佐賀県太良町は佐賀県と長崎県の県境に位置し、多良岳山系と有明海が一望できる自然豊かな町です。山の植物は四季折々変わり、海の干満差は日本一。訪れる度に様々な景色に魅せられます。今回はこの町の住民が主体となって取り組んでいる、山の未来の為の活動を紹介します。
生まれも育ちもずっと太良町の池田清哉さんは、一年を通して様々な方を相手に多良岳登山ボランティアガイドをしています。登山を始めたのは、数年前に多良岳の深い魅力を改めて知ってからだそうです。山に登るきっかけは何だったのでしょうか。
池田さん:
「元々は子どもが通っていた学校の『地元多良岳に登ろう』という授業がきっかけでね。子ども達以上に親がはまってしまった。それからというもの、山に登って帰ってくると元気になる。色んな方と出会って山について更に教えてもらえる。知らなかったことが沢山あったから、行く度に良い刺激になって、友達がたくさん増えたよ」
そんな池田さんが、登山ボランティアを行う頻度は多くて月に1回程度でしたが、最近では週に1、2回へと増えているようです。そのきっかけとなったのが「山の会議(仮)」。
山の会議(仮)とは
「山の会議(仮)」とは、佐賀県が中山間地域の活性化を目的に事業化をした、山を守り、残し、未来に伝えるために、みんなで語る場として設けた取り組みです。佐賀県の中山間地域を太良・鹿島ブロック、嬉野・武雄ブロック、脊振山系ブロック、離島・半島ブロックの4ブロックに選定し、ブロックごとに地域の方々を集め、地域のことを話し合う会議です。話し合いを進めていく中で、各地域の会議の名称を自分たちで創り上げてもらいたいという思いから名称に(仮)がついています。
始まったのは令和2年夏。最初は本当に何も決まっていなかったそうです。地域によってどのような会議が行われていたのでしょうか。担当している佐賀県地域交流部さが創生推進課主査の上滝寛記さんに聞いてみました。
上滝さん:
「例えば嬉野・武雄ブロックでは、山というテーマに限らず、様々な業種の横のつながりを持つきっかけとなりました。嬉野には温泉、お茶、焼き物等の観光資源がありますが、それぞれ独自での活動だったので、このように皆で集まって地域について話し合うことはなかったのです。一方、太良・鹿島ブロックでは、やはり太良町の歴史をつくったとも言われる多良岳について中心的に話し合いました」
行政主導ではなく、地域主体の「山の会議(仮)」を行う為、佐賀県が各地域に聞き取りを行っていたところ、地域の方から前述の池田さんの名前が上がり、太良・鹿島ブロックのキーパーソンとして上滝さんから声をかけられたそうです。初年度の期間は令和2年8月から令和3年の3月で、その間に4回会議が開催されました。毎回20人程度の参加者が集まり、多良岳を愛する会会長として参加した池田さんはじめ、太良町の地域住民の皆さんは、まず地域の現状や問題を話し合いました。
問題を話し合うはずが、気づいたら太良町の魅力ばかりを語り合っていたそうです。
そこで、「多良岳の良さを世界中の人に知ってもらいたい」という熱い想いと、「まずは地域の人が多良岳山系の良さを知る必要がある」という課題を掲げました。
その後行ったことは、多良岳や太良町についての勉強会、SNSを利用した多良岳登山の紹介、そして多良岳頂上の標柱づくりです。
多良岳に標柱をつくろう
実は多良岳の頂上には、標柱がありませんでした。登山において、頂上へ着いた時にはやはり標柱が欲しいものですよね。
「山の会議(仮)」太良・鹿島ブロックの池田さんは、上滝さん始め地元の様々な方と連携し、太良町内で標柱づくりに必要な木の調達、彫るための彫刻家探し等多くの協力者を集め「多良岳を愛する会」を発足し、令和3年10月から1ヶ月間、標柱をつくる為の募金を始めました。
池田さんの人望もあり、町内外あらゆる方々から募金を集めることができました。それにより立派な標柱を作り上げることができましたが、大変なのはこれから。重たい木の標柱を頂上まで持っていかないといけません。
令和3年11月6日、多良岳山頂へ標柱を設置する日に集まったのは、池田さんやメンバーの声かけ、チラシやSNSで情報を知り集まった方、太良高校野球部、金泉寺山小屋管理人メンバー、多良岳を愛する会メンバー等でなんと総勢70名。こんなにもの人が集まってくれるとは思わなかった池田さんは感無量だったようです。
バケツリレーのように標柱を渡して持ち上げて行き、標柱は標高996mの山頂へ設置されました。池田さんが山登りをする日はいつも必ず晴れるそうなのですが、この日だけは「清めの小雨」が降っていたそうです。
池田さん:
「山の会議を行って一番変わったと感じているのは、自分だと思うと。今まで色んな人へ山の案内をしよったけど、もっとしやすくなった。『実は佐賀県庁が応援してくれるとですよ』と言えば、皆一層関心を持ってくださる。登山ガイドの免許も取りたいなと思えたし、横のつながりを持てたこともよかったと」
もっと地元の人が語れるようになるべき。
こうして、池田さんによる登山ガイドはすっかり人気となり、一回連れて行ってもらった人達によって口伝えで良さが広まっていきます。観光協会や老健施設などを経由して、団体で案内することもあれば、個別に「もう一度連れて行って貰いたい」という依頼や、SNSを見て来たという方も。コロナ禍もあって登山者は増えたそうです。
人気となった池田さんのガイドは、どういった人たちに求められているのでしょうか。
上滝さん:
「こういう時って大体外の人、佐賀県以外の人達が行きたいって言って、地元の人達はなかなか行こうってならないじゃないですか。すごいのが、池田さんが案内しているのはほぼ地元の方が中心なんです。もちろん外から来られている方もいらっしゃるんですけど。それで、地元の人が色んな人達に語れるようになるんです。太良には多良岳っていうのがあるよって」
地域の他の山に登る機会もあるというお二人ですが、やはり多良岳が一番、心の拠り所となる場所のようです。お二人にお話を聞いた11月の多良岳のふもとは、ちょうどイチョウの木が綺麗な黄色に染まっていましたが、この美しさも多良岳の恵とのこと。
「全ては多良岳があってこそ」と、多良岳の魅力を語り出すと止まらないお二人です。
いかに子ども達にも楽しんでもらえるか。いかに安全に登って降りて帰ってこられるか、池田さんは日々試行錯誤しながら、山の魅力の伝え方を考えているそうです。
実際に私も一緒に登らせて頂きましたが、山の景色は歩くごとに変わり、空気も綺麗で、歩いていると本当に心身洗われているようです。楽しい、そして気持ちいい。また、池田さんが居てくれることで多良岳への理解が深まり、登山初心者にとっても大きな安心感があります。
楽しくてあっという間に着いた頂上には設置されて間もない美しい標柱が誇らしく立ち、頂上へ来た達成感がより高まるものでした。更に頂上から見える景色は佐賀県と長崎県の海や山々を一望できる絶景です。登山の一番の楽しさは、やっぱりこの頂上で味わう達成感があるからこそだと感じました。
多良岳の魅力発信がライフワーク
この活動を一区切り終えた感想と、今後の目標を聞かせていただきました。
上滝さん:
「標柱を設置した時、本当にホッとしたんですよね。一週間脱力みたいな。山の会議が始まって、本当に何もわからないまま、池田さんや色んな方に協力してもらって形を見せてもらいながら。標柱を設置するというのが、自分の中でも一つの形になったなと実感しています」
池田さん:
「おいは逆にね、スイッチが入ったんよ。まだまだこれからやなと本当に思った。そりゃもちろん達成感はあったけど、設置した瞬間『次、なんしよ、なんかせんばいかん』と思った。今後も、とにかく多良岳の素晴らしさをみなさんに発信し続けることが私の目標。目標というかライフワークたいね。今後とかじゃなくてずっと。好きでしよるけ、楽しかよ」
その後、「山の会議(仮)」の初年度に参加した4つのブロックは、タイトルである「山の会議(仮)」の(仮)が抜け、引き続きそれぞれのブロックで根付いた取り組みが行われています。令和3年度の「山の会議(仮)」では新たに吉野ヶ里・上峰・みやきブロックと伊万里ブロックの2つのブロックが追加されました。
各年度末には合同発表会を開催し、ブロックごとに1年の活動の成果や来年度に向けた方針等も発表されています。きっかけづくりを始めたのは佐賀県庁でしたが、地域主体の会議として定着し、地域内外のつながりを持てたことで、地域の皆さんの想いはより熱く、活動の幅が広がる機会になったはずです。今後の地域の取り組みがどのようなものになるのか楽しみです。
地元の人が地元に改めて目を向け、それぞれが自ずと魅力を語ることができれば、自分の住んでいる地域に誇りを持てます。それは地域活性化に最も必要なことなのかもしれません。
そんな活力溢れる地域の皆さんがいる太良町では、多良岳の自然の力に癒されることはもちろん、美しい海と山からつくられる様々な特産物の美味しさには驚きます。ぜひ訪れてみてください。
文:仁科友恵
写真:仁科友恵、池田清哉、福島扇子