この秋、町制施行50周年を迎える梼原町。その歴史の中に友好交流協定を結んだ都市がありました。それが兵庫県西宮市です。平成3年3月24日に協定を締結して以来25年、町の歴史の半分を両市町は共に歩んできました。その歴史を2年前まで梼原町のことを知らなかった西宮出身の私なりに探ってみたいと思います。
交流の風土
愛媛県との県境の町、梼原町には「交流」の歴史を物語る建物があります。それが茶堂です。茶堂は信仰の場であり、そして茶菓の接待で行路の人々から情報を得ることのできる重要な場所でした。現在も13の茶堂が残っており、そのうちの一つ、茶や谷集落の茶堂では今でも夏の一か月間、道行く人にお茶を振舞う光景が見られます。
はじまりは「リフレッシュふるさと推進事業」
戦後、梼原町も少子高齢化による過疎化が進行しました。町は地域活性化への打開策として「都市との交流」を掲げ動き始めます。昭和59年には国土庁が実施したリフレッシュふるさと推進モデル事業の指定地域に全国四カ町村の一つとして選ばれました。
そして都市との交流の拠点として「歴史のふるさと太郎川公園」の整備を行います。太郎川公園の石碑には、交流にかける強い決意が刻まれています。
「~一千年を超える歴史と伝統、旅人をいたわり慰めてきた茶堂の心をもって都市との交流を深め、都会人には心のふるさととやすらぎを与え、日本の文化は山村からという誇りをもって力強く生きぬくために~」
町は拠点整備の一番の目的である都市との交流についても同時に進めていきます。その一つが兵庫県西宮市との交流でした。在阪ふるさと会(梼原出身阪神在住者の会)の方々が中心となって重ねられてきた交流は、西宮市民まつり等へ町の青年団や津野山神楽が参加したり、西宮から子供会や高校生、青年団が梼原に訪れたりするなど深化を見せ、両市町の友好交流協定が結ばれることとなったのです。
ゆすっこみやっこ
友好交流協定の締結を記念し、平成4年からは年に1度、両市町の小学5年生が相互に訪問し、交流する事業(通称:ゆすっこみやっこ)をスタートさせます。今年は梼原町の小学生が西宮市へ行きました。町の広報では、新しくできた西宮の友達と民泊やキャンプを楽しんでいる様子が伝えられています。梼原の子供たちにとって親元を離れて知らない土地に足を運ぶのは計り知れない不安を抱えつつも、ワクワクとした好奇心を持ち合わせていたのではないかと思います。外に出て知る梼原のよさを感じる機会にもなったことでしょう。
文化交流事業
昨年末、西宮の実家に帰った時に、市報の表紙を西宮神社で奉納する津野山神楽が飾っていました。「新年を感じる西宮の風景」というテーマで選ばれていたようで、少しの違和感を覚えたのと同時に梼原に暮らす私にとっては誇らしくもあり、両市町の交流の歴史を物語る一枚でもあると感じました。
津野山神楽はこれまでに何度も西宮市で披露されていますが、2年に1度、西宮市からも劇団ご一行が来町し公演をしてくれています。今年はオペラッタ劇団の方々が高知県唯一の木造芝居小屋ゆすはら座(昭和23年建築)でミュージカルを披露し、終了後には町民のみなさんから惜しみない拍手が贈られました。劇団員の方々も、歴史ある舞台で公演できてよかったと笑顔で帰って行かれたのがとても印象的でした。
このような機会を通じて、西宮で様々な活動をされている方たちのことを知ることにもなり、都会といわれている西宮ではモノが溢れすぎて近くても見えていないこともあるのだと改めて感じました。
ゆすはら応援隊
高知県では、都会などから移住して地域活動の推進役となる若者が「高知ふるさと応援隊」として活躍しています。梼原町は平成24年から「ゆすはら応援隊」を立ち上げ、友好交流都市である西宮市からの採用を中心に行っています。卒業者を含むと現在まで9名が隊員として活動し、そのうち6名が西宮市出身です。
ここで卒業者(全員西宮市出身!)の3名のその後を披露しましょう。1名は梼原で縁に恵まれ結婚し、埼玉へ。2名は卒業後も梼原で就職しています。右も左もわからない土地で住民の方々との交流を大切にしてきた3人の開拓者がいてこそ、応援隊の信用と周知度が高まり後輩の私たちが活動できているように思います。梼原の人は優しく、よそから来た若者を放っておけないのか食品をわけてくださることも多く、みんな肥えていくのが伝統となっていること、そして埼玉にいる先輩も結婚してもなお、梼原に住み続けたいと言っていたことからも梼原は居心地の良い場所だと言うことがわかります。
私の応援隊としてのお仕事の一部を紹介します。
今、私は越知面区(おちめんく)という地区で地域活動のサポートをしています。ここでは地域を元気にしようと頑張っている婦人部のみなさんがピザやシフォンケーキを焼き、週1回はカフェを開いて地域内外の人たちの交流の場を提供しています。私もこちらのお手伝いを微力ながらさせてもらっています。お母さんが6人増えたみたいに、楽しく活動させてもらっています。
また、4月からは西宮市のコミュニティラジオ局さくらFMでゆすはら応援隊の番組も始めました。名づけて「ハロー高知家 ゆすはラジオ」。毎月西宮へ行き、収録します。10分番組ではありますが、梼原で自分が感じたことや考えたことなどを通じて梼原の魅力を伝えるために何を話そう?といろいろ考えながら西宮在住のゆすはら未来大使、シンガーソングライターのう~みさんのお力も借りて頑張って作っています。
振り返ってみたとき、梼原と西宮との交流は関西の梼原出身者を中心とした市民同士の交流から文化交流へ、そしてわたしたち応援隊のように西宮から梼原への移住へと深まりを見せており、そうした歴史の中でこれまで交流してきた人たちの数は数えきれないと思います。これからも50年、100年先へと続くことを願っています。
私もいずれ応援隊の卒業を迎えるわけですが、梼原と西宮との交流を支える一人であり続けたいと思っています。これからも様々な縁によって手繰り寄せられた「ふるさと梼原」で感謝の気持ちとともに活動を続けていきます。
文:ゆすはら応援隊 大深育子