ひらみゆき農園は能登町の柳田という地域にあるブルーベリー農園です。ブルーベリーの生産から加工製造、販売、観光農園、キッチンカーの運営をしています。柳田は金沢から車で約2時間の、約130km離れた場所に位置し、能登半島の中でも海に面していない中山間地域です。
ブルーベリーの生産が始まったのは約40年前で、旧柳田村の特産品にするために、柳田で大切に育てられ、受け継がれてきました。
父の想いを受け継ぐということ
ひらみゆき農園の代表、平美由記さんは、2010年にお父様が亡くなられ農園を受け継ぎました。もともとは実家が所有していた久田という地域で栗山を管理し、栗をメインで出荷している農家だったそう。
平さん:
「旧柳田村時代に村おこしの一つでブルーベリー栽培をすることになり、私の祖父母がブルーベリーを育て始めました。その頃の旧柳田村は、ブルーベリーの生産がとても盛んな村でした。私も幼い頃から久田の父の農園を手伝っていて、毎年、ブルーベリーの収穫や発送の手伝いはしていましたが、栽培の経験は全然なく、父が亡くなって、山に通う人が誰もいなくなり、その父が守ってきた畑を荒らしたくない想いで受け継ぎました」
はじめは久田の山だけで栽培をし、お父様から受け継いで11年くらいは、他の仕事をしながら兼業でブルーベリー栽培を行っていたそうです。
収穫最盛期のブルーベリー農園
農家を受け継いで分かった“規格外”という課題
平さん:
「最初は、生のブルーベリーの生産と出荷のみ行っていました。ブルーベリーの木から実を取る段階で選別をしていきます。選別は3つに分けており、きれいな実はA品、柔らかすぎや少し赤い実はB品として加工品に使っています。それ以外はC品として染料の原料として使います。収穫した実を加工場に持っていき、さらに選別担当者が一粒ずつ、人の手と目で点検をしていきます。つまり、ブルーベリーを選別する時に絶対に“規格外”のものがでてきてしまうのです」
収穫したてのブルーベリー
平さん:
「選別されたA品のブルーベリーを1㎏、700g、200g、100gの規格サイズで、パックか発泡スチロールの箱に詰めるため、粒のサイズ分けはしていません。ただ、中には一つの畑で約1%しか取れない大粒(LLサイズ)のものがでてきて、宝探しみたいで見つけた時はテンションが上がって楽しいです」
いつも地域とつながっていられるモノ
平さん:
「自分の父の畑を荒らしたくない想いから始まりましたが、毎年たくさん出る規格外品の価値を生み出せずにいるのは私だけではなく、町で作っている人たちみんな一緒なんじゃないかなって。だから、規格外品がただ廃棄されるものではなくて、しっかり価値があるモノに生まれ変わらせたいと思いました。せっかくなら、“ブルーベリーを使って、いつも地域とつながっていられるものを作りたい”っていうところから始まって、最初にできたのがブルーベリーソースでした」
ブルーベリーをたっぷり使ったソース
ジレンマと生業にする覚悟
平さん:
「こうやっていろんなことを始めていったら、他の農家さんの助けにもなるなと思って。加工品を製造して、販売もして、仕入れも始めるようになって、段々と特産品としてのブルーベリー生産を続けたいと思い、自分の農園だけではなくて、産地としてのブルーベリーを守りたいと思いました」
現在のひらみゆき農園は、お父様から受け継いだ久田の5倍ほどの面積で規模感が大きく異なります。当時、久田も一人でやるには広大な面積でしたが、頑張って栽培をしても1人分の年間の稼ぎをその畑から生み出すことはできずにいました。平さんはこのまま10年同じことを繰り返していてもやりたいことに辿りつかないことは、容易に想像がつき、後継者として続けるためには、この農園が農業として生業になるモデルとなる必要があると思って、仕事を辞めたそうです。
ひらみゆき農園代表の平美由記さん
畑やってみんか?
平さん:
「仕事を辞めて、数か月が経った頃にある方から今の農園の場所で、『畑やってみんか』っていうお話をいただいて、じゃあやろうかなって。その時は、一人だったので、そこから人集めを始めました。柳田で農園をやるには、他にも人材が必要だと思いましたが、まずは形を決め、観光農園とブルーベリーが楽しめるカフェを考えました。ただ、観光農園の運営期間はたったの1か月なので、カフェを常設するよりも能登町のブルーベリーを広げるための広告車としてキッチンカーを走らせることにしました。そこから、人集めです」
人が人をつないで、ブルーベリー栽培が本格的なブルーベリー農園に成長をしていきます。
平さんがはじめにキッチンカーで販売したのは何でしょうか。
平さん:
「最初にピザ!って思って。ブルーベリーピザをやりたいから、先にピザ窯まで買ってフードコーディネーターの資格を持つ仲間に相談して…。そうしたら、『いや、スイーツじゃないか』って言われて、結局クレープになりました。だから、そのピザ窯を1回も使わずにいますけど…。まいっか、またいつか出番あるよねって。大切にしまってあります」
観光農園の運営とキッチンカーの商品が決まったら、次に決めたのは何でしょうか。
平さん:
「農園のお世話をしてくれる仲間を探しました。まずインターン生を募集しました。神戸の大学生が観光農園とキッチンカーの立ち上げに興味を持ってくれて、半年休学して来てくれました。ミッションは運営マニュアルづくり、SNS運営でしたが大活躍をしてくれました。また、農園管理者は前出のフードコーディネーターの方が声をかけてくれて農園の草刈りから始めてくれたのですが、ブルーベリーのおいしさを数値的に分析する等とても知識のある優秀な方でそのまま農園で働いてもらうことにしました。その後しばらく経った頃に、地域食材に関心のある若者が農業に興味があると声をかけてくれて、すぐに農園に遊びに来てもらうなどして、徐々に仲間を増やしていきました。それぞれ得意なものが違う人が集まってきてくれて、今の形ができました」
夢は、能登町からブルーベリーをなくさないこと
能登町は高齢化が進んだ町。さらに震災の影響で、働き盛り、子育て世代の若者が町からほとんどいなくなり、過疎化が進んでいます。おそらく、このままだと5年、10年後は、農園をやれる人材はいなくなるかもしれません。実際に現在、生産組合に入っている農家は約80軒(2025年8月現在)ですが、この先、生産組合自体が継続できるのかは不透明です。
消えないでほしい。特産品がなくなったら、町の特徴がなくなってしまう
平さん:
「この人たちが農家を辞めてしまったら、能登町はもうブルーベリーの町ではなくなります。だからと言って、私が一人で頑張っていてもダメで、やっぱりみんなで頑張っているからブルーベリーという特産品があると思っています」
他の特産品も同じような課題を抱えているのでしょうか。
平さん:
「今、能登町にある特産品は、ブルーベリーの他に、ブリや能登牛、イカ、赤崎いちごなどがあります。特に赤崎いちごはブルーベリーよりもさらに5年、10年先を行っていて、厳しい状況におかれています。後を追うようにブルーベリーも生産者が減ってきています。これから私たちの農園がたくさん人を雇えるように大きく成長し、若者が入ってきやすい形を作ることで町を巻き込み、能登町をブルーベリーで染められるのを目標にこれからも頑張っていきます」
このような課題は、どこの地域でも起こっていますよね。
平さん:
「田舎はどこもそうなっていると思います。能登は、他の地域より10年先に進んだって言われていますけど、たぶんもっと進んでいます。人口は増えない可能性が高いです。だから、どれだけ関係人口を増やしていけるかですね」
2拠点生活の場所として選ばれる場所になること
正直なところ、今の能登はインフラの整備に想定よりも時間を要するために、生活基盤を整えることすら不十分で人口流失が止まらず、高齢化が加速しています。この状況では、移住・定住を考えたとしても、この場所が好き、という想いだけでは超えられない難しさがあると感じます。
平さん:
「将来的には、シェアハウスなど誰でも気軽に過ごせる場所や泊まれる場所を作りたいと思っています。そうやって、能登以外から来る関係人口を増やして、能登町をもっと知ってもらえるきっかけになればと思っています」
人と人がつながる交流地点として活動が広がり続ける場所を能登町という地域で作ること。そのつながりを一つずつ積み重ねていくことも大切なこと。まずは、たくさんの方が能登町に足を運んでほしいですね。
文:高橋洋子
写真:和多朋子