ローカルニッポン

伝統は挑戦の繰り返し。甘木絞りが再び日の目をみるためのビジョン

書き手:齊藤千絵
福岡県うきは市出身。東京で働いたのち、福岡県柳川市に移住。ライターとして九州の食や産業に触れながら、九州のおいしいモノ・コトを発信するWebメディア「tellet.」を開始。食の現場を探訪する日々を送りつつ、各地の青パパイヤ生産者とともに+Pプロジェクトを推進中。好きな食べ物は天ぷら。

福岡県の中央部に位置する朝倉市秋月。山々に囲まれたこの地域は、かつては城下町として栄え、現在でもその風情が色濃く残っています。
自然と歴史が調和したこの地域に店舗兼アトリエを構えるのが、「日ノ目スタヂオ」の西村政俊さんです。西村さんは朝倉市の伝統工芸である絞り染め“甘木絞り”のブランド「hinome」を手掛けています。

Uターンするまで知らなかった故郷の伝統工芸

一連の作業を何度も繰り返すことで生まれる“ジャパンブルー”

一連の作業を何度も繰り返すことで生まれる“ジャパンブルー”

甘木絞りとは、他の絞り染め同様、布の一部を絞って染まらない部分を作り、染色後の濃淡により柄を生み出す技法です。染色・空気に触れさせる・水洗いを何度も繰り返すことによって、ジャパンブルーとも呼ばれる深く美しい藍色が現れます。甘木絞りは江戸時代から生産が盛んになり、絞り染めの生産額が全国一位になったこともあるそうです。西村さんはデザインから縫製、絞り、染めまで全て自身で行っています。

西村さん:
「面白いのが、一般的な絞り染めのような濃淡を活かした“柄”だけでなく、絞りによってモチーフやテーマを絵画的に表現する、というところです。地元にこんな伝統工芸があることを、戻ってくるまで知りませんでした」

専門学校を卒業後、福岡を離れ様々なファッション分野で働いてきた西村さん。その後2015年、福岡へUターンすることに。

西村さん:
「せっかく地元に戻るなら、と何気なく伝統工芸について調べた時に出会ったのが甘木絞りです。きっかけは些細なものでしたが、知っていくうちにとても興味がわきました。でも同時に、地元の方もほとんど知らない伝統工芸があることに、すごく可能性を感じたんです」

実際のところ、現状甘木絞りを生業として担っている方はほとんどいません。資料も少なく、情報自体がごくわずかだったそう。しかし、伝統工芸ということは、元々は産業として成り立っていたもの。甘木絞りが再び日の目をみることは可能なのではないか。伝統工芸の面白さと産業としての可能性を感じた西村さんの挑戦が、ここから始まります。

「知ってもらわなきゃ意味がない」

専門的に技術を習得し、2017年4月に「日ノ目スタヂオ」を立ち上げます。甘木絞りブランド「hinome」を同時にスタートし、さぁこれから!という時に起こったのが、九州北部豪雨。朝倉市は深刻な被害に遭いました。

西村さん:
「幸いなことに僕自身に被害はありませんでしたが、被害に遭った方、崩壊した家屋や道路を目の当たりにして、まずは朝倉市を何とかしなければ!という気持ちが大きかったです。正直、仕事どころではなかった。自分に何ができるかを考え、甘木絞りを施したチャリティーTシャツによる支援活動を実施しました」

西村さんは、当時はまだあまり認知されていなかったクラウドファンディングで支援を募りました。そのリターン品として、チャリティーTシャツを制作。様々なメディアに出演して呼びかけるなど、積極的に復興活動に取り組みました。
また、同じく被災地となった大分県日田市の伝統工芸「日田下駄」とのコラボ商品をリリースし、注目を集めました。

九州北部豪雨復興支援のためのチャリティーTシャツと、日田下駄とのコラボ商品

九州北部豪雨復興支援のためのチャリティーTシャツと、日田下駄とのコラボ商品

西村さん:
「まずは知ってもらわないと。なので復興支援もクラウドファンディングという手段を取りました。若い世代や情報に敏感な方に早く届いて欲しくて。甘木絞りも同じですよね。どれだけ良いもの、想いを込めたものでも、知ってもらわなきゃ意味がない。できることは何でもやろうと、知ってもらうための活動には制作と同じくらい力を入れています」

自身も朝倉市に甘木絞りという伝統工芸があることを知らなかったため、まずは地元の方、若い方に知ってもらいたいという西村さん。定期的に絞り染めのワークショップを行い、子供達や学生達と交流を深めています。また、朝倉市のフリーペーパーの制作に携わったり、神社とコラボしたお守りを作ったりと、この地域にいるからこそできる活動に取り組んでいます。同時に、日本各地で催事出店やイベントへの参加も積極的に行っています。

ワークショップやコラボアイテム制作など、知ってもらう機会を積極的に作っている

ワークショップやコラボアイテム制作など、知ってもらう機会を積極的に作っている

藍を育む。人を育む。

西村さん:
「今年から、本格的に藍の栽培を始める予定です。染料の藍は取り寄せたものを使っています。でも、甘木絞りが盛んに行われていた頃は、きっとこの地域でも藍を育てて染料にしていたはず。だったら自分もやってみようと思って」

昨年試験栽培した藍と現在育苗中の藍

昨年試験栽培した藍と現在育苗中の藍

昨年から藍の試験栽培を始めた西村さん。藍が上手く栽培できたとしても、染料として使用するためには乾燥や発酵、攪拌など、多くの手間と時間がかかります。環境により発酵の具合も変化するので、完璧な染料に仕上げるためには、まだまだ調整が必要。染料を完成させて、店舗でワークショップを開催できるようになるのが目標のひとつだそうです。

また、西村さんは「日ノ目スタヂオ」を営む傍ら、服飾専門学校の講師として教壇にも立っています。

西村さん:
「やっぱり、若い方にもっと知って欲しいですね。講師をしているのもそれが理由です。生徒達とコミュニケーションをとる中で、伝統工芸や甘木絞りについても触れてもらえる機会ができました。彼らが今後何かを選択していく上で、ヒントやきっかけになってくれればと思います。この他にも、大学で講義をしたり小学生に話す機会をいただいたりと、ありがたいです」

甘木絞りをよりカジュアルな存在に

元々、藍染めは庶民のもの。江戸時代、華やかなものを禁じられた庶民によって絞り染めは進化したともいえます。甘木絞りが再び産業として成り立つことができるかは、“当たり前にある存在” になれるかどうかだと西村さんは考えます。

西村さん:
「伝統工芸品と聞くと、アート作品のような印象を持つ方もいると思います。実際、販売価格も安くはありません。甘木絞りが産業として成り立っていけば、買う方も増えて働く方も増える。需要と供給の両方が増えれば、今よりも買いやすい価格で提供できる。もっとカジュアルな存在になることが、甘木絞りが再び日の目をみることに繋がると思っています」

これからの活動

西村さんはこれまで、無印良品 天神大名にて「hinome」アイテムの販売やポップアップ、ワークショップなどを実施しています。4~5月には、同会場でエキシビションも開催予定。

西村さん:
「まだ構想段階ですが、店内にタペストリーのようなものを設置したいなと。できれば子供達と一緒に作りたいなと考えています。僕にとっても、子供達にとっても良い思い出と経験になるんじゃないかと。とても楽しみです」

この取り組みも、知ってもらうための活動のひとつだそうです。制作から店舗運営に講師業など、様々な活動に勤しむ西村さん。動き続ける理由は何かと尋ねました。

西村さん:
「伝統工芸は、挑戦し続けないと廃れてしまうからです。色んなことに取り組んで、知ってもらい、実際に手にしてもらう。自分の性格もあると思いますが、甘木絞りの復興のためには、こうやっていくのが良いんじゃないかと。その繰り返しが伝統になるんじゃないかと思います」

西村さんの考える伝統とは

“伝統”はどうしても“伝承”と混同されてしまうそう。西村さんが2020年に制作した絵本『せめろ!でんとう!』によると、“伝承”は昔からあることを守り続けることであり、“伝統”は受け継がれてきた技や知恵を活かして、新しいことに挑戦し続けること。時代に合わせて常に変化していくものだそう。

縛っている糸をほどくと、あらかじめデザインされたモチーフが。甘木絞りの技が現れる場面

縛っている糸をほどくと、あらかじめデザインされたモチーフが。甘木絞りの技が現れる場面

西村さん:
「ファッションは、その時々で好まれるものが全く違います。その変化やニーズに、甘木絞りという技で応え続ける、というのが僕の考える伝統です。現状、甘木絞りを伝えられる方は減っているし、伝統としても薄まりつつあることに危機感を持っています。若い方に積極的に知ってもらおうと取り組むのも、そのためです。甘木絞りが今後も続いていくためには、時代に合わせて新しいことに挑戦して、進化していかなければならないと思います」

時代に合わせて挑戦し続けた結果が伝統となるならば、伝統は挑戦の繰り返し。伝統を体現するかのような西村さんの活動はこれからも続きます。
かつては一世を風靡した甘木絞り。産業として再び日の目をみるのは、挑戦し続けられるかどうかにかかっているのかもしれません。

文:齊藤千絵
写真:西村政俊・齊藤千絵

リンク:
日ノ目スタヂオHP