前回の記事(光小屋プロジェクト ー未利用材の活用ー)では、「愛・地球博20祭」の一環として、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内に残る「光小屋」を舞台に展示した「光小屋プロジェクト」のコンセプトや理念を紹介しました。
本プロジェクトでは、愛知県の森林にある「うけぐち」「たんころ」「小径」などの山の未利用材を活用し、光小屋内にインスタレーションを制作しました。プロジェクト推進者である学生チームの私たちは制作にあたって、未利用材が生まれる背景と山の環境について実際に現地でレクチャーを受けました。
現代の日本の山は、管理が行き届かなくなってしまった過密人工林が増加し、山の環境が悪化しています。これらは川、海の環境悪化へとつながり、土砂崩れや花粉症、獣害などの問題へと発展します。実際に2000年に起きた東海豪雨では、土砂崩れを主な原因として豊田市街地が氾濫してしまうなど、山の環境悪化は私たちの生活に密接に関わっていることを思い知らされました。
これらを踏まえ、本プロジェクトではインスタレーションを通して山の未利用材の存在を体感してもらい、実際に山で起きている問題が自分たちの生活と関わっていることに気づいてもらうことを目的とし、活動してきました。
展示の成果と循環の実践
約2か月間の展示における最も大きな成果は、インスタレーションを通じてこれまで活用されることのなかった未利用材に光を当て、その存在価値と独特な造形美を可視化できた点です。主に使用したのは丸太から角材を製材する際に出てしまう「バタ」という未利用材で、これらを円柱状に並べ、直径約80cm、高さ約7mの大木に見立て、光小屋の中に生やしました。この大木を大きなシンボルとして中央に配置し、その周りには公園から借りた土と実際に山で拾ってきた「うけぐち」や「たんころ」などの未利用材を敷き詰めました。
これにより、私たちが実際に山で見学することで体感した山のにおいや土の踏み心地などが再現でき、光小屋の姿を五感で山を感じられるインスタレーションへと変えました。未利用材の見方を変えて素材としてのポテンシャルを発見し、インスタレーションへと再構成することで、多くの来場者に未利用材の存在を印象づけることができました。
展示の様子
また、展示が終了した後の有効活用の場として、シンボルである大木をその場でチップ化し、それらを愛・パーク(瀬戸万博記念公園)にある「EXPO100万本の森」にて、マルチング材として再活用しました。本来はすぐにチップ化されていた未利用材たちをインスタレーションへ活用し、展示後はまた自然へと戻す循環を実現できたことも大きな成果です。
チップでマルチングをする様子
約2か月という長い間、外で展示をしていた本プロジェクトですが、撤収の際には意外な発見がありました。それは、自分たちの配置したシンボルや土の中に、落ち葉、蜘蛛の巣、ゲジゲジ、カブトムシの幼虫などが入り込んでいたことです。インスタレーションとして人工的に作り出した自然が生態系の中に組み込まれ、まるでそこに最初からあったかのように変容した姿にはとても驚きました。この「人工的に作り出した自然が、生態系へ組み込まれる」現象は本来あるべき展示の仕方なのではないかと感じます。
私は美術大学に所属しており、周りには作品を作り、展示する学生と教員がたくさんいます。作品や展示の視覚的な美しさには目を見張るものがありますが、制作の過程や展示後に生まれた端材が、山のように積まれていることが少なくありません。これに対し、刹那的な作品、展示の美しさだけでなく、その前後の作品の姿まで、すべてが美しく組みあがった本プロジェクトは、自分の制作姿勢に大きな影響を与えてくれました。
撤収日の状態
光小屋から生まれる未来
本プロジェクトは学生のアイデアと企業の持つ専門的な技術(加工・製材のノウハウ)、行政の協力体制が円滑に機能し、今回のようなインスタレーションを実現できました。学生である私たちがイメージをスケッチや模型で表現し、共有することで、それぞれの立場が同じ方向に向き、制作を進めていくことができました。
イメージを現実化する過程で何度も議論を重ね、工場でシンボルの大木の原寸大の試作を見たとき、想像していた木の隙間から差し込む光がイメージ通りに再現され、「これはいける!」と確信した瞬間は今でも鮮明に覚えています。他にも高さ約7mの大木の設置や、山の再現のための土を公園から借りられたことなど、企業や県庁職員との協働があったからこそ実現できたものです。普段は個人制作が中心の大学生活ですが、多様な立場が連携することで大規模かつ完成度の高い作品を作り出せることを実感しました。
スケッチ(左)と試作(右)
今回、舞台となった光小屋で別の企画が生まれることももちろん喜ばしいですが、各地で光小屋プロジェクトのような「未利用材活用」のプロジェクトが生まれてほしいです。私たち学生は、レクチャーや山での実体験を通じて「山の課題を自分事として捉えるきっかけ」を得て、この未利用材を実際にどうやってインスタレーションへと昇華させるかを1年間考え、手を動かしてきました。
はじめは「未利用材」の存在すら知らなかった私たちが、実際に未利用材を活用しようと考え、動いたことで、よりその存在を身近に感じることができたのです。来場者の方やこの記事を見てくださった方も未利用材の存在を知ることに留まらず、実際に活用してくれることを切に願います。はじめは小さな活用方法でも、多様な活用方法が生まれ、社会全体が素材を余すことなくつかうことが当たり前になれば、「未利用材」という言葉すらなくなるかもしれません。私はそんな社会になるようにこれからも活動を続けていきたいです。
さいごに
今回の光小屋プロジェクトを通じて、私たちは「自然の中に位置する展示」という感覚を強く体感できました。展示空間をただの人工的な空間としてではなく自然の一部として捉えることで、私たちの介入が自然とどう関係しうるかを問い直し、インスタレーションという形で表現しました。
私たちは、自然の中に人間の活動を位置づけ、自然と共に変化していく存在として人間と山のあり方を捉えようとしたのです。展示の素材である未利用材は、山から拾い集められ、展示後には土へと還されました。このプロセスは、自然を支配するのではなく、自然の一部として“共に生きる”という姿勢を表していると言えるでしょう。展示空間に落ち葉や昆虫が入り込み、人工的に設置した木材が生態系に組み込まれていく様子は、自然と人間の境界が揺らぐ体験でもありました。
こうした“自然との共生”という思想は、実は光小屋が建つ愛・地球博記念公園の成り立ちとも深く関係しています。2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)は、当初「海上の森」と呼ばれる豊かな自然林を会場とする計画でした。しかし、オオタカの営巣が確認されたことや、自然保護団体・市民の強い反対を受けて、環境への影響を最小限に抑えるべく、既存の「愛知青少年公園」を活用する方針へと大きく舵が切られました。この決断は、自然を破壊するのではなく、すでにある自然と共に生きることを選んだ象徴的な出来事であり、「自然の叡智」をテーマに掲げた愛知万博の理念を体現するものでした。
この場所で、自然と人間の境界が揺らいだのは偶然ではなく、かつて自然との共生を選んだ愛知万博の理念が、この地に静かに息づいていたからかもしれません。
環境問題に対して、現代社会はしばしば「北風と太陽」でいう北風的なアプローチを取ります。マイクロプラスチック、獣害、地球温暖化などの問題に対して、規制や技術によって対抗しようとする姿勢は、問題を「敵」として捉える構図に近いものです。しかし、私たちはまず「自然の中で生活している存在であること」を再認識する必要があります。自然の循環の中から外れてしまった、あるいは人間の都合で外してしまった未利用材を見つけ出し、それに新たな価値を与えることは、循環型社会や循環経済の実現に向けた鍵となるのではないでしょうか。そのために、まずは身の回りの「未利用材」に気づくことが第一歩だと、私は考えます。
文:水野太貴
写真:新井亨、神藤萌子、水野太貴、柳澤そら