ローカルニッポン

森林の総合的な活用と資源循環の取り組み/高知県梼原町(ゆすはらちょう)

わが町における人と森林の歴史を振り返ると、人はまさに森林に生かされてきたのだと感じます。少なくとも我々の祖父・祖母の世代は、家畜のえさや田畑の肥料、そして茅葺屋根の材料として使うために草を刈ったり、燃料となる薪集めや炭を作るためにナラの伐採を行ったり、さらには建築用材とするために様々な樹種を利用してきました。そうした多様かつ直接的な森林の利用を通じて、どのようにすれば森林を良好な状態で保ち続けることができるかを考え、努力してきたように思います。このことは人がこの地で将来にわたり生き続けていくためには、持続可能な形で森林の恩恵に授かるしかなく、必然であったと言えるでしょう。与えられた自然環境の中で自らがどういった存在なのかを強く認識させられてきたのだと思います。

しかしながら、社会情勢の変化とともに人々の暮らしぶりは変化し、人が求める山や森林との関係性は単一的なものへと変わりました。おそらく、このような関係性はこの地に人が存在してからというもの見られなかったのではないかと思います。

時は世紀末の2000(平成12)年、わが町は全国に先駆けて「梼原町森林(もり)づくり基本条例」を制定しました。冒頭の一文には次のように書かれています。

(前略)近年、私たちは(中略)森林との関係や山の民としての心を忘れ、木材を始めとする林産物によって森林から受ける経済的利益を第一義として森林の価値を考えてきた。今、私たちは、山の民としての自覚を新たに、先人が築いてきた森林との共生関係を見直し、森林の有する多様な機能を重視した森林づくりを行うことにより、かけがえのない森林を健全な状態で後世に継承していかなければならない。

この言葉は、まさにその反省に立ったものと言えます。

2009(平成21)年、我が町は、政府に対して温室効果ガスの大幅削減などの取り組みに関する提案書を提出し、全国13自治体の一つ(当時)として環境モデル都市の認定を受けました。この提案書は、森林をはじめとする地域資源を最大限に活用するという考え方で作られていますが、その原点は昔から引き継がれてきた山で生き抜くための先人の教えにあります。

木質資源を活かす

戦後における本町の林業史はまさに森林づくりの歴史であったと言えます。「町土の全山緑化」「植樹栄郷」を合言葉に住民総出で植林を行い、その結果としてスギをはじめとする人工林が7割を占めるまでになりました。今、私たちの目の前にあるのは先人の夢が詰まった豊かな森林です。

この豊かな森林を活かすために、我が町では公共施設の建設に町産材を積極的に活用しています。現在20以上の施設が木造建築あるいは木材を活用した施設として運用されています。地域のモデルともなる公共施設の建設にはただ単に木材を使うだけではなく、情報発信力が要求されることから、地域の歴史にも理解が深く、2010(平成22)年度に雲の上のギャラリーの設計で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞された建築家の隈研吾氏に設計を依頼しました。そのデザインはまさしく木材の限りない可能性を感じさせてくれるものです。


さらに山の作業で残った林地残材や製材所廃材をペレット燃料として利用する取り組みも行っており、町内の学校や民間企業、福祉施設や民家に加え、町内外の農業ハウス用ボイラーの燃料として使われています。その燃焼灰は農地や林地に還元し、それが肥料となってまた次の世代の生命を育みます。林業家にとっては今までは捨てていた資源を提供することで新たな収入源となっています。まさに、先人の教えである“もったいない”こそが地域を活かす鍵となっています。


森林空間を活かす

2007(平成19)年、本町は四国で初めて「森林セラピー基地」の認定を受けました。梼原の森林の力を明らかにしようと都会に暮らす10名の被験者を対象に実証実験が行われ、町立病院の先生方が中心となり、関西の産業医や心理カウンセラーの先生にもご助力をいただいた結果、リラクセーション、抗がん免疫力、酸化ストレスなどの7つの項目で改善が見られ、さらにはその効果が1ヶ月半後も持続するなど予想以上の成果を得ることができました。町では現在、森林セラピーと特定保健指導の組み合わせなどを通じて住民の健康づくりを進めていますが、今後はさらに社員の心と体の健康の再生を求める企業と連携していきたいと考えています。こうしたことを振り返った時、いくら社会が変化しようとも、生き物としての人は森林なしでは生きられないのだと感じます。


2011(平成22)年、梼原幼稚園(現:梼原こども園)は森のようちえんの取り組みを始めます。積雪の多い冬季をのぞく年4回ではありますが、地域の大人たちがそっと見守る中で子供たちが森林をかけまわります。そこには日本が忘れかけた地域社会の一部を垣間見ることができるような気がします。そして森林の持つ多様性。我々人間社会と重ねてみると学ぶものが非常に多いと感じます。


人づくり

2015(平成27)年、町は「ゆすはら産業担い手育成塾」を開校しました。その一つに「森づくり担い手育成塾」があります。第1期生として8名の塾生が梼原林業の将来を共に切り開くために学びの一歩を踏み出しました。このことは、森林づくりの担い手として21世紀に生きる私たちが先人の思いを受け継ぎ、そしてこの森林を大切にしながら後世に引き継いでいく決意の表れです。先人の知恵と森林に学びながら、着実に歩みを進めていきたいと思います。


文:高知県梼原町役場 企画財政課 まち・ひと・しごと創生係長 山本 和正