“せともの”発祥の地、愛知県瀬戸市。
良質な陶土が採れることから、1000年以上もずっと焼き物をつくり続けている産地です。まだまだ知られていないこの街を旅する拠点になったらいいなと、私たちは「Masukichi – hostel, cafe, souvenir, guide – 」という古民家宿を中心にした複合施設をはじめました。開業から7年間の試行錯誤の記録をお届けします。
街の日常を伝える場として、オープン
2018年7月に仮オープンした時の様子。
最初は「ゲストハウスますきち」という名前で、仮オープンしました。当初、やりたいこととして掲げたのは、街の日常を伝えること。
代表の南慎太郎が最初にこの地域で “おもしろいな”と感じたのは、焼き物はもちろん、その職人さんが多く暮らしていたことで栄えた商店街、力仕事の職人さんを支えた「うなぎ」「うどん」「ごもめし(五目ごはん)」「ホルモン」といった味が濃くてすぐに食べられる食文化でした。さらには、焼き物関係者が過ごしていた空き家に移り住む美術家が2017年頃から増えていたこともありました。「せともの」から派生した文化が日常に溶け込んでいる瀬戸の面白さはそうしたところに凝縮されています。
半世紀前までは「瀬戸へ行いかんでどこへ行く」と言われていたほど、焼き物の仕事があふれ、常にいろいろな人がやってきていました。商店街の老舗店主たちからは、その頃に培ったパワーみたいなものも感じられ、若い人たちの新たな事業にも興味津々。そこにも魅力が詰まっていると感じました。
最初は週末だけのオープン
初めて誕生した個室。4人部屋。
瀬戸で観光客向けの宿をつくるということは、かなり挑戦的なことだったので、開くのは週末だけにしました。そうすることで、民泊許可で営業が可能になり、大掛かりな工事をせず、DIY改装で何とか進めることもできました。いちばん最初は、ドミトリーと呼ばれる相部屋だけでスタートし、平日に改装を続け、少しずつ開放できるスペースを増やし、個室も2部屋つくりました。
そんななか、探し求めていたのが、窯元たちの情報。焼き物の産地ということをもっとダイレクトに感じられる場は、どこなんだろう?
2018年の南慎太郎(左)と「瀬戸本業窯」八代後継の水野雄介さん(右)。
最初に頼ったのは、約250年続く窯元「瀬戸本業窯」の八代後継・水野雄介さんでした。
工房が「窯垣の小径」という瀬戸の観光名所の先にあり、ギャラリーが併設され、訪れた方には、ご厚意で案内もされていました。(※現在は、「瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム[瀬戸民藝館]」をオープンして営業)
私たちの拠点を開業した当初から窯元を訪れたいという人が現れたときなど、たびたび相談にうかがいました。誰でも工房を訪ることができるチャンスといえば、工房が開放される年に1、2回しかないイベントの時です。ほかの窯元においても、そうした機会を逃さず訪れて挨拶を繰り返し、少しずつ知っていただけるようになりました。
コロナ禍で休業し、新たな挑戦へ
宿をはじめたばかりの頃、泊まってくださる方は知り合いがほとんどでした。けれども、月日を重ねるごとに、お客さまは知り合いの知り合い、さらに、まったく知らない方へと、変わっていきました。ところが、2020年に入ると、新型コロナウイルス感染症の猛威に巻き込まれ、予約が入らなくなりました。
ちょうどその時、私たちが運営する「ゲストハウスますきち」の大家さんとタッグを組み、陶芸教室の「CONERU nendo shop & space」を商店街に立ち上げようと店舗改装を進めていたものの、オープンのタイミングを失っていました。
「コネル陶芸大学 Zoom校」の様子
瀬戸・赤津地区で2013年に開窯した窯元「S U I Y O」代表・穴山大輔さんがそのことを知り、CONERUを拠点に、Zoomを使った焼き物の学校「コネル陶芸大学 Zoom校」を一緒にはじめないか? と誘ってくださいました。
穴山さんは、瀬戸の財産は焼き物を勉強しようとしている人たちであり、人が育たなかった場合、瀬戸という窯業地の衰退にもつながってしまうと考えたのです。また、毎日が無駄にならないように、きちんと同じ時刻に授業を受けることで、ルーティンをつくっていこう、という想いも込められていました。
焼き物関係の教育機関にも連絡し、準備期間わずか3日で授業をスタート。穴山さんが先生となり、焼き物の技術指導や器の価格のつけ方などを伝えたり、時に陶芸家や原型師、ギャラリーオーナーなどのゲストもお呼びしたりして、平日の毎朝9時から40分授業を行いました。
学校はすべてボランティアで運営し、この先どうなるかわからないなか1ヶ月以上続け、毎朝70名ほどが参加してくださいました。
2020年9月には、戦前から続く瀬戸市民の魂ともいえる陶器市「せともの祭」が中止に。街のみなさんが意気消沈するなか、何かできないかと、窯元の工房や商店を巡る、分散型のまちあるき企画として、「せとひとめぐり」を開催しました。
その時に「コネル陶芸大学 Zoom校」視聴者だった方々がボランティアとして運営に参加してくれたり、参加店舗としてともに動いてくれたりと、多くの協力が生まれました。
これら一連の動きで、焼き物関係者や商店のみなさんと、つながりができたと感じています。
[2022年]民泊から旅館業へ
2階の工事の様子。解体業者に依頼し、壁や天井などを解体しました。
一方で宿としては、コロナ禍に入る前からの傾向ではあったのですが、ドミトリー(相部屋)が“密”になるという観点から選ばれなくなっていました。そこで、収束後のことを考え、民泊から「旅館業」の簡易宿所に転換することを決断し、手付かずだった2階を改装して、個室を増やすことにしました。
とにかくコロナ禍は長かったので、ほかにも、カフェをはじめたり、出版社を立ち上げ、瀬戸の案内本『まちをあるく、瀬戸でつながる』を制作したり、オリジナルアイテムをつくったりしました。クラウドファンディングにも挑戦し、こうした挑戦を多くの方に応援していただくことで、なんとか形にできました。
2022年春、 “ゲストハウス”を卒業し、店名も「ゲストハウスますきち」から「ますきち -宿泊・喫茶・土産・案内-」となり、古民家の宿を拠点とした複合施設となりました。
瀬戸を伝える、土産店「ヒトツチ」を開業
Made in SETOの菓子や焼き物。
「ますきち -宿泊・喫茶・土産・案内-」をリニューアルオープンした翌年、今度は中心市街地にある商店街に、2023年4月、瀬戸を伝える土産店「ヒトツチ」をオープンしました。宿を営んでいるので、お土産があったらいいな、と思ったのです。
これまでは、瀬戸の魅力は人にあると思い、人の魅力を中心に発信してきましたが、今度は瀬戸焼や瀬戸の洋菓子店の菓子など、「もの」の魅力を伝え、さらに、お土産として受け取った人も瀬戸のことを知る。そんなことをイメージしました。けれども、実際の店舗経営は率直にいうと、難しかったです。単純に、モノを売ることへの力不足に加えて、焼き物が好きな人は産地を訪れたら、窯元へ行きたいし、直接買いたい、というすれ違い。
瀬戸では平日に個人や家族経営で焼き物の製造をしている関係者が多く、週末の案内が難しいからこそ、ここがハブになればという想いでしたが、発信の難しさを感じました。と同時に、ヒトツチを目的地として訪れる方が多いことに気づかされ、商店街に出店する意味を考えることになりました。
2024年の年末には「ヒトツチ」は閉店し、住宅街にある「ますきち-宿泊・喫茶・土産・案内-」に物販機能を統合することに決めました。この経験から、ものを売ることで生活されている窯元たちに、改めて尊敬の念をいだき、ひるがえって自分たちにできることは何か?と考えることとなりました。
海外のお客さまにも、瀬戸を伝えたい
2025年4月から本格的に、「ますきち-宿泊・喫茶・土産・案内-」の中に土産コーナーをつくり、週7日の営業に踏み切りました。さらに、同じ年の9月には「ますきち -宿泊・喫茶・土産・案内-」から「Masukichi – hostel, cafe, souvenir, guide – 」へと施設名を変更。
コロナ禍が落ち着くとともに、世の中の流れに加え、予約システムの「Airbnb」への登録、そして隣の長久手市にできた「ジブリパーク」を目的にする宿泊客の増加、さらには国際芸術祭「あいち2025」開催などの様々な要因から海外からのお客さまが急増したのです。
日々の変化に押し流されるような形でしたが、自分たちがやらなければいけないことのひとつが、見つかった気がしました。
「Masukichi TRAVEL」への挑戦
「無印良品」と共同で開いた現地イベントの様子。「加仙鉱山」にて。
また、この発表と同時に「Masukichi TRAVEL」という旅行代理店をはじめました。商店街のまちあるきなどは、イベントとして何度も開催していたのですが、さらに焼き物の産地を深掘りし、楽しむツアーを常時提供できるようにしていきたい、と考えました。
ご縁があり、2024年に無印良品 名古屋名鉄百貨店 Open MUJIで、企画展「土の声を聴く from瀬戸」を開催しました。デザイン事務所の「studio point」澤田剛秀さんにディレクターとして入っていただくことで、焼き物の産地としての原点である“土”を深く掘り下げ、伝えることができました。
その時に、澤田さんに相談しながら、「土をめぐる旅」と題して、土に焦点を当て、瀬戸の民間鉱山や窯元を案内する企画も実施。集まってくださったみなさんが、とても熱心で感受性豊かで、これからやっていきたいことは、これだ! と感じました(2025年も開催予定です)。
開業から7年の間に、窯元の工房に併設したギャラリーが誕生するなど、案内できる場所が少しずつ増えてきているので、そうしたガイドツアーにも力を入れていきたいと思っています。
まだまだ、訪問先のサポートをいただいて進めている状態ですが、ほかにないから、やってみる。常にその繰り返しです。
私たちは、瀬戸を有名な観光地にしたいわけではありません。
今の瀬戸という街がいいな、と思ってくれる人を増やしたい。これからも、瀬戸の旅に「あったらいいな」を形にしていきたいです。
文:南 未来
写真:南 未来、濱津和貴、狩野綾香(無印良品 名古屋名鉄百貨店)