1968年に発行された梼原町史によると、わが町に人々が住み着いた歴史について次のような記述を見ることができます。913年、藤原経高公が京都から入国してきた時を境としてそれより前を第一次移住時代、それ以降を第二次移住時代、そしてその後、町史発行当時までが第三次移住時代とされており、1000年という期間で見た場合、基本的には人が移り住んできた町と言えます。しかしながら、日本の高度経済成長期と重なるように都市部の工業地帯へ多くの人が流出し始め、現在では結果としてピーク時人口の3分の1程度にまで減りました。長い歴史の中でも凶荒などの理由により数年単位で人口が落ち込むことはあったとしても、数十年という年月に渡り人口が減り続けるということは特異的なことではないかと思います。
しかしながら、2012年度以降、わが町では様々な取り組みや要因を背景として転入者が転出者を上回る状況が続いています。特に2014年度に至っては移住を目的として転入された方が43人に上っています。
わが町において目に見えて移住者の方が増えることとなった要因の一つには、空き家改修による移住者の方の住環境整備、さらにはワンストップ相談窓口となる移住・定住コーディネーターの配置などがあげられます。また、生涯を通じてきめ細やかな生活支援体制の充実なども移住にあたっての判断材料になっているようです。ある意味これらは受け入れ側に求められる条件であると言えます。
しかしながら、もっとも大きな要因は、移住者自身が移住をしようと考えたこと、そう考えるようになった背景にあるように思います。そこで、2014年に東京から移住された大村太一郎さん(34)にその動機などについてお伺いしました。
―大村さんが移住しようと思ったきっかけは何でしょうか?
「僕は音楽の仕事をしていまして、音楽って第一次産業のように何かを作るわけでもなく、そうかといって何かを売るわけでもないですよね。段階としては一番最後の仕事と言えるかと思います。衣・食・住、そのあとに来るのが人の心を満たしたり、精神を安定させたりする仕事、つまり音楽もその一つだと思います。そういう仕事をするにあたって、出来る限り自分がヘルシーで精神が安定していてこそ初めて人にシェアできる。なのに、東京ではどうしても自分が前向きに健全に暮らしていけないようになった、ということがあります。」
―それはどうしてですか?
「一つは仕事のこと。音楽でまとまった収入を得るためにはお金が回っているところに入り込んで行って大きな顧客とやりとりする必要がある。そうなると生み出す音楽も商品として洗練された音楽にならざるを得ない。でも僕はそれよりも身近なところで、例えば、いろんな事情で辛い思いをしている子供たちに音楽を通じて道を開いてあげたい、そういうことに可能性を感じていました。もう一つは、天変地異、原発事故です。自分たちを取り巻く環境が一変した。このことが自分のお尻を叩いたと思います。それからは東京でしかできない仕事は徐々に別の人にシフトしていって、3年かけてやっと移住となりました。」
―なぜ梼原を選ばれたのですか?
「今の消費の仕方は音楽もそうですけど、大量生産されたものを大量に消費して満足した気分になる。でもそういう世界の裏側が見えてきた。今の時代、食べ物を自分で作れると言うのは最大の武器です。そういう意味で食べ物を作ってシェアしたり、例えば音楽と野菜を交換してもらったり。そういう場所だったらいいなというイメージがありました。その点、梼原は山の中でうまくエネルギーを作って自然な形でそういう産業が小規模でもうまく回っていると言うのはいい印象でした。」
―実際に移住されてどうでしたか?
「既に音楽が町の人の中にあって、音楽を喜んでくれたので、音楽をやるという意味においては予想以上でした。また、子育て環境も非常におおらかに子供を見てくれる環境があって、子供の可能性を広げると言う意味ではいい環境だと思いましたね。一方、ネガティブな面では、梼原でも家庭環境などから辛い子供たちがいて、そういう子供がゼロではなかった。でも、そういう点では僕たちが音楽を通じてできることがあるのではないかという可能性を感じています。」
「移住は僕自身にとってもチャレンジでしたし、目立たず溶け込むというのも一つの方法だと考えていました。集落の行事やお祭りなどにどんどん参加して梼原の人たちがどういう価値観で動いているのかを知りたかったし、僕はそれが楽しくて、近所の人がどういう人かわかっていると言うのは町を作っていくには当然のことだなと感じるようになりました。そのうえで、僕のことも知ってもらいたいし、今はネット環境も発達していていろんな世界が見られますけど、実際に僕のように外から来た人が何かしら価値観を提供出来たらなと思います。」
大村さんのように、特に東日本大震災以降、わが町へ移住される方の思いが多様化していると感じます。1955年以降、梼原町の人口が転入超過となったのは、バブル崩壊後とその後の消費税増税などの政治を背景とした消費不況が深刻化した一時期に限られていました。しかしながら近年は、東京を中心に好景気と言われているにも関わらず、転入超過が続いている状況です。これらのことからも、人々がその時の景気やお金を第一の要素として暮らす場所を決める時代ではなくなりつつあるということが言えるかと思います。
第四次移住時代は既に始まっています。そういった意味においては、迎え入れる立場となる地域においても移住された方と手を取り合って、いかにして魅力的な地域づくりを考え、実行していくか。そのサイクルを動かしていくことが重要なのではないかと考えています。
文:高知県梼原町役場 企画財政課 まち・ひと・しごと創生係長 山本 和正