場合の“景色”は、辻さん曰く“木目”そのもの。

辻さん:
「木がもともと綺麗だから、デザインは完成しているようなもの。だから、木の器をつくる時に考えるのは、ここの木目を選んで見せようとか、それをどの位置に持ってこようかってことだけです」

フォルムには、ある程度の必然性があるものの、木目や色合いの不可測な美しさには、感動させられることばかり。この木は削ったらどんな“景色”になるだろう。 あらゆる木材が、辻さんの探求心をくすぐります。

曲線が美しい木の器たち。「木目を見れば、いつの商品かすぐに分かる」と辻さん

挽物が、ろくろを回して、刃物を当てて、何度も何度も磨くようにして成型する技術だからでしょうか。削り出した器に対して、辻さん自身特別な思いを抱かずにはいられないよう。イベントに出店したり、個展を開いたり、お客さんの前に立つときには必ず、積極的に商品背景を語り、伝えています。

「この木目いいでしょ」、「この木は、山から運んでくるときに大変で…」。大切なのは、お客さんが、その商品を手に入れたときに、誰かに自慢したくなるようなストーリー。それを知ることで、人と商品の距離がぐっと縮まって、愛着が生まれてきます。商品が、誰かの特別なものに変わる瞬間です。

地域の木で、器をつくる

冬。12月から2月の期間、辻さんは、山師さんについて山に入ります。器の材料となる“雑木”を切って持ち帰るためです。

林業においては、建築や家具の材料になる木を用材と呼び、それに対して、“雑木”という言葉があります。用材にはならない、いろいろな木という意味。山を豊かに守るため、また用材の生育を促すための間伐作業であり、伐採した雑木のほとんどはウッドチップとして加工されるのが現状です。

辻さん:
「チップに活用するのは簡単だけど、木工職人としてどうにか活用できないかと思って。器にすれば、その木に価値を与えることができるでしょ。自伐型の林業の方と協力して、雑木を買い取って、『誰々さんちの山の木の器』みたいな商品があってもいいかなって」

林業と木工、山師と木地師がどんなふうに関わっていったらいいか、目下模索中。

辻さん:
「最初は、材料代がタダになるくらいに思っていたんだけど(笑)。実際木の器になるまでには、お金も時間も労力もものすごくかかるんですよ。まず、山から運び出すのが大変だし、作業も段階を踏まないと。削って置いてを繰り返して、出来上がりに3年くらいかかるかな」

器の商いが数物とはいえ、大量生産品ではありません。手仕事でつくっている誇りがあるし、木を山にとりに行くようになってからは、無駄にしてはいけないという気持ちも生まれてきました。

どんなに大変でも、今は山に入って地域の木で器をつくることが、「ムクロジ木器」のアイデンティティ。

木材に合わせて、方法を変え、道具もつくる。あれこれ試行錯誤の日々

今、特に注目して扱っている県産木は、クスノキ。下関の市木であり、地域の木を使うことを意識しはじめてから、積極的に使うようになりました。散孔材に分類されるクスノキは、水の通り道である導管が不規則に分布していて、ろくろで挽くと「繊維がねじりあっている」感覚があるそう。

辻さん:
「刃物が良く切れないと表面がガサガサになるし、ヤスリだけで整えようとすると薄くなったり、形が変わったりしてしまう。難しいけど、それがおもしろい。手のかかる木だけど、クスはね、色の表情が豊かでいいんですよ。こういう地域色のある器たちが、喜ばれると嬉しいですよね」

人に喜ばれる、プロダクトデザインを

制作活動だけでなく、オープンファクトリーの開催やイベント出店と、活動の場が広がって、今では大学の講師として教壇にも立っています。週に2回は、木工所を離れて、「辻先生」に。

授業では、木工実習を通して、デザインのプロセスや考え方を教えています。

辻さん:
「木工は、モデリングのひとつの技術に過ぎないので、大学で学ぶ上ではつくる工程や道具の扱いを正しく理解することが大事。あとは、『作品ではなくて商品をつくろう』ということをよく話しますね。デザインを通して、社会とつながることが大切です」

木工職人として独立する前は、家具の本場・福岡県大川市で、商社の営業マンをしていた辻さん。買い手の満足する価格帯はどこか、どんなものだったら嬉しいか。早くから商品計画の思考を鍛えることで、学生たちが好きで飛び込んだデザインの世界が、卒業後も続いていくことを願っています。

辻さん:
「その中で、ひとりでもふたりでも木工の路に進んでくれたらいいな。なりたい職業ランキングに、木工職人をいれることが、今いちばんの夢なんですよ」

ものづくりの町を目指して

ひとりではじめた「ムクロジ木器」も、縁あっていまは4人の共同体になりました。辻さんと、ともに制作してくれるメンバーが3人。木の香る工場では、いつも誰かがろくろを回しています。

辻さん:
「今の仲間は、スタッフを募集して集まったわけじゃなくて、木工職人として独立したいとか、木工の技術を習得したいとか、それぞれいきさつがあってご一緒することになった方々。みんな熱心で有難いし、教える立場になって自分も一層努力するようになりました」

「仲間同士でも負けとられん!」負けず嫌いの辻さんと、メンバーのしゅうごさん

辻さんがIターン移住のケースであることも手伝って、木工に限らず移住や新規出店の相談が舞い込むことも珍しくありません。ひとりふたりと仲間が集まって、この場所がいつか「ものづくりの町」と言われるようになったら…。出会いが加速して、そんな期待も湧いてきます。

辻さん:
「仲間がどんどん増えるのは嬉しい。でも、大きな流れや観光に消費されないように、ニッチな存在でもあり続けたい。職人とそれに共感してくれる人たちが集まって、無理なく、少しずつ、盛り上がっていけるといいですね」

挽物の時にイメージするのは、料理がのった器のイメージや、喜んでくれる人の顔

優しくて、あたたかみのある作風は、辻さんがろくろと対峙するときの真心そのもの。“産地”に頼らないことが、結果的に、強烈に人を惹きつける唯一無二のものづくりにつながったのかもしれません。

木工を中心として、地域にも未来にも広がりを見せていく辻さんの活動は、きっと多くの人を巻き込んで、前へ前へと進んでいく。笑顔あふれる「ものづくりの町」の景色は、地域のあたらしい旗印にも成り得るのだと思います。

文:藤井優子
写真:井上洋輔、辻翔平