ローカルニッポン

飯舘電力の設立/福島県相馬郡飯舘村


飯舘村に、村民による再生可能エネルギー発電会社ができた。

「国全体が変わったように喜びなさい」

ドイツから来日した、再生可能エネルギーの先駆者からアドバイスをもらったことを思い出す。いまではドイツを代表するような先駆者も、始めは、それはそれは小さなソーラーパネルからだったそうだ。

私たちの会社も小さくはあるが、それぞれが違う生業を持つ村民数十人が出資して、ひとつの会社を作るのは前代未聞であり、画期的なことである。そして、とても喜ばしいことだ。この小さくとも貴重な若木は着実に根を張り、命を育む木になるだろう。

パワーコンディショナー:この装置で電流電圧を整えて電線に送る

パワーコンディショナー:この装置で電流電圧を整えて電線に送る

飯舘電力は2014年9月に発起人5名が出資して設立し、その後村民30名の出資が次々と集まり出発した。中心にいるのは、社長をつとめる小林稔(63)だ。小林はもともと和牛農家兼稲作農家である。震災後、避難先の喜多方市で稲作、蔵王で和牛肥育を続ける中で飯舘に戻る決意をする。当時の心境を会社案内の挨拶文で静かに語る。

「東日本大震災による原発事故で全村避難となった飯舘村民は尊厳と生きる糧を失い不安な日々を送る事になりました。そして避難から3年が過ぎ、除染も進み帰村が現実的になって来た時、飯舘で生活をする不安が逆に増して来たように思います。そこで将来を見据えた時、再生可能エネルギーによる売電収入で生活、村の復興に寄与しようと知り合いの有志で相談をし決定しました。」

売電収入が量的にどの程度かは、もちろん重要だが、自らが関わった再生可能エネルギーであること、身近に発電所があることに最大の価値がある。前者は、自分で種を蒔き、世話をし、収穫したお米やお野菜はどんな価値にも勝るのと似ている。自ら汗を流したお米は美味しい。後者は、食料を自給できない国は滅びるとの言葉があるように、いざという時のエネルギー保障という観点からも必要な取り組みだ。「不安」という言葉が2回も出てくるほどの苦悩に対し、この価値が果たす役割がいかに大きいか。農家ならではの直感が駆り立てているところもあるだろう。

復興の槌音1:第2期工事が始まる

復興の槌音1:第2期工事が始まる

実は、飯舘電力のことを数社の新聞にとりあげていただいたところ、県外の方から、金銭面で応援したいという声が多数寄せられた。「生きたお金の使われ方をしたい」「少しでも応援したい」など、必ずしも義援金的なものではなく、一緒のプレーヤーになりたいという声がほとんどだ。これは、先述の「不安」が、飯舘村のみならず、全国に広がっていることの現れだと感じる。原子力や、石油や天然ガスによる大規模発電に偏った在り方を、福島からこそ変わってほしい、変えたいという想いも詰まっている。

そのような背景もあり、当初村民に限っていた出資だが、村民以外の方に対しても先月末から出資募集を始めたところ、1ヶ月で募集株数の半分以上が集まった。飯舘村に村民主体の発電会社が設立された価値に対する期待と受け止めており、必ず価値は実を結び、結果をお返しできるだろう。

「復興の槌音2」:村内倉庫の改築が進行中。奥に見えるのは除染土の山

復興の槌音2:村内倉庫の改築が進行中。奥に見えるのは除染土の山

さて、飯舘電力では、すでに1基の太陽光発電所が稼働しており、今月には4基が同時着工する。さらに続けて12箇所が着工する見込みだ。1基目の太陽光発電所は役場の隣にある老人ホーム「いいたてホーム」の南側斜面に設置してある。2015年2月に竣工してから順調に発電している。一列に並んだパネルは実に壮観で、日の光をその面にいっぱいに浴びている。裏側にまわると、9台のパワーコンディショナーが、発電した直流電気を交流に変換、さらに電圧を整える働きをせっせとこなしている。こうして電線に送られた電気は、東北電力が購入する。

ふと疑問が起こった。この電気はどこにいっているのだろう。一般的な商品売買のように、東北電力の変電所にいったん送って(蓄えて)、今度は東北電力が消費者に売る(送る)のだろうか。技術者に聞いた所、電線と電気は、ところてん製造機の筒と中身の関係のようなもので、筒のこちらから入れば、あちらから出ていくようなものであるという。

出資申し込み書類

出資申し込み書類

私たちの目の前にある電線の中には、近くの再生可能エネルギー由来の電気もあれば、遠くの火力発電所由来の電気も流れているということだ。日本は停電の極端に少ない国と言われているが、それは、筒の中(電線)を常に一定のところてん(電気)が流れているようにするために、電力会社が長年努力してきた賜物である(そのような安定が法律によって義務付けられている)。

だとすれば、この1基目の発電所で作られた電気の一部は、必ず「いいたてホーム」や近隣施設のどこかで使われている。まさに、地産地消の関係なのだ。いままでは、遠くの大型発電所から運ばれていた電気だったが、それのみに頼り切る構図から変わってきている。目には見ることができないが、ミクロの世界で起こっていることを想像すると、次の発電所もきっと近くの方々に使ってもらえると思い、いまからワクワクする。

飯舘村に限らず、また、エネルギー問題に限らず日本全体で「地域主体」という言葉が沢山見られるようになっている。福島・沖縄の問題をきっかけにうねりが高まり、時代は間違いなく地方分権時代の入り口にさしかかったと言える。先を行く飯舘村の村民の変化、賛同する人々の変化に注目が集まる。文字通り「国全体が変わってきた」。

文:飯舘電力株式会社 福島事務所長 近藤恵