ローカルニッポン

特区条件の壁を地域で乗り越え第一号濁酒(どぶろく)が完成

書き手:東洋平
千葉県館山市在住のライター。2011年都内の大学卒業後に未就職で移住する。イベントの企画や無農薬の米作りなど地域活動を実践しつつ、ライターとして独立。Think Global, Act Localがモットー。

濁酒と書いて「どぶろく」。米と米こうじと酵母、そして水を原料として発酵させた日本酒の原型にあたる酒で、古くから酒蔵だけでなく個人でも造られ嗜まれていました。明治時代に酒税法が制定されてからは許可なく製造することが禁止されましたが、2002年に設けられた構造改革特区制度により特別区域(通称どぶろく特区)にて製造が認められるようになります。2012年11月に認定されたのが千葉県南房総市。5年の歳月をかけて2017年冬、第一号となる濁酒「伊予ヶ岳」が誕生した今、製造に至った経緯や地域活性化への展望に迫ってみたいと思います。

地域への思いで醸した良質な味わい

今回、特区を活用して濁酒製造を実現したのは南房総市平群地区で飲食店「和光食堂」を営む川名光男さん。2017年10月23日に製造許可を正式に受けると11月と12月の2回に分けて川名さんが育てた米をもとに材料が仕込まれ、地域の名峰から名付けられた濁酒「伊予ヶ岳」が蔵出しされました。

和光食堂を営む川名光男さんと息子の義人さん

和光食堂を営む川名光男さんと息子の義人さん

和光食堂 川名光男さん:
“それは感慨深かったですよ。最初に申請したのは2014年。そこから申請書を何度も修正して3年かけて許可がおりましたから。しかし、問題は旨い濁酒ができるかどうか。すると国税庁で行われる品質検査で「良」を取ることができました。初回にしては異例の味だと評価を受けまして、頑張った甲斐があったなぁと。これも地域の協力者の方々のおかげです。”

後述しますが、濁酒の製造は申請の条件や提出書類の審査が厳しく、また米づくりから醸造までセットで担うハードルの高さから申請者が現れませんでした。そんな中、平群地区を代表して休耕田の再興を目的に名乗りをあげたのが川名さん。地域内賛同者による「応援する会」が立ち上がり、書類の作成や米づくりの作業をサポート。この協力体制があったからこそ濁酒は完成に至ったとのこと。

南房総市平群地区のシンボル「伊予ヶ岳」 山容から房総のマッターホルンと呼ばれることもある

南房総市平群地区のシンボル「伊予ヶ岳」 山容から房総のマッターホルンと呼ばれることもある

“濁酒の製造は自分で作った米に限られ今年は実験的に量も少なかったこともありますが、味も良いと評判で蔵出ししてすぐに完売になってしまいました。中には伊予ヶ岳に登ってから店によって濁酒を一杯やりにきたという登山客もいましたね。地域の味として都会の人に楽しんでもらう価値は高いと肌で感じましたし、南房総市で我々の他にも製造する人が現れれば、味の幅も広がってさらに喜んでもらえるようになると思います。”

日本で唯一の料理の神様を祀る地の「どぶろく特区」

初の製造を終えて次々と市内に製造者が増えてほしいと語る川名さん。それでは、なぜ申請する人が少なかったのでしょうか。南房総市が特区を取得した経緯も含めて担当課である企画財政課に聞いてみました。

南房総市役所企画財政課の皆さん 「たかべのふるさとどぶろく特区」の認定書を手に

南房総市役所企画財政課の皆さん 「たかべのふるさとどぶろく特区」の認定書を手に

南房総市役所企画財政課 相川健吾さん:
“南房総市は日本で唯一の料理の神様を祀る高家(たかべ)神社があり、古式料理を振る舞う民宿などもあります。そこで日本酒の原型である濁酒を民宿や飲食店が自ら造ってお店で提供することにより、観光ブランドの力を高めて地域の活性化につなげたいという狙いがありました。そこで2012年に「たかべのふるさとどぶろく特区」という名で認可がおりたわけですが…。”

立ちはだかる許可申請の難関

ここで申請に必要な書類や条件を一通り聞いて驚きました。申請者は宿泊業や飲食業を営み、同時に農地を営農している人に限られ、また3年分の経営状態を調べられるほか、厚さ5cmにも及ぶ書類を提出する必要があるのです。そして極め付けの関門は、醸造所で専門家から研修を受けなければならないこと。つまり許可がおりるだけでは販売できるまでには至らないのです。

南房総市役所企画財政課 相川健吾さん:
“2012年から市は説明会を行っており、当初は20人ほどの参加者がいたのですが、こうした条件や審査内容の煩わしさからどんどん希望者が減って、その後はほぼ問い合わせもない状況だったようです。そこで私がちょうどこの課に配属となる年に川名さんが手を挙げられたのですが、一点重要な課題が浮上することに。酒造免許のある場所で専門家による研修を行わなければならなかったのです。南房総市には営業している酒蔵がなく、研修するために1週間も遠方まで通わねばなりません。これは申請者にとって負担が大きすぎます。”

南房総市役所 相川健吾さん

南房総市役所 相川健吾さん

“そこで何か対策はないものかと思案していた頃です。地元青年会の会合で、今は酒を造っていないが酒造免許のある酒屋があるということ、そして千葉県御宿町の酒蔵で蔵人(お酒を造る職人)をしている南房総市民がいることを聞きました。もしかするとこれはチャンスかもしれない。早速人づてに探してみると、蔵人の木曽洋さんとつながることができました。そこでお願いをしてみたところ講師を担当していただけることに。この酒屋と木曽さんの存在がなかったら濁酒製造の道は未だに切り開かれてなかったかもしれません。”

蔵人が酒造りにおける管理のポイントを伝授

こうして白羽の矢が立った木曽洋さんが講師を引き受けることによって晴れて2017年の7月に1週間にわたり研修が行われ、川名さんや応援する会の方々が参加して濁酒製造について学びました。品質検査でも異例の評価を得たという「伊予ヶ岳」ですが、製造過程でのポイントはどこにあるのでしょうか。

岩瀬酒造蔵人 木曽洋さん:
“日本酒と濁酒の大きな違いは、蒸した米と米こうじや酵母を混ぜて発酵が進んだあと、醪(もろみ)と呼ばれる液体を濾(こ)すか濾さないかという点です。濾せば日本酒になり、濾さなければ濁酒です。そのため作り方はほとんど同じなんです。最も大事なことは、毎日同じ時間に室温や品温を記録し、また実際に味わうことで、醪の状態を確かめることですね。また、酒造りは原材料を超えることはできないというのが私の考えです。「伊予ヶ岳」の場合、平群地区のお米は美味しいことと丁寧な管理が良質な味わいに繋がったのではないでしょうか。今後は伊予ヶ岳の伏流水を使うという話も上がっているようなので楽しみです。”

千葉県御宿町の岩瀬酒造で蔵人を務める木曽洋さん 岩瀬酒造は「岩の井」という日本酒で知られている

千葉県御宿町の岩瀬酒造で蔵人を務める木曽洋さん 岩瀬酒造は「岩の井」という日本酒で知られている

木曽さんは京都に生まれ育ち京都でお酒について学びましたが、結婚とともに奥さんの実家である南房総市白浜に移住、岩瀬酒造で蔵人を務めることになりました。濁酒特区については、ぜひ今後も応援したいとのこと。良質な濁酒を造るための専門家が地域内にいることは心強いことでしょう。

濁酒「伊予ヶ岳」で地域のシンボルを発信したい

それでは最後に、南房総市濁酒第一号「伊予ヶ岳」を製造する川名さんより、来季に向けた抱負をお聞きしてみたいと思います。

濁酒「伊予ヶ岳」 白濁しているのが醪(もろみ)を濾(こ)さない濁酒の特徴だ

濁酒「伊予ヶ岳」 白濁しているのが醪(もろみ)を濾(こ)さない濁酒の特徴だ

和光食堂 川名光男さん:
“初年度の濁酒はお店でしか提供できない条件もあったんですが、保健所の許可がおりたので今年10月から造る濁酒はラベルをつけて瓶詰めで販売することもできるようになりました。米の生産量や施設の大きさに限りがあるので大量には造れません。しかしこの地を訪れた方に地域の味を楽しんでもらえるように、そしてこの濁酒が地域のシンボル「伊予ヶ岳」を知ってもらうきっかけになるように育てていきたいと思います。”

2012年に「どぶろく特区」に認定されてから一時は活用の目処が立たなかった状況から、川名さんと応援する会はじめ、それぞれの人の思いがつながって誕生した南房総市濁酒第一号「伊予ヶ岳」。次回の蔵出しは冬まで待つ必要がありますが、初年度で好実績を収めた川名さんは経験を重ね、ますます美味しい濁酒を製造なされるに違いありません。平群地区の濁酒を飲んでみたい方は来季の製造にご期待ください。また南房総市内で濁酒製造に興味がある方は市役所企画財政課にお問い合わせを。条件は厳しいですが、許可申請には経験者から助言を受けることもできます。日本で唯一の料理の神様を祀る南房総から、日本酒の原型でもある濁酒の製造者が増えていくことは南房総のブランド力を底上げすることでしょう。

文:東 洋平

<濁酒「伊予ヶ岳」販売店情報>
店舗名:和光食堂
住所:〒299-2204千葉県南房総市平久里中654
電話番号:0470-58-0955
営業時間:11:30~20:00
定休日:水曜日