海を渡ったアワビ漁師達 1 -南房総とモントレーの地域国際交流
千葉県南部の南房総と、太平洋を越えてほぼ同緯度にある米国カリフォルニア州モントレー。「万祝をめぐる人々 2」では、1900年代に南房総からモントレーに渡ったアワビ漁師達が大漁の祝いに配ったとされる「モントレー万祝」を鴨川の染物屋鈴木幸祐さんが復元するというプロジェクトが実現したことをお伝えしました。この記事の公開直後に、8年ぶりともなるモントレーからの一行が来日し南房総を巡るツアーが行われたため同行したところ、モントレーとのつながりが更に浮かび上がってきました。万祝を手がかりに踏み込んだ南房総とモントレーの関係について、全2回にわけてお届けしたいと思います。
南房総の地元案内人による特別ツアー
ツアー参加者は33名。5/16~5/31までの約2週間、南房総を中心として東京~東北、北海道まで北上する長距離ツアーです。取材は万祝工房を見学する来日4日目に同行しましたが、南房総での全日程は以下の通り。
5/18 布良地域(青木繁記念碑、小谷家住宅等)、館山市長表敬訪問、赤山地下壕等の戦争遺跡
5/19 館山城、館山市博物館(万祝見学)→菱川師宣記念館または鋸山→南房総市長表敬訪問
5/20 外房捕鯨訪問(※)→鈴染万祝工房→大山千枚田→亀田酒造
5/21 ワンデイホストプログラム
太平洋戦争中の戦争遺跡、青木繁が滞在し「海の幸」を描いた小谷家住宅、また現役の海女や漁業者を訪問するなど、内容に溢れたツアーを組み立てるのは館山市で英会話スクールを運営する溝口かおりさん。地元館山出身で米国の大学を卒業し日本に帰り、故郷で国際交流や文化振興にあたっています。
“1998年以降南房総からは1年おき、延べ9回もモントレーに行ってるんですよ。いく度にモントレーの方々にとてもお世話になりました。今年南房総へ皆さんが来てくださったのは、円安も少し関係してますが(笑)、戦後70年という節目であり前々からお互い企画していたのです。そもそもこの2地域の往来は、1997年に最初にライドン教授がツアーを組んでこちらを訪問して以来、戦後60年だった2005年をピークに、交流としても18年になりますからね。”
南房総から渡米し、1900年代米国にてアワビ漁を始めた小谷源之助の母船にちなんで「オーシャンクイーン」と名付けられたこの交流は、1997年以来今回を含めて13回のツアーが企画され、双方の地元の人々によって運営されてきました。今年は終戦から70年。南房総とモントレーの交流には終戦と何か関わりがあるのでしょうか?
※南房総市和田町では政府から許可を受けて小型沿岸捕鯨が行われています。今回のツアーでは同町の捕鯨関係者と米国側参加者との間での捕鯨についての意見交換も行われました。
ライドン教授の来日で起きた奇跡
モントレー側でツアーを企画するのはカリフォルニア州カブリオ大学名誉教授サンディ・ライドンさん。実は、この方が南房総とモントレーに現代における交流のきっかけを与え、溝口さんらと共にこれを支え育んできた立役者です。
“大学で日系アメリカ人史を調べていた私は、どうしても「コダニファミリー」の故郷を自分の目で確かめたくなり、1995年に千倉町を訪れました。その時に通訳をしてくれたのが溝口さんです。日本でもこの関係を調べている人がいること、また多くの資料が残っていることに驚きましたが、中でも旧安房博物館に眠っていた「モントレー万祝」が発見された時の感動は忘れられません。”
20世紀初頭に、南房総のアワビ漁をカリフォルニア州モントレーに持ち込んで一大産業を生み出したのは小谷源之助とその弟の小谷仲治郎。ポイントロボスと呼ばれる小さな岬にA.M.アレンをパートナーとして始まったアワビ事業は30年に渡り大成功を収め、地域に繁栄をもたらしました。その功績から1994年には小谷らが住んだ地が米国から正式に「コダニ・ビレッジ」と命名されるに至るのです。(詳しくは次回の記事をご覧ください)
モントレー地域の日系アメリカ人の歴史を研究していたライドン教授は、このコダニファミリーの出身となる南房総を訪れ、小谷家を調べる日本の関係者らとの親睦を結ぶと共に、旧安房博物館にて学芸員と調査を進める中で「モントレー」と描かれた万祝を発見します。このことからモントレー海事博物館との博物館相互の交流が始まり、2012年には「モントレー万祝」を復元することになりました。
戦争により途絶えた交流が再び
“「コダニファミリー」から始まった南房総とモントレーの関係は太平洋戦争で一時中断を余儀なくされましたが、「モントレー万祝」はじめ両国に残る資料とこれを伝える人々は再び私達を結んでくれました。国際社会が複雑な問題をはらむ中で最も大事なことは、私達が住む土地について歴史や文化、そして暮らしをお互いによく知ること。アワビが日米平和交流のシンボルとなり、この絆が続いていくことを願っています。”
太平洋戦争が始まると日系人に対する強制収容が実施され、モントレーでも日系社会は崩壊、戦後日系人によるアワビ漁が再開されることはありませんでした。戦争で大部分の資料が消え去ったにも関わらず、外務省に残る入国証や数少ない資料、そして子孫の肉声からアワビダイバー達の足跡を追った両地域の研究者の尽力によって、南房総とモントレーを繋いだ彼らの姿が明らかになりました。
2005年には両地域交流が正式に再開 翌年海女がカリフォルニアへ
さて、1995年にライドン教授が来日してから徐々に気運が高まり、10年後の2005年に『虹のかけ橋海ほたるとアワビがむすぶ日米交流』と題して、当時の千葉県知事堂本暁子さんとライドン教授による日米対談を含むシンポジウムが実現しました。これに伴いカリフォルニア州州務長官およびサンタクルース市長から友好宣言が寄せられるなどして正式に始まった国際地域交流。
その翌年には、モントレーにてアワビの祭典『コンバージェンス2006』が催され、ライドン教授たっての希望から南房総白浜の現役海女2人が「コダニファミリー」ゆかりの岬ポイントロボスの海に潜り、房州のアワビ漁を実演するというニュースが地元紙を賑わせます。これに2人の通訳として同行した白浜在住山口恵子さんは当時を振り返って次のように語ります。
“初の海外旅行だという心配も何処吹く風といった感じで(笑)、いつもと変わりなく振る舞い大舞台で対談し実演する彼女達をみて尊敬しました。海女さんて特殊な仕事で、よく「海女はいつも笑ってないと」っていうんです。自然の厳しさの中での磯漁であり、心配事を抱いて潜ると事故に遭うという言い伝えもあるそうで。こうした精神的な文化のもと、伝統職に日々向き合う人々に脚光があたる素晴らしい機会だったと思います。”
サンフランシスコ「フィッシャーマンズワーフ」の大きなカニの看板を見て「恵子ちゃん~、こらーおら方でいう、がにんま(カニ)だぁなー」と叫ぶ、といった珍場面もチラホラという海女の渡米記は、山口さんがオーシャンクイーンのブログに寄稿した「海女さんカリフォルニアに行く」でも楽しく回想することができます。
この実演をきっかけとして2007年にはモントレーから来た参加者がアワビ漁を体験するなど、毎回双方の工夫で有意義な交流を実現してきた「オーシャンクイーン」の企画ですが、今回は戦後70年も関係して、平和について改めて考えるツアーともなりました。国境を越えて地域が繋がり、お互いの歴史や文化を背景とした暮らしを理解する機会は、かけがえのない平和の礎となることでしょう。今後もこの地域間に限らず広がっていくと良いですね。
「海を渡ったアワビ漁師達」、次回は「コダニファミリー」に纏わる歴史的な秘話についてこれを伝える人々と共にお伝えしたいと思います。どうぞお楽しみに。
文:東 洋平