「アートで地域活性化を!」
近年よく聴くフレーズであり、時代の一つの流行と言っていいかしれない。公共事業で経済を潤した高度経済成長の時代はとっくに過ぎ、国庫が厳しく多大な支出を被るインフラ整備が難しい中、成熟社会の試みとして理には適っているとは言えるだろう。地域資源とそれを持つ場所を再評価し、それを活かした芸術により魅力や活力を生み出そうという試みは全国津々浦々で見受けることが出来る。
特に震災や原発事故で今も多数の避難者が存在し、様々な分断を生じた福島県では、人々を繋ぐピースとして「文化」や「芸術」が着目され、それを担う活動に関心が向けられている。いや、そもそも会津は日本の原風景が残存する雪深い地域として注目を浴びながら、その中山間地の区域は日本で屈指の高齢化率の高い過疎地区であり、その対策は喫緊の課題とされてきていた。
そんな中、特にその企画力と発信力により内外から注目され、町の魅力と活力を生み、外部から人を集約する機能を果たしつつあるのが『西会津国際芸術村(略称NIAV)』である。その活動を二回に渡ってレポートしたい。
町の持続可能性を具体化する試み、創造的過疎
まず、西会津町の統計データを目にしよう。
福島県の西端、新潟県に接した場所に位置し、人口推移を見ると、昭和25年の19,611人をピークに、国勢調査推計によると2017年1月1日現在6,382人となっており、生産年齢人口(15歳~65歳未満) 2,986人で46.8%、老年人口(65歳以上)2,857人で44.8%、典型的な過疎高齢化の自治体である。
※1. 人口の推移と構成は総務省及び国立社会保障・人口問題研究所のデータ
http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001007405/1
※2. 西会津町企画情報課が平成27年12月に策定した「西会津町まち・ひと・しごと創生総合戦略」
https://www.town.nishiaizu.fukushima.jp/soshiki/2/26.html
どこの地方にも共通する過疎化・高齢化。
そんな中、キーとなるのが『創造的過疎』であろう。すなわち過疎化を与件として受け入れ、外部から若者やクリエイティブな人材を誘致することで人口構造・人口構成を変化させる、或いは多様な働き方や職種の展開を図ることで働く場としての価値を高め、農林業だけに頼らない、バランスのとれた持続可能な地域をつくろうという考え方である。
簡単に言えば、人口減少を止めようではなく、たとえ少なくなったとしても身の丈に応じた、しかも知的・文化的に活気があって若者にも魅力ある町を目指そうという試みである。
西会津町でそのクリエイティブセンターとしての役割を担おうとしているのが国際芸術村である。
そもそも国際芸術村は2002年に廃校となった木造校舎(旧新郷中学校)を、海外より芸術家を招いてアトリエ兼住居として活用してもらい、毎年10月の一般公募展開催イベントとして運営されてきた。
それが2013年度、ランドスケープデザイナーとして海外で活躍していた矢部佳宏さんが帰国してコーディネーターに赴任してから徐々に変貌することになる。
現在スタッフは常勤5名に加えて滞在アーティスト2名を合わせると合計7名。
私が初めて訪問した頃は広い館内を一人で運営されていたのと随分変わり、新たな事業の打ち合わせや準備で常々活気があり、笑顔が絶え間ない。これまで在籍したスタッフの経歴も、デザイナー、木工家具職人、農家、アーティスト等々専門や出身も様々、来春には地域おこし協力隊制度を利用しての増員も計画されている。
活動はアーティストインレジデンスやギャラリー、ワークショップ、グリーンツーリズムなど多岐に渡る(図参照)。また、自由に過ごせる無料休憩所として館内に設置された「じぶんカフェ」は、UIターン者の憩いの場・世代を超えた交流の場として、いつ訪問しても賑わっている。
山間の集落にある文化施設がゆえに出来ること、必要なことは
「山あいの静かな集落にたたずむ当芸術村では、自然と人間の付き合い方を見つめ直しながら、古来培われてきた伝統的な里山の暮らしの知恵を再評価し、古くて新しい価値観による文化的なライフスタイルを探求しています。そして、地域の持続可能性を模索するため、“芸術”を広く人間の暮らしを支える“技”や“知恵”としてとらえ、地域が失いつつある歴史・風土・民俗・文化・伝統技術をデザインやアートの持つ創造の力と融合し、発信していきたいと考えています。」
これが対外的にも発信する国際芸術村のコンセプトである。
アーティストやデザイナーにとって農山村は発想の宝庫である反面、そこに住む方々にとっては芸術と言われても少し距離があり、何らかの企画があっても「なんか変わったことしているな」と思って見過ごされる場合がほとんど。言葉は悪いが、関係者だけが盛り上がって自己満足に終始し、持続的効果に繋がるかというと疑問符が付く場合が多い。
そのギャップを埋めるには、まず「芸術」「アート」の定義を見直すことから始まると矢部さんは言う。
「そもそも限られた予算と設備で運営するので、各々の事業や取り組みに地元の方々に協働をお願いする場合が多くなってきます。また、地元の側も人材に乏しいので、時には逆にお仕事を請け負わせてもらうこともあります。効果の見えにくい文化施設の活動が認められるには、そのギブ&テイクを丁寧に、しかも年数かけて積み重ねる必要があるのですよ。」
更に、国際芸術村が繋ぎ手となって町内外の他事業と幅広く連携されているのも特徴である(図参照)。ただ、その点には注意も必要で、必ず事前に協議の上、国際芸術村の運営指針にマッチングすれば受け入れるというスタンスは大切にしているとのことである。
お話しを通して感じたのが、ここは運営指針のコンセプトがしっかりしており、適切な判断をするマネジメント力が備わっているということである。もちろん予算や人材獲得の問題とも関わり、営利団体でないためどうしても文化施設ゆえに補助金と分けられないが、有意な事業継続には発想力や企画力のみならず、高い経営能力が必須アイテムであることは銘記しておくべきだろう。
解に近いものを共に見つけていく場づくり
矢部さんへの質問を続けた。
――ご自分の考え方や発想は、帰省当初より町に伝わったでしょうか。
「もともと10年間は誰にも理解されずに友人もいない、独りぼっちになることを覚悟して戻って来たのですよ。」
と笑われる。
「でも、たまたま時代の趨勢が地方を創生させることに関心が向かっていたことと、町で国際芸術村に担当になった職員の方がとても理解力あり、協働してくれたことにより、一気にその部署での理解が進みました。その意味では恵まれていると思います。」
そう、今ではジョセササイズは日本全国で名が通るようになったが、実はその発信地がここ西会津国際芸術村なのです。「除雪(=ジョセツ)」+「運動(=エクササイズ)」を組み合わせた造語だが、それを発案したのは、当時の町商工観光課に他の自治体から派遣されて配置されていた芸術村担当職員で、どうやったら実現できるかを一緒に考えることができたことが大きかったという。
「自分もそうだけど、この町に先祖はありながらも、ずっとこの町で生まれ育ったわけでなく、適度な距離があることがよかったのかもしれませんね。」
そして、私自身も身につまされる話しを続けられる。
「地域活性化や持続可能性は近年よく話題にされますが、その際の論点になる事はかつて研究して論文作成時によくよく考えたことなのですよ。そもそも地域活性化には正解はなくて、その場その場でよく考え、短絡的に答えを急がないことが重要なのです。」
「正解がないということが分かれば、デザインもアートも地域活性化も、正解に近いものを見つけていくというプロセスが大事だと分かります。地域は人の集合体なので、前に進もうという人材が多くいることが重要で、アイデアそのものよりも、アイデアを生み出す過程を多くの人と共有することが大切なのです。だから、我々の任務は、一言で言うと“多様な人が集まる場づくり”なのです。」
実際、今までの取り組みやプロジェクトを聴かせてもらうと、ほとんどが国際芸術村スタッフとその関係者が地域との人々と触れ合い、聞き取り、知るうちに浮かんだ思い付きを遡上に挙げ、話し合い、具体化したものであり、内容もバラエティに富んでいる。
例えば、昨年度に隣町の三島町と共同で行ったプロジェクト「幻のレストラン」。そのプロセスと本番の模様を見るとイメージも沸くかもしれない。
http://asttr.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=mxixe_vnPAA
「人と創造が集う場づくり」に向けてのステップ
――町の現況に関してどうお考えですか?
「高齢化率が高くて限界集落などと悲観的な見方をされますが、その状況に負けまいと“西会津国際芸術村”や“西会津若者まちづくりプロジェクト”などが中心となって、様々な新規プロジェクトが立ち上がってきています。また、人口7000人弱の町ではありますが、40にも及ぶ地域活性化団体があり、高齢者が頑張っている地域でもあるのです。」
ただ、その団体が各々頑張られるものの、横の繋がりが薄く、外部発信に乏しかったのが過去であった。
でも、矢部さんが赴任してこの4年間で変わってきている。
「やはり外に見せる技量は大切で、それを担うのがデザインの仕事です。しかも、来訪してくれた方にいかに居心地がよくて、自由に創作できる雰囲気を伝えるのかも重要だと考えています。」
確かに、ここで活動したアーティストや音楽家の友人も居るが、彼らが共通して述べるのが「居心地の良さ」。そもそも環境は抜群である。そこに資材は限られているが、自らの活動の意図を理解して、バックアップしてくれるスタッフに対する信頼感であろうか。リピートを繰り返してもらうことにより、町民との交流が生まれ、そのフリクションから新たな発想が生まれていっている。
「結局地域活性化に一番重要なのは人材なのです。」
これは私の個人的な体験からも強く頷ける言葉と言える。
そのためスタッフには基礎の考え方は随時よく説明するようにしており、更なる人材育成プログラムの提供は、近い将来の国際芸術村の一つの機能として検討しているとのこと。
そして、『人と創造が集う場づくり』と題して、交流人口拡大・移住定住へ向け、実際の取組みと照らし合わせてのステップも説明してもらった。
町との関わりの深さにより、①知る→②遊ぶ→③関わる→④暮らす→⑤学ぶ→⑥未来を創る、という6段階があり、それぞれの各段階と実際の取組みと照合しつつ、積み上げていく構図が描かれている。
これをスタッフ間で共有することにより、国際芸術村の活動が生み出されているのである。
次回は具体的な取り組みをピックアップし、その関係者の方々の活動をレポートさせてもらいます。
文:阪下昭二郎