ローカルニッポン

食用バラの栽培、加工、販売を地域の産業へ/中井結未衣さん

日本では起業の女性比率は約18%、米国は40%前後で毎年推移しており、その他の国と比べても低い水準に留まっています。こうした中で今回ご紹介するのは、3年前に南房総館山に移住し、「食用バラ」をテーマとして新たに会社とカフェを設立した中井結未衣さん。プリザーブドフラワーの先駆者として起業し、現在は食用バラの生産から加工そして販売まで行う中井さんは、どのような経緯で館山へ移住し、事業に取り組んでいるのでしょうか。今後の展望も含めて、お話を伺ってみたいと思います。

友人の一言から

バラのプリザーブドフラワー(生花を加工して保存性を高めた花)、そして食用バラと、一貫して花をテーマに事業を展開する中井さんですが、このきっかけはある時友人が発した一言にあったそうです。

“大学を卒業した後、兵庫県にある不動産会社の経理課で働き始めました。そんなOL生活が始まったある日、家に来た友人が「あら、この家、花の一輪も飾ってないの?」とポロっと言いました。昔からおままごとをすれば必ずお父さん役を務めるような性格だったので(笑)、花とは長らく無縁な生活を送っていたんですが、妙にこの言葉が頭に残りましてね。それでお花の教室に通うことにしたんです。”

母親が生け花をしていたことから幼少期に花に触れる機会は多かったのですが、中井さんと花との新たな出会いは友人の一言から通い始めたお花の教室。気軽に入会したものの、花の魅力にひかれ熱心に取り組んだ中井さんは、いつの間にか結婚式やイベントにて花のアレンジメントを担当するようになり、プロの道を歩むようになりました。

プリザーブドフラワーの作品

10人の主婦とともに在宅ワークを開始

そんな中井さんの元へ友人からプリザーブドフラワーを制作する仕事の誘いがありました。生花は枯れてしまうものですが、特殊液に漬けたのち水分を抜いたプリザーブドフラワーは半永久的に美しい姿を留めます。当時日本ではプリザーブドフラワーを販売する業者は少なく、興味をもった中井さんは製作方法を学び、家の一室で製作を始めました。

“ネット販売を始めた1年後ぐらいだったでしょうか。なんと通販で有名なとある大手販売業者さんがプリザーブドフラワーを扱いたいと直接連絡下さったのです。これには驚きました。もっと驚いたのは販売予想数。2万個ですよ(笑)。せいぜい年間50個ほどを1人で作っていた私にとって、有り難い悲鳴というかなんというか。そこで在宅で一緒に製作してくれる人はいるかと募集した結果、10人もの女性が集まって下さって、これを引き受けることに決めました。”

兵庫県神戸市での在宅ワーク時の部屋の様子

東京にて起業

長い間会社員と花の仕事を両立していた中井さんでしたが、卸し先の販売業者が東京へ移転することを契機として、自身も東京へ引っ越し、いよいよ株式会社を立ち上げることになりました。しかしこの決心には、在宅ワークの実績を基に自ら率先して起業の道を進むことで、女性が生き生きと働く社会を広げたいという思いがあったのです。

“私の周りの友人も、結婚、出産そして育児となると仕事を一度退かれる方がたくさんいらっしゃいます。しかし、プリザーブドフラワーの販売を通して女性が活躍できる仕事が在宅にもあること、そして女性目線のセンスが社会に必要とされていることに気づきました。そこで、在宅ワークのビジネスも学べるプリザーブドフラワー教室を始めると大勢の方が受講してくださって、6年間で1000人もの生徒さんが卒業したんですよ。”

恵比寿で開催していたプリザーブドフラワー教室の様子

この当時から中井さんがテーマとしてきたのが、女性が活躍できる仕事作りです。もちろん主婦として家事や育児に専念する選択を尊重しつつ、その上で女性が能力を生かしながら続けられる仕事は何か。これを在宅ワークのうちに見出した中井さんは、在宅ビジネスのノウハウも伝えるプリザーブドフラワーの教室を始めました。

花本来の力を知った東北大震災支援活動

商品販売と生徒への指導、そしてバラの生花を自主栽培する研修にも通い始め順調に事業を進めていた矢先、2011年3月東北大震災が日本列島を襲いました。お茶のネット販売を行っている友人から「被災地キャラバン」の誘いを受けた中井さんは、ありったけのプリザーブドフラワーを背中に背負って被災地へ向かうことに。

“当初プリザーブドフラワーが喜ばれるのか不安もあったのですが、被災地に着くとこんな思いは吹き飛びました。皆さまの「お花を待っていたの」という声。仮設住宅4畳半での生活、段ボールのような壁の中で寒さをしのぎながら、お花を求められておられました。ほんの何週間前には自宅の庭で土いじりをしていた方々です。この時、花とはなんだろうと。「花」が本来もつ不思議な力を、目の当たりにしました。”

被災地キャラバンにてプリザーブドフラワーを届けた時の様子 被災地を北から南へボランティアハウスを転々としながら3週間回った

長年花を商品としてビジネスを行ってきた中井さんは、この時ほどに「花」が人に与える意味や癒しについて感じたことはなかったと語ります。それほどまでの衝撃となったこの体験は、単なる被災地支援に留まらず中井さんの人生を変える大きな出来事となりました。

南房総にて食用バラの栽培を開始

“震災からコミュニティの大切さや花本来の力について考えさせられた時、改めて私にできることは何だろうかと問いかけました。花をこれからも仕事にしたいのであれば、どこか地方でより一層花が持つ力を伝えていきたいと思ったのです。そこで食用のバラを栽培するための土地を探すこと半年、館山市の神余(かなまり)に出会いました。南房総は東京にも近くて仕事に便利ですし、花の名所としても知られていて、バラを栽培するにはピッタリだったんですよ。”

神余の道沿いに咲き乱れる無農薬のバラ園

被災地での経験から改めて中井さんが取り組み始めたのが食用のため農薬や化学肥料を用いないバラ栽培。あまり知られていないことですが、バラはその昔、薬に用いられるほど健康に効果のある成分が多く含まれている植物で、クレオパトラが薬として嗜んでいたとの逸話もあります。花の中でも特にバラは栽培に農薬や化学肥料が必要とされる植物といわれ、幾度か反対されたこともあったそうですが、栽培1~2年目から館山市神余に美しくバラが咲く小さな農園が誕生しました。

2015年5月マダムナカイのローズカファOPEN

2012年に館山市神余の里山に移住して無農薬のバラ栽培に取り組むこと早3年、今年5月にバラを使った料理やスイーツ、ドリンクを楽しむことができるカフェ「マダムナカイのローズカファ」がOPENしました。ちなみに「カファ」とはソファ×カフェ=カファ。自宅のソファでくつろぐように、ゆっくりして欲しいとのこと。またカフェに先立ち、バラの生産から加工、そして料理や加工品の販売まで行う、いわゆる6次産業の拠点として農林水産省による「総合化事業計画」の認定も受けた株式会社バラの学校も設立した中井さんは、今後この施設を利用して女性を中心とした仕事作りやコミュニティが集う場作りをしていく予定です。

バラの学校の授業風景

“プリザーブドフラワーを始めた当初から私の目標は女性の活躍する場を作ることでした。これからは、バラの栽培技術を学んだ生徒さんが自宅でバラを栽培し出荷するなど、花を楽しみながら地域の活性化に繋がるような仕事を作り、女性ならではのセンスや才能を生かして花のまち南房総をより一層多くの人に知ってもらえたらいいなと思っています。”

マダムナカイのローズカファ外観

女性の視点でとらえた商材を地域の気候や風土そしてイメージに関連させながら、事業を展開する中井さんの活動には、地域を活性化させるヒントがたくさんあるのではないでしょうか。生き生きとした南房総の地域づくりのためにも、より一層女性の活躍する場が広がることを願います。

文:東 洋平