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『無銭経済宣言』訳者が語る、ローカルに息づく豊かな「経済」とは/吉田奈緒子さん

千葉・南房総

DIY, オルタナティブ経済, コミュニティ経済

持続可能な地球環境や社会の実現に向けて、フリーエコノミー(無銭経済)運動を展開するアイルランド人のマーク・ボイル氏。1年間のお金を使わない実験生活をまとめた『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は19ヶ国で刊行され、大きな反響を呼びました。日本語版の訳者は、千葉県南房総市で半農半翻訳生活を営む吉田奈緒子さん。今年9月に第2作『無銭経済宣言 ― お金を使わずに生きる方法』が出版となった今、改めて著者の現代に投げかける問いについて吉田さんのお話と暮らしを通して考えてみたいと思います。

半自給暮らしを育む中、お金を使わず「豊かに」生きる実験に共感

  見渡す限り里山と田園が広がる南房総市丸山地区。小さな橋を渡ってすぐの、田んぼとひとつづきになった昔ながらの日本家屋が吉田さんの住まいです。4畳ほどもある広い玄関にピアノが置かれ、居間の壁を彩る多様な本の数々、足踏みミシンなど、静寂な田舎に文化的な時間がゆっくりと流れています。

南房総市丸山地区の風景

南房総市丸山地区の風景

“夫と2人で南房総に引っ越してきたのは2006年の夏です。その後徐々に米や野菜を自給できる割合が増え、目指していた暮らしが形になりかけた頃、前職でお世話になった編集者から翻訳のお誘いを受けたのが『ぼくはお金を使わずに生きることにした』でした。越してくる前から、ソフトウェアのマニュアルなど、産業翻訳と呼ばれる分野の仕事に従事していましたが、出版翻訳の経験はゼロ。私で務まるのかどうか最初は悩みましたね。”

吉田奈緒子さん

“しかし、編集者が見せてくれた『AERA』誌の記事で著者マーク・ボイルの実験を知り、その内容に驚いたことを思い出します。「お金を使わないで生き延びる」のではなく、むしろ「お金を使わないで豊かに生きる」方法を探求した独創的な実験です。早速原作を読んでみたところ、農村に残る文化や半自給暮らしの日常感覚に照らして「わかる、わかる」とうなずかされたり、時には「そこまでやるか」とあきれたり(笑)、これは多くの人に読んでもらう価値があると確信しました。”

貨幣経済を見つめ直し「経済」の本来の意味に立ち戻る

  マーク・ボイル氏がフリーエコノミー運動をはじめたのは2007年イギリスのブリストルにて。2008年から1年のお金を使わない実験を手記にまとめたあとも、その無銭生活があまりに充実していたことから延長し、計3年近くにおよぶ体験にもとづき発表したのが2作目の『無銭経済宣言』でした。

(本文より)
「極端なのは、地球上の栄えある生命を、採鉱、皆伐、トロール漁によって効率的に現金化できる資源の一覧表としか見ない世界観のほうだ。極端なのは、気がねなく隣人に助けを求めるどころか、近所にどんな人が住んでいるかすら知らない現実だ。極端なのは、空き部屋のある家があふれている地域で、路上に寝起きする人がいることだ。極端なのは、銀行にカネを返済するために、やりたくもない仕事をして人生をすごすことだ。」
(『無銭経済宣言』マーク・ボイル著/吉田奈緒子訳 紀伊國屋書店2017年)

吉田さんはマーク・ボイルの著書2点の他に、米国ユタ州で10年以上お金を使わずに洞窟で暮らしたダニエル・スエロについての本も翻訳し、現在はマーク・ボイルの3作目(写真左)に着手している

吉田さんはマーク・ボイルの著書2点の他に、米国ユタ州で10年以上お金を使わずに洞窟で暮らしたダニエル・スエロについての本も翻訳し、現在はマーク・ボイルの3作目(写真左)に着手している

“マーク・ボイルはもともと大学で経営や経済学を学び、有機食品を販売する企業で成績をあげていたビジネスマンでした。ある時、現代が抱える貧困や資源の枯渇、地球環境の破壊、児童労働といったグローバルな問題の根底には「お金」が潜んでいるとの考えに至ります。このまま有機食品を販売しているだけでは世界は変わらない。そこで学生時代に衝撃を受けたマハトマ・ガンディーの言葉「世界を変えたければ、まず自分がその変化になりなさい」に導かれ、貨幣経済に代わる「カネなし経済」の実践を自らはじめたのです。”

“彼は「経済」という語の使われ方にも疑問を呈します。現代の私たちは「経済」と聞くと「お金」を連想しませんか? しかし「経済」は日本語でも「世を治めて民を救う」を意味する「経世済民」がもとになっており、そもそも「エコノミー」の語源はギリシャ語の「オイコノミア(家政管理)」なんです。つまり「家族の暮らしに必要なものをいかに調達するか」を表します。お金のために働き、お金に苦しめられる人が大勢いる世の中は、本来の「経済」と逆転した状態にあるといえるでしょう。”

「おすそわけ」にみられる「ローカルな贈与経済」の本質

  さて、それではマーク・ボイル氏はどのような「経済」が将来の地球そして健全な社会のために必要だと考えているのでしょうか。この答えが「ローカルな贈与経済」と呼ばれるものです。

家の目の前にある田んぼと畑

家の目の前にある田んぼと畑

“「贈与経済」とは、モノやサービスを、明確で厳密な「交換」の形をとらずに無償で分かち合う経済です。マーク・ボイルはこれを「自然界の経済」とも呼んでおり、リンゴの木や、鳥、土壌微生物などの、ひたすら無条件に与え受け取る姿に範を求めています。地域で手に入る素材のみを利用し、コミュニティ内部の相互依存によって暮らしのあらゆるニーズを満たしていくのが「ローカルな贈与経済」なのです。”

“とはいえ何となく漠然としていて非現実的に思われるかもしれません。私が南房総に住むようになって肌で感じている「贈与経済」は、21世紀の今も色濃く残る「おすそわけ」の文化です。旬の野菜や果物など、自宅では食べきれない量を隣近所で分け合う習慣ですが、「おすそわけ」は「物々交換」とは異なります。もらった人が喜んでくれれば、あげた人もそれだけでうれしい。直接的な見返りを求めてするわけではありません。こうした行為は人と人の結びつきをもたらします。”

夫とともに、人々が本と出会い交流する野外ブック・マーケット「あわぶっく市」を開催する

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“もう一つ「ローカルな贈与経済」の意義は、お金まかせにしていた物事を自分の手に取り戻せる点にあると思います。お金で買うと、モノができあがる工程を知らずにすんでしまう。私たちも米や野菜を作ってみてはじめて知ることばかりでした。しかし、これがまた面白い。自らの体と頭を動かせば、何にも代えがたい発見と喜びが得られます。”

歩くペースで、納得いくペースで暮らすこと

  紀伊國屋書店で5年勤務してから、イギリスの大学で修士課程を修め、帰国後は出版社等を経て、在宅で翻訳の仕事をしていた吉田さん。結婚して借りた神奈川県藤沢市の一軒家で野菜づくりをはじめ、理想とする暮らしを実現するため南房総に移住しました。

シェイクスピアの時代の建物やシアターホールが立ち並ぶ丸山地区の道の駅「ローズマリー公園」は、音楽仲間とセッションするスポット

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“高校生のときから東京の満員電車が苦痛でたまりませんでした。新卒で就職はしたけれど、このまま一生電車に乗って勤め人を続けるなんてできないなぁと。学生時代に尊敬する文化人類学の先生に勧められた『歩く速度で暮らす』(槌田劭著)という本の「お金に負けない農的暮らし」というフレーズがずっと心に残っていました。狭いアパートに高い家賃を払って、食べるためにお金を稼ぐ毎日。そんなまわりくどいことをするくらいなら自分で食べ物をつくればいいのでは? この思いが日に日に強くなっていきました。”

“南房総に移住した当初は、野菜の自給しか頭になかったのですが、農的暮らしの実践者が集う「三芳自然塾」(現在は閉塾)と出会って一気に交流が広がり、先輩方のおかげで田んぼもつくれるようになりました。子どもの頃はピアノを習っていましたが、藤沢時代に自己流で弾きはじめたコンサーティーナ(小型の手風琴)。こちらに来てからも、好きなアイルランド音楽を一緒に演奏する仲間に恵まれ、音楽のある暮らしにもとても満足しています。食や遊びが近場でまかなえると、お金のためにあくせくする必要が小さくなるのです。これからもなるべくお金に頼らずに、納得いくペースで暮らしを楽しんでいきたいですね。”

吉田さんが愛用するコンサーティーナ

吉田さんが愛用するコンサーティーナ

  今や、衣食住や医療、老後の安心、インフラ、行政サービスなどあらゆる角度から現代人の生活に介在しているのが「お金」です。もちろん「お金」が商品やサービスの発展に寄与したことは紛れもない事実ですが、その一方お金が可能にしたグローバルな大量生産、大量消費の社会は労働の搾取や資源の枯渇をまねき、このままでは近い将来人類が地球で生きられなくなるという警告が世界中で議論されていることも確かです。
  そんな現代において、『無銭経済宣言』でマーク・ボイル氏が提起する「ローカルな贈与経済」や吉田さんが実践する半農生活は、豊かさを考える人々にとって多くのヒントに溢れています。モノを売買することに含まれる貨幣経済の本質を知った上で、各人のできることから行動に移すことが大切なのではないのでしょうか。その意味でローカルには、自分らしい暮らしを開拓する余地があります。今後ますますローカルから未来の暮らしや「経済」が生まれていくことを願います。

(文:東 洋平)