鴨川の宝と誇りを次世代に/大山寺修復を目指す会
鴨川市の大山といえば、日本棚田百選に選定されている「大山千枚田」も有名ですが、山の中腹に鎮座する大山寺は、古くから鴨川全域の農民そして漁民たちによって信仰されてきた由緒ある古刹。相模(伊勢原市)の大山と同様に良弁僧正による創設は奈良時代(742年)に遡ると伝えられ、江戸時代(1802年)の修復時には、「波を彫らせたら天下一」初代伊八が正面階段の天井に「竜二態・波・雲」を製作しました。しかし実はこの大山寺、幽玄な姿の影で老朽化が切実な問題となっています。近年厨子にまつわる新たな文化財としての評価に注目が集まる中、修復へ本格的に取り組みが始まったのは今年の4月。大山寺を守り継ぐ人々の思いと取り組みに迫りたいと思います。
檀家のいないみんなのお寺
大山寺に登ると、まず印象的なのはその眺望。北は清澄、南は嶺岡山系に挟まれた長狭平野が見事に広がり、はるか先には鴨川市中心街や太平洋岸を望むことができます。鴨川市の西端に位置する大山からほぼ真東を向いて佇む大山寺は、あたかも鴨川市全体を見守るようにして建造されているのです。
住職金本拓士さん:
“このお寺は、修験道のお寺だったこともあって、檀家がいないんです。一般的にお寺は檀家さんによって代々守られているわけなんですが、大山寺の場合は特殊で、いわば鴨川全体が信者といいますか。大山から流れ出る水は長狭平野を潤し、漁民は大山を目印に海上交通を行ってきたことから、豊穣祈願と海上安全を祈願するため、鴨川全体が信仰してきたことで守られてきたお寺なんですよ。”
修験道とは、修験者が山に籠って厳しい修行を行うことにより悟りを得ることを目的とした山岳信仰と仏教の混淆した宗教で、檀家の葬式や法要を執り行う多くの仏教寺院とは異なり檀家を持ちません。それでも大山寺が歴代の武将に庇護され、鴨川全体の信仰を集めてきたことには、この立地環境が強く関係していると推測されます。
修復の道筋を示すこと
会長:小川直男さん:
“ところが時代の流れとともに段々と信仰心が薄れ、農業や漁業で生計を立てる人が少なくなると、緩やかに鴨川全域で守ってきた大山寺の維持が困難になりました。つまり元の檀家のいないお寺に戻ってしまったわけです。大体お寺は200年に一度は修復が必要ですが、前回1802年からすでに200年が過ぎている今、建物の傷みが限界にきています。私ももう先が短いので、せめて修復の方向性だけでも指し示さねばならない、そんな気持ちから発会に踏み切りました。”
「大山寺修復を目指す会」会長の小川直男さん(82)は、大山寺と同時期に良弁が創建したとされる高蔵神社の総代長をかれこれ20年務め、同時に大山寺修復の必要性を早くから訴えてきました。今年で前回の大修復(1802年)から217年の月日が経つ大山寺は、その間大杉が屋根に倒れ落ちた時などに部分的な修理を行ってきたものの、現在建物全体が傾き、欄干(てすり)が壊れ、雨漏りも数箇所発見されている状態です。
“実は20年前に文化庁に申請をして改修工事をする話が持ち上がったことがあるのです。その時に調査した見積もりの総額はおよそ2億円でした。額もすごいですが、当時はまだ大山寺の価値が明確になってなかったこともあって、あと一歩というところで実行に移されませんでした。その時から20年経っているので、さらに修復費用は増すことでしょう。しかし資金の前に、まずは鴨川市の宝でもあり誇りでもある大山寺の価値を一人でも多くの人に知ってもらうことこそ大切なことだと思っています。”
日光東照宮に比肩する厨子
そもそも、会が発足される大きなきっかけとなったのは「鴨川市の文化財を活かした地域活性化実行委員会」が平成26年度の事業で行った富山県職藝学院上野教授による大山寺の調査です。これまで初代伊八が製作した「飛龍」、「地龍」が文化財として名高い作品でしたが、上野教授の調査によって仏像を安置する「厨子」の芸術価値が再評価されることになりました。
幹事長:川崎浩之さん:
“去年行われた上野教授の調査にて、大山寺の厨子は「日光東照宮に優るとも劣らない」との報告があり、関係者にとって衝撃的なニュースとなりました。伊八ばかりに目がいっていたのですが、厨子そして建物にも精緻な技法が施されていることがわかり、改めて大山寺を守らねばならないという危機感を感じましたね。先生の研究は今後まとめて発表されることになるかと思います。”
鴨川市議会議員でもある川崎さんは、会の中で行政との橋渡し役も行っています。去年の議会では会の幹事を務める4名の議員の思いを1つとして大山寺修復について一般質問がなされることも。しかし多額の改修費を必要とする大山寺修復事業を市の予算のみで行うことはできません。上野教授の学術的な研究とも連携して、市民が中心となって修復の輪を広げ、その先に大規模な修復プロジェクトが立ち上がることが望まれています。つまり、大山寺の命運は再び鴨川市を中心とした地域住民に託されているのです。
地域活性化の原動力を次世代に
檀家のいない修験道のお寺でありながら地域全体から信仰を受け、先人によって数百年もの間守られ続けてきた大山寺。会長の小川さんは、この活動が大山寺を守ることのみならず、地域に再び活力を取り戻すきっかけになればと語ります。
“米の価格が下落して米どころ長狭平野といえども農家離れが久しく、解決策が未だ見えてきません。ただ、この大山寺を修復する活動は、また別の角度から地域の未来を作る可能性があると思っています。鴨川全域のシンボルであった大山寺を守ろうという活動を通じて、鴨川に生きる「誇り」や鴨川の良さを思い起こすことにつながるのではないか。地域活性の原動力といいますか、そんな思いを次世代につなげることができれば本望です。”
自身も大山寺を守りたい思いが幼少期の経験に基づいているという小川さんは、2月3日の大山寺御開帳時の節分豆まきを始めとして、秋の「紅葉祭り」など大山寺境内で子ども達が楽しむイベントも開催しています。必ず帰りにお菓子をもたせるのも小川さんらしい未来を思う心遣い。世の中が急速なスピードで動いていく現代、引き継がれてきた不変のシンボルを次世代に伝え、地域活性化の意義に繋げようとする「大山寺修復を目指す会」の活動ですが、今年は古文書の調査や古地図の作成、そして市内外を問わず至る所で精力的に署名活動を行うとのこと。研究調査も含め、今後の展開を見守っていきたいと思います。
文:東 洋平
大山不動/高蔵神社(かもナビ)