長野県の南東に位置する下栗の里。「日本のチロル」と呼ばれ、南アルプスを望む、標高800m~1000mの飯田市上村の傾斜地にある集落です。2011年にテレビコマーシャルで取り上げられると、瞬く間に日本全国に知られることとなり、今では年間約65,000人の観光客が訪れる人気の絶景スポットとなりました。きっかけは地区住民が手づくりで整備したビューポイントと遊歩道。その原案を作ったのが、下栗里の会でした。
ビューポイントづくりを機に全国区へ
2003年に結成した「下栗里の会」は、住民による地域づくりグループです。特産部会、文化環境部会、交流部会の3部会が地域活性化に取り組んでいます。
「飯田市合併前の上村を観光立村にしようとする活動の中で、下栗活性化会議が区会議員、各種団体の代表者によって立ち上げられ、下栗の里開発計画に参画してきました」
と、下栗里の会会長の野牧武さんが立ち上げの経緯を話してくれました。特産部会長の野牧知利さんは、村営の高原ロッジ下栗や食事処はんば亭などの施設の民営化にあたり、地域の収入源を増やすことを考え
「多くの人に訪れてもらう場所にしたいと、まずは景観を活かしたビューポイントづくりをはじめました」
と話します。景観の素晴らしさは住民も認識していましたが、撮影スポットに適した場所の選定を行い、受け入れ体制を整えていきました。
「一部の住民だけでなく、地域みんなの思い入れのあるものにしたかったんです」
と里の会の野牧会長が話すように、集落全体を見下ろせる「天空の里ビューポイント」と遊歩道の整備は、里の会だけでなく、自治会を巻き込んで進めました。山林内の遊歩道全長約800mを整備したことで、テレビコマーシャルのロケ地となり、山奥の集落である下栗は全国区となっていったのです。
“観光地”への戸惑いと対応
予想をはるかに超える勢いで、一気に観光客が押し寄せるようになりました。しかし、下栗が広く知られるようになった喜びと同時に、地元では戸惑いもありました。集落へつながるカーブの多い坂道は幅が狭く、今でも観光向けに整備されていません。車の避け合いも困難な道が、一時期は観光の車によって渋滞が起きるほどでした。住民にとっては大切な生活道路であり、下栗は観光地以前に人々の生活の場です。
戸惑いを抱えながらでしたが、訪れてくれる人への対応を考ました。上り車と下り車のルートを別々にし、住民が交通整理を行うことで、渋滞回避と避け合いを減らしました。現在は観光客が絶え間なく訪れることにも、受け入れにも慣れ、それが下栗の生活にとって当たり前となりました。
ガイドツアーで下栗の暮らしと文化を伝える
里の会のメンバーは、下栗の里ブログで情報発信を行うほか「下栗案内人」としてビューポイントや集落を散策するガイドも担います。この日は、広島県や岡山県からの団体客を、里の会の野牧会長が天空の里ビューポイントへ案内しました。
はんば亭の駐車場から、山林内を歩くこと約20分。住民手づくりのビューポイントの展望台に到着すると、一気に視界が開け、突如として下栗の集落全体が眼前に出現します。まさに集落が天空に浮かんでいるような絶景に、ツアー客からは歓声が上がりました。
「昭和40年頃まで、馬で物資を運んでいて、昔は集落の麓の中学校まで通うのに片道1時間。標高差500mを毎日歩いたんですよ。立派な登山でした」と、にこやかな表情とこの地域ならではの優しい語り口で、笑いも交えて下栗の暮らしや文化を伝えていきます。
伝統野菜「下栗いも」で特産品づくり
里の会はビューポイントづくりを行う一方で、特産部会が地元農産物を活用した加工等の研究や特産品の開発に着手しました。下栗には現在、信州の伝統野菜に認定されるじゃがいも「下栗いも」が、昔から急傾斜地の畑で栽培されてきました。直径4㎝程度の小粒のいもで、男爵やメークインよりもデンプン質が多く、うまみ成分たっぷり。肉質が締まっているので煮崩れしないのが特徴です。夏に収穫した後またすぐ植えると秋にもう一度収穫できることから、「二度いも」とも呼ばれています。
長野県選択無形民俗文化財に指定され、下栗いもの筆頭郷土料理である「下栗いもの田楽」は、はんば亭の人気メニュー。下栗いもを皮付きのままゆで、竹串に刺して炭火などでこんがりと焼き、地元産のえごまで作ったえごま味噌をつけ、もう一度さっと焼いたものです。肉質が締まっているので、竹串で刺しても煮崩れしません。
「名物ではあったものの、特産品にするには収量を増やす必要がありました」
と、特産部会長の野牧知利さん。2005年には、下栗いもの加工品として初めて「下栗いもせんべい」を商品化しましたが、品種保存の観点からも、信州大学農学部に指導要請をし、信州大学との共同研究をはじめました。その結果、下栗いもがウイルス病にかかっていることが判明し、ウイルスフリー化を目指します。ウイルスが撲滅されたことで、いもの均質性が保たれ、収量の増加につながっていきました。
遊休農地利活用事業と心の交流
しかし、ここ下栗も例外なく、遊休農地は増加の一途をたどっています。畑は傾斜地であることから、機械を入れることができず、今も手で耕します。特産化した下栗いもの美味しさは各地に知られ、需要は高まるものの、農作業の大変さから栽培から離れる人が増え、収量が減り、供給が追いつかない状況です。
そんな中、景観保全の一環で、2010年から飯田市の補助事業として、下栗自治会の農業チームが遊休農地利活用事業をスタートさせます。地区外のグループに畑を貸し出し、下栗いもや蕎麦などの栽培に取り組んでもらうもの。名古屋方面からの参加者にはじまり、仲間が仲間を連れてくることで、その輪が広がっていきました。
現在、同じ飯田市内からの参加も含め11グループが参加しています。住民に栽培の指導や管理をしてもらう代わりに「下栗ボランティア」として地元のお祭りに参加したり、住民と交流することが参加条件となっています。
春先の種芋植えや7月下旬に行う収穫の合同作業日には、農業チームのメンバーの指導の下、参加者が一斉に作業を行い、作業後には名物のジンギスカンでバーベキューをしながら交流することが恒例。地元住民も参加者も、こうした心の交流が楽しみの一つです。
真のファンづくり
地道に交流を続け、広げていくことで
「観光客だけでなく、本当に下栗を好きになってくれて、何度も通ってくれる長期滞在者をもっと増やしたい」
と里の会の野牧会長。特産部会長の野牧知利さんは
「空き家を活用するなどして、宿泊所にし、気軽に通ってもらえるように設備を整えられたら」
と話します。下栗の景観と暮らしを守りながら、いかに真のファンを増やしていくかが今後の課題。下栗里の会の取り組みは、常に先を見据えています。
文:シニア野菜ソムリエ/下栗ボランティア 久保田 淳子
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