ローカルニッポン

追い込まれる地域に新しい兆し/山口マオさん


南房総市千倉町にある道の駅「潮風王国」には、漁業が盛んな千倉町の海を目の前にして新鮮な海産物や花、農産物そしておみやげコーナーといった数々の店舗が観光客を迎えますが、道の駅にしてひと際独特な雰囲気に包まれたお店がギャラリー&ショップ「海猫堂」。木版で描かれた直立二足歩行するシュールな猫が、幻想的かつ滑稽さをあわせ持つ不思議な世界観を放ちます。今回は、この「マオ猫」や絵本のキャラクター「わにわに」などで知られる千倉町出身の山口マオさんに、帰郷するまでの話や地域でのアート活動についてお聞きしました。

美術の教師を目指すことから

山口マオさんは旧安房郡千倉町瀬戸(現南房総市千倉町瀬戸)出身、5人兄弟の末っ子として生まれ。幼い頃から絵が好きだったようですが、真剣に絵描きを意識したのは高校時代の部活動に始まります。

“地方ながら鴨川の長狭高校というのは、本城正先生という立派な美術講師が教鞭をとっていたことから美術部の活動が盛んだったのです。この方を慕って今でも美術部OBで展覧会を開いたり、校風には美術の伝統が残っています。父が高校の先生だったことも関係しているのかもしれませんが、本城先生の姿を見て美術の先生になりたいなぁと思ったのが絵描きを目指した発端ですね。”

山口マオさん

小中学校と絵心を育んだマオさんは美術部の盛んな長狭高校に入学することに。そこで出会った故本城正先生は、明治から昭和にかけて活躍した洋画家藤島武二に直接師事した教育水準の高い画家でした。またマオさんの父は、自身が貧しい中、苦労して学問を修めた経験から、子ども達を支援するため定時制高校の教師を務めていました。そんな父の背中と本城先生の影響から美術の先生になろうと思ったマオさんは、東京造形大学の絵画科に進学します。

安西水丸さんとの出会い

順調に美術教師への階段を登り始めたように見えたマオさんでしたが、教職課程の授業にどうしても関心がもてなかったことからバンド活動やアルバイトなど学外での活動に熱中する生活を送り、早々と教員の夢から離れることになりました。

“教職課程がとれないとなると、当時美術大学を出てもほとんど就職口がないわけなんですね(笑)。それで大学の4年を迎えてどうしようかと悩んでいた時に、同郷でもあるイラストレーターの安西水丸さんがやっているイラスト講座を受講したんですよ。この時に自分の絵にアドバイスをもらって、フリーのイラストレーターとしてやっていこうと決心が固まったわけなんです。”

初期の作品 展示会も年間を通し、さまざまな企画展を開催している

初期の作品 展示会も年間を通し、
さまざまな企画展を開催している

学生生活も就職活動の時期に入り生業を定めようとマオさんが向かった先は、日本を代表するイラストレーターである故安西水丸さんのイラスト講座。安西水丸さんは東京出身ですが、幼少期をマオさんと同じ千倉町で過ごしたこともあり、互いに親しみやすさもあったのでしょうか。全4回の講座にて指導を受け、イラストレーターの道を歩むことに決めました。

“かといってその後3年ぐらいはバンドやアルバイトを続けてました。が、そうこうしているうちに結婚することになりましてね、相手の親に何をしている人か説明しなければならなくなったんですよ。これはまずいということで、必死でイラストレーションのコンペに応募して、運よくその年の年度賞に選んでもらえたことでなんとかイラストレーターの卵としての面目は保てたかなと思っています(笑)。”

「イラストレーション」誌ザ・チョイス年度賞入賞作品『うでずもう』

「イラストレーション」誌ザ・チョイス
年度賞入賞作品『うでずもう』

マオ猫の誕生

1987年に「イラストレーション」という専門誌のザ・チョイス年度賞に入賞したマオさんは本格的にイラストレーターの活動を始め、当時若者に大人気の雑貨店『宇宙百貨』のトートバッグやノート、タオルやバスマットなど様々な商品にて自身のイラストを発表していきます。この頃誕生したのが、メインキャラクターでもあるマオ猫です。

山口マオ作品展「植物主義」 出展作品

山口マオ作品展「植物主義」 出展作品

“小さい頃から猫好きで、大学時代に友人が飼っていた猫の世話をしていたんです。するとこの猫がどんどん増えて、猫の世話をしているのか、はたまた猫に世話をさせられているのかわからなくなってきましてね(笑)、その頃から猫と人間とが逆転したような発想が絵の中に生まれてきました。また元々世の中の偉そうにしている大人に対する反抗心があったので、そんなひねくれた思いを猫が引き受けてくれたのかと思います。”

マオさんのイラストには、猫が人間を散歩に連れていたり、猫と人間が腕相撲をしているなど、滑稽さを漂わせつつ、ある種シニカルで人間を風刺するようなキャラクター「マオ猫」が登場します。そもそも木版画のタッチが独特なマオさんのイラストですが、絵に映し出される人間そしてマオ猫がマオさん自身の社会観や人間観の現れであることも興味深いところ。その後の南房総での挑戦もまた、こうした逆説的な表現とも通じているのかもしれません。

ジカヨウゾウ 木版 1985年 GAKKENカレンダー

ジカヨウゾウ 木版
1985年 GAKKENカレンダー

帰郷と共にアートイベントの開催

高校卒業後東京での生活は20年を過ぎましたが、マオさん家族は1996年千倉町の実家隣の空き家へ引っ越すことにしました。次の年には千倉町の道の駅「潮風王国」にギャラリーショップ「海猫堂」をオープンするなど、帰郷して幾ばくもなくマオさんの活動は新たなステージに。ここで、マオさんが千倉町に戻ってから開催しているイベントについて2つご紹介します。

アートフリーマーケットinちくら アーティストによる手作り市をテーマに毎年審査のうえ80ブースもの出店が立ち並ぶ

アートフリーマーケットinちくら アーティストによる手作り市をテーマに毎年審査のうえ80ブースもの出店が立ち並ぶ

 

アートフリーマーケットinちくら

“とある地元のフリーペーパーで写真家の方と元旦特集として対談をしまして、その時ヨーロッパのマルシェが話題に挙がりました。それに比べてなんだか日本のフリマって地味だよね(笑)って。そこで、音楽や大道芸なども一体となったアートフリーマーケットなんていいねと話したところ、その年の5月に早速開催することになりました。お陰さまで来年18回目を迎えます。”

音楽ライブや大道芸のパフォーマンスも見所の1つ

音楽ライブや大道芸の
パフォーマンスも見所の1つ

安房平和のための美術展

“こちらは同じ南房総の画家宮下昌也さんと2002年のアフガン戦争の時に「Art of Peace・平和のためのポスター展」を行って都内ギャラリーや大阪、神戸、沖縄などを回り、100万円を超す寄付集めに成功しました。「安房平和のための美術展」でも、ただ展示するだけでなく、アートが具体的に地球環境や平和に貢献できるように、といった平和美術展を開催し11年になります。収益金はウガンダの子ども達や福島共同診療所などに寄付されています。”

毎年60名以上のアーティストが作品を寄せる

毎年60名以上のアーティストが作品を寄せる

両イベント共にすでに10年以上開催が続けられている地域アートイベント。都心部に比べ発信力が弱く、アートに対する関心も決して高くはない地方ですが、マオさんの開催してきたイベントの数々は南房総に住まうアーティストの存在を地域に伝え、アーティスト同士のコミュニティを醸成する契機となりました。

南房総のこれから

こうして南房総に帰ってきてからも、アイディアを即実行に移して地域の魅力を高めようと20年の挑戦を行ってきたマオさんは、東京青梅で「レトロな昭和を感じるまちづくり」として、映画ポスターのマオ猫によるパロディ看板を作って街中に展示するなど、他地域の活動にも参画しています。そんなマオさん、南房総の未来をどう見据えているのでしょうか。

青梅で道沿いに展示されているパロディ看板の1つ

青梅で道沿いに展示されている
パロディ看板の1つ

“南房総は自然環境に恵まれ、種をまけば野菜や稲が育ち、海に行けば魚や貝や海藻がとれるという豊かな土地でしたが、それゆえにハングリーさも緊張感もない感じが、高校生まではとても不満でした(笑)。帰郷してこの穏やかさにホッとした所もありますが、当時から40年近く経った今、南房総も長閑に生きていけなくなってきているように思います。そんな中で目を引くのは一度外に出て帰ってきた地元民や移住者の活動ですね。一旦外に出て世の中の厳しさを知った人達から、地域が変わっていく可能性があるのではと感じています。”

道の駅ちくら「潮風王国」内 ギャラリー&ショップ海猫堂

道の駅ちくら「潮風王国」内 ギャラリー&ショップ海猫堂

南房総の千倉町に生まれ、東京で数々の作品を発表した後、あえて故郷へ拠点を移した山口マオさん。今後、まちの雰囲気を壊さずに密かに壁画を増やしていく計画や、集客の振るわない民宿をアート仲間で改修して経営を立て直す計画など、やりたいことが沢山あるとワクワクとする話も聞かせて下さいました。マオさんの半生が物語るように人間苦境に立たされた時に真価が問われるところ。少子高齢化や産業の低迷など問題が山積みな地域ですが、この逆境にあって初めて斬新な発想やコミュニティの結束が実現するのかもしれません。

文:東 洋平