ローカルニッポン

「あわ焼」という物語のはじまり/西山光太さん

皿や湯呑み、めし碗、花器など、身近な暮らしに温かみや彩りを加える陶器。実用性だけでなく、産地や素材、焼き方に至るまでアート作品としても幅広い楽しみ方があります。千葉県館山市の里山にて独特の作品を作り出すのは陶芸家の西山光太さん。東京、千葉、長野等で多くの個展を開催する西山さんですが、館山に移住して7年目となる今年、とある長期的なプロジェクトが動き出しました。陶土の産地ではなかった南房総でどのようにして「あわ焼」が生まれたのでしょうか。若手作家が地方で出会い辿りついた新しい目標を取材しました。

独自の作風を探究した10年間

西山さんは神奈川県相模原市出身。東京の大学にて陶芸を専攻し、研究生までの期間を制作に没頭した後、相模原にある実家に築窯して陶芸作家としての道を歩み始めました。

陶土を乾燥させる西山さん

“陶芸といっても、作家として個人で器をつくる人、産地の窯元で職人になる人もいますし、または陶芸教室を営む人もいます。僕の場合は大学の研究生までに色々な産地を周り、特に「やちむん」で知られる沖縄の窯元には、風土も含めてとても魅かれていたのですが、その頃はとにかく自由に作品を作りたい気持ちが強くて、熟慮した結果、研究生修了後すぐ独立しようと決心しました。もともと朝から晩まで制作に没頭してしまう方でしたが、自宅に窯を作ってからは完全に引きこもりでしたね(笑)。”

旧友の縁が館山をつなぐ

時より冗談を交えながら当時を振り返る西山さんですが、大学卒業後も制作に明け暮れて6年が過ぎたある日、久々に顔を合わせた中学時代の友人との再会がその後の制作活動の転機となりました。

“カナダで料理の修行をしていた中学時代の友人が帰国して、僕の展示会に来てくれました。その時に花入れをその友人のお母様へのプレゼント用に買ってくれたんです。そしたら、その花入れをお母様がとても気に入ってくれて。その縁でお母様が展示会に来てくれた時に「千葉の館山に、夏の家として使っていた家が今空いているんだけど、よかったら使ってみない?」と言う話をくれて、即答で「行きます!」と。その頃は、はたして館山がどんな所か何も知らなかったんですが(笑)。”

館山市の香(こうやつ)にある西山さんの自宅兼窯場  里山に囲まれているが、歩いて5分の距離に海がある

“もともと相模原の住宅街での制作環境だったので、年々どこか自然豊かな場所へ移住は考えるようになっていました。今や陶芸材料はどこに住んでいても手に入るので、陶土の掘れる産地に住む必要性も僕には無かったので。特に知り合いもなく漠然と海のイメージがあるだけの館山が、むしろ新天地という感覚にはピッタリだったのかもしれません。”

ゼロから育まれた地域コミュニティとかやぶき古民家での個展

館山に移住してすぐに窯を建てた西山さんは、その後も各地で個展や企画展を重ねて行きますが、地元住民との輪が広がるにつれて地域で活動する機会が増えていきます。

“移住してから、広がっていく人と人との繋がりに、それまではあまり経験したことがなかったような地方ならではのリアリティも感じましたよ。初めて会ったときには「あんだおめぇ」と無愛想だった漁師さんが(笑)今では家族のような関係になったり、毎年神輿を担ぐ夏祭りには地元の人と肩を並べてコミュニケーションがとれる楽しい機会です。移住者も多く、ものづくりやお店を構える人も沢山居ます。人は確かに少ないのですが、だからこそ一人ひとりの出会いを大切にでき、南房総という広域で豊かなコミュニティが育まれているのではないでしょうか。”

京王百貨店新宿店で開催した個展のDM

“その後、結婚して、息子も生まれ、館山での暮らしにも慣れて来た頃に、隣地区のかやぶき古民家での個展の依頼をいただきました。地域内で最後の一軒となったかやぶき古民家は千葉大学建築学科岡部研究室(現東京大学)の研究活動の一環で修復が進められていましたが、現代的な利活用方法として、このかやぶき古民家をギャラリーに見立ててみようというアイディアが生まれたそうです。元々このかやぶき古民家のリノベーション活動に参加していた縁もあり、個展に繋がった形です。東京から、地元から沢山の人が足を運んでくれたこの個展は、東京で開催するのとはまた違った充実感がありました。”

NPO法人南房総リパブリックによる「南房総WEEKS」の中のイベントとして開催された「かやぶきゴンジロウ」での個展

暮らしに対する価値観と作風に現れた変化

2014年千葉大学建築学科岡部研究室が空間演出を行った「かやぶきゴンジロウ」での個展は、西山さんの地域に対する考え方をより深め、一連の出来事は作品づくりにも影響を及ぼすことになりました。

文様を施した徳利

“ローカルに暮らすということ、家族を持ったこと、移住してきてからの様々な人たちとのコミュニケーションを経て、意識せずとも、自分も器も変わっていったと思いますね。幅が広がったというか。作品単体での表現の追求は相変わらず楽しいのですが、普段使いの器づくりの、伝えやすさや届けやすさのようなものも知るようになりました。”

南房総の粘土100%の「あわ焼」に見事成功

南房総地域内でも様々な企画に出展することのある西山さんですが、今年4月に行われたのが「南房総の暮らしをつくるデザイン&クラフト展」。手仕事の地産地消をテーマに南房総の素材を使い南房総ならではの暮らしを考えるこの展示会において、西山さんは新しい焼き物、「あわ焼」を発表しました。

木工家と陶芸家、建築家の3人が地元の素材を利用した作品の展示をおこなった「南房総の暮らしをつくるデザイン&クラフト展」

“南房総の土は陶器には不向きという話は以前から聞いていました。耐火度が低いために焼き上げると溶けたり歪んでしまうことがその理由の一つです。市販の粘土と混ぜ合わせて使うことは簡単ですが、それではこの展示会の趣旨に応えられないので何とかして南房総の土100%の器を完成させたいと思いました。まず初めに、どこで掘るかだったのですが展示会企画者の岸田さんが鴨川市釜沼の林良樹さんを、木工家の今井茂淑さんが鴨川市金束を拠点とする画家の宮下昌也さんを紹介してくださり、地主の了解も得て、幸いどちらの山からも良質な粘土を採掘することができました。”

鴨川で採掘された重粘土の土 赤く染まった線は草木の根が呼吸した跡だという

“両方とも確かに通常の温度では溶けたり歪んだりしてしまいます。ただそれは普段の自分の窯の温度域に合わせようとするからで、窯に合わせるのではなく、土に合わせればいいのではと。何窯か失敗をくりかえし、温度を探していくうちに、ようやく丁度良さそうな温度が見つかりました。水漏れも無くしっかり焼きしまっていて、想像以上の出来に感動しました。南房総の別称である安房(あわ)から「あわ焼」と名付け、なんとか完成した形を南房総の展示会に間に合わせることができました。”

「あわ焼」をプロジェクトとして広めていきたい

南房総の地名が記された陶土と焼き上げられた陶器が横に並び、大きな反響を受けて幕を閉じた展示会でしたが、その後西山さんは「あわ焼」を一つのプロジェクトにしていけたらと語ります。

あわ焼  溶けて歪んだ試作品が完成までの工程を覗かせる

“「あわ焼」を探求している時に、学生時代に行っていた新潟県湯之谷村(現・魚沼市)の人々との交流合宿を思い出しました。大学時代の恩師、故高橋紘先生が「米を作る人の思い」と「器を作る人の思い」をテーマとして20年前に始めた交流で、まず村の休耕田から粘土をいただき、その原土から村の住民全員分(8000個程)のめし碗を作る。そのめし碗を持って、秋の収穫の時期に学生たちが村へ贈呈し、村からは収穫したての新米をいただき、ホームステイ等を通して村との交流を行う、というものでした。南房総の土で器を作る工程で、あの交流にかけた先生の思いに触れたように感じました。”

“今回、房総の土で焼けた器を発表したことで、「今度うちの山も掘ってみませんか?」という声も沢山いただくことができました。粘土は山系によって質が全く変わってくる可能性があるので安房地域の色々な場所の粘土を焼く事が出来たら嬉しいですね。「あわ焼」に関しては、地域産業のプロダクトとしての可能性なども感じていて、自分の作家性とは異なる一つのプロジェクトのような形で進められたらなとも思っています。いずれにせよ、じっくりと時間をかけて色々とできることを試していきたいと思っています。”

鴨川市の山奥で土をサンプリングする西山さん 採掘した現場の環境に対する配慮を欠かさない

一般的な陶器と比べて利便性においても遜色のない「あわ焼」が完成した今、その展開は次なる検討の余地があります。西山さんがこれをプロジェクトとして進めたい理由の一つには、多感な学生時代に影響を受けた恩師の取り組みが関わっていました。図らずも移住した先で、人との関わり方や暮らし方が自然と変化していったという西山さんの出会いや思索、制作の過程が「あわ焼」として結実しました。今後「あわ焼」は地域内外の多くの協力者とともに新しい物語を書き進めていくことでしょう。

文:東 洋平