福島県大沼郡昭和村、人口1,200人、からむし栽培を絶やさずに続けてきた本州唯一の村。
からむしとは、イラクサ科の多年草の植物、茎の部分から強くしなやかな繊維が採れる。
繊維の質としては麻に分類されるが、昭和村では麻とは区別して栽培を続けてきた。
昭和村で生産されるからむしは質が良く、多くが新潟へ出荷されてきた。現在も毎年6貫目を新潟へ出荷し、越後上布や小千谷縮の原材料として使用されている。
昭和村は豪雪地帯であり、1年の半分は雪が降り2m以上の雪が積もる。雪のない期間が短いので農作物の栽培期間も短くなる。戦前の昭和村の産業といえばからむし栽培であり、換金作物の中でも高値で取引されていた。
小満にからむし畑を焼く、雑草が生えるのを防ぐために藁を一面に敷き周囲を茅で囲う。7月中旬になるとからむしの繊維を取り出す苧引き(おひき)が始まる。朝、畑から一本ずつ刈り取ったからむしを流水に浸し、皮を剥ぐ、剥いだ一枚のからむしから繊維を取り出し陰干しする。
8月になると新潟から仲買人が八十里峠を越えからむしを買い付けに来る、からむしの品質により金額は異なる。からむしを引くのは女の仕事、良い繊維を取り出せるようにと精進する。
長い冬は自家用の反物を織る、からむしは換金作物なので自家用には麻を使っていた。一本の繊維を細く裂き、繋ぎ、撚りをかけ、機にあげ、織る。自家用にからむしを使えたのは裕福な家だけだったと聞いている。
戦時中、からむし畑を芋畑に変えた時もからむしの根を絶やさないように畑の隅で栽培を続けた。
時代の変化とともにからむしの需要は減り、昭和49年会津郷からむし織として村内での織物産業も始まった。しかしからむし農家の高齢化・後継者不足などからむし栽培の危機が訪れる。平成6年、村役場は村外から後継者を募集した。募集内容は10か月間村に滞在しからむし栽培から織りまでの一連の作業を体験するというもの、その名もからむし織姫・彦星体験生。当時の担当者は本当に応募が不安で眠れない日が続いたが、いざ始まると日々問い合わせの電話があり、審査の上、織姫体験一期生が来村することとなった。
突然来た体験生に最初は村の人も戸惑っていた、一部の人は歓迎し、一方では外部の人間が村に入ったことに戸惑いがあった。体験生活では昭和村の生活やからむしの作業を学ぶ、毎日食卓に並ぶのは山の幸と手塩にかけた米野菜。四季折々の自然の恵みを1年の糧にするための保存方法にはこの村ならではの知恵があり、今も変わらず昔ながらの生活が続いている、そんな暮らしの中にはからむしが共存している。
からむしの糸作りを教えてくれる先生は村のおばあちゃん、昭和村の方言がわからない体験生のために、方言を標準語に直して教えてくれた。からむし畑作業を教えてくれたおじいちゃんは畑に出てきた蛇を捕まえながら子供のころの思い出を語る。
昭和村には「結(ゆい)」の文化が残り、田植えや稲刈りなど人手を必要とする仕事を共同で作業する。「結」には見返りなどはなく、お互いに手の足りないところを共同で補い合う。体験生として来村した者が、作業をしながら村のおじいちゃんたちからご先祖様からの言葉を聞き、畑仕事を一から教わる。おばあちゃんたちは休憩用に山の恵みを用意し、畑の脇に座りながら土地のことや暮らしと村の歴史を話してくれる、ゆったりとした時間の中で行われる学びの場はたまらなく心地よかった。
そんな暮らしを大切にしてきた人々に魅せられて、体験期間終了後も村に残る織姫もいる。体験制度が始まり22年で延べ100名が昭和村に来村した。当初体験生は一時的に村に来た人という認識だったと思うが、体験終了後も村に残りそのまま生活を続ける体験生が約20名、うち11名は村出身者と家庭を持った。
体験制度が始まったころの村では「からむし」という言葉は知っていても「からむし」が何か知らない若者もおり、村で生活していてもからむしを学ぶ機会は少なかった。村外からからむしを知りたいと来村した織姫たちが村に残り、からむし栽培から製品作りまでに関わるようになり、2001年にはからむし織の作品を展示販売する施設(現:道の駅からむし織の里しょうわ)も設立された。観光客のためにからむし商品を作る人や関心を持つ人も増えたことで、昭和村の伝統をなくしてはならないという意識が高まり、村人や昭和村在住歴3年以上の人を対象に、昔から使われてきた地機(じばた)の継承者を育成する「地機講習会」を始めた。数名の参加者から始まり延べ10名もの受講者が素晴らしい作品を織りあげるようになった。すると作品にするからむしを一から作りたいとからむしの栽培を始める人も増えてきた。
村でも小学校の郷土学にからむしを学ぶ時間を設け、今年の役場の新人研修ではからむし畑の奉仕作業を行った。22年という月日は昭和村の意識を変えたのだ。
先人たちの教えを大切に守ってきた村の人、それまで見えなかったことに生活の真意を見出した織姫たちが、今の昭和村を作り上げてきたのだ。
文:道の駅 からむし織の里しょうわ 駅長 舟木容子
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からむし織の里 織姫交流館