全国各地の農山漁村には、地域おこし協力隊員として活躍する人たちがいます。千葉県夷隅地域でも多くの隊員が活動する中から、これまで旧老川小学校のイベントにコラボしたこともある二人を紹介しましょう。夷隅郡大多喜町の伊藤緩奈さんと市原市の高橋洋介さんです。
地域おこし協力隊とは総務省が 2009 年に開始した制度で、過疎などに悩む地域に外から人材を新住民として受け入れて、地域活性化などの活動に携わってもらおうというものです。任務期間は最大で3年間。この間は、受け入れ機関となる地方公共団体の委嘱職員という形で給与や活動経費が支給されます。地域に根ざした活動を経て、任務完了後はその地域へ定住してもらうことが、この制度では期待されています。(市原市は過疎地域等の指定を受けていないものの、少子高齢化、過疎化が進行する市南部地域に独自に協力体制度を導入しています。)
2017年度の全国の協力隊員数は 4976 人、委嘱元の地方公共団体は 997 ヶ所にのぼりました。地域がさまざまに抱く課題に対して、「ヨソモノ・ワカモノ」が、これまでとはひと味違う発想で取り組んでいく地域おこし協力隊。伊藤さんと高橋さんは、それぞれの地でどんな新しい風を吹かせているのでしょう。
タケノコの里・大多喜で竹の活用に取り組む
2018 年 4 月から大多喜町の地域おこし協力隊員を務める伊藤さんは、千葉県船橋市の出身。「自然に近い所で生活したい。自分が食べる野菜も作れたら」「千葉のもう少し田舎の方で」と考えていたことから、大多喜町の「竹林整備の協力隊員募集」を知って応募を決めました。町の名所である養老渓谷は、前から行ってみたかった場所でもあったそうです。
タケノコの里として名高い大多喜町ですが、近年は手入れされずに放置された竹林が目立つようになっています。タケノコのほかに、竹材としても重宝されていた大多喜の竹。特に東京湾沿岸部では、かつて海苔の養殖の資材用に大量に利用されていました。しかし竹が用途を失うにつれ、竹林は荒れてその面積を徐々に広げ、耕作放棄地や植林地の中にも侵入してひどいやぶを形成しつつあります。
「良質のタケノコを採るにも竹林整備が欠かせませんが、では切った竹をどうするかが問題です」と語る伊藤さん。「やっかいものになってしまった竹を、うまく資源として使える方向にしていきたい」と考え、竹を物作りの材料として、食材として、また炭として利用する、さまざまな試行錯誤を続けてきました。
18 年 5 月に旧老川小学校で開催した「竹細工、ひご作りからはじめる竹かごづくりワークショップ」では、地元の竹細工名人の技に触れました。その後、「竹割り同志会」と名付けた有志のクラブ活動を立ち上げ、月に一度みんなで集まって教え合いながら、まずは竹ひご作りの技術取得から取り組んでいます。また孟宗竹の太さを生かした竹灯篭や、竹に切り込みを入れて作る木琴のようなスリットドラムという打楽器など、竹で作れる物にはなんでも挑戦しつつ、それを体験イベントの企画に生かしています。
伊藤さんは伸び過ぎたタケノコをメンマに加工して地域の名産品として育てる試みや、竹林整備で出る竹をパウダーや炭にして畑の土壌改良に役立てる試みも行ってきました。竹炭のつくり方は同県長生郡長南町で放置竹林の問題に取り組む NPO 法人竹もりの里のワークショップに参加して学びました。
約 4000 平方メートルの竹林を借りて整備する計画も進行中です。大多喜町が現在進めている、手入れが行き届かない竹林を他の人に貸し出して整備と利活用を推進するという制度を通して竹林を借り受けました。「イベントなどを企画して、いろいろな人の手で一緒にやっていきたい。私のような経験者ではない人間でも竹林整備はできるんだ、というモデルケースをひとつ作りたい」と伊藤さんは張り切っています。
ハルイチバンプロジェクトで菜の花畑を楽しみ尽くす
高橋さんは、2017 年 4 月から市原市南部の加茂地区で地域おこし協力隊員を務めています。日本有数の工業地帯である市の北部とは対照的に、中山間地が広がる南部は過疎化が著しい地域です。もともと市北部の出身の高橋さんは東京でグラフィックデザインの仕事をしつつ、いずれはUターンしようと考えていました。しかし市の協力隊員の募集を見て前倒しを決めたそうです。
活動地区だけは決まっていたものの活動内容は自由とのことで、「面接では、何をやるかは自分で見つけるので半年間はその時間に当てたいと希望しました」と振り返ります。就任したのは、ちょうど養老渓谷沿いを走る小湊鉄道の沿線に菜の花が咲き誇る春。鉄道終点の養老渓谷駅近くの石神集落の人たちが、車窓の景色をきれいにしようと 10 年前から沿線に菜の花を咲かせていました。2.5 ヘクタールの休耕田で、80 代前後の地域の人たちが全くの手弁当と手作業で続けてきた取り組みです。
6 月、高橋さんは種の収穫作業に加わったのをきっかけに、自身の役割が見えてきたといいます。「高齢化で『菜の花はあと 1、2 年で終わりだな』というぼやきを聞いて、継続させるのがぼくのやることだ、と。これまで鑑賞用だけだった菜の花ですが、どうお金が生まれる仕組みにしていくかを考えたいと思いました」。そして浮かんだのが、「油を搾る」というアイデアでした。
「可能性をすぐに示したかった」と、1 年目から商品化に踏み切りました。収穫した 150 キロの種から 50 キロの菜種油を搾り、ハルイチバンと名付けた商品 100 本を完売。びんのラベルはデザイナーの腕を生かして自身でデザインし、また商品の背景を写真と共に解説した冊子「ヨムハルイチバン」を制作して添えました。売り上げは、菜の花畑を耕すのに必要なトラクターの購入に役立てました。今後は「これまで手弁当で畑の世話をしてきた地域の人に報酬を出せるようにしたい」と、事業としての成立を見据えています。
2 年目となる今年は菜の花畑オーナー制度を開始する計画です。9 月を年度始めとして、9 月に種を播き、3 月に花を楽しみ、6 月に種を収穫、搾りたてのハルイチバンでポテトチップスを作って味わう、という年間プログラムをオーナーに提供していきます。このジャガイモ掘り体験付きのホテトチップス作りは、昨年 7 月に旧老川小学校で開いたワークショップでさっそく実現してみました。搾りたての菜種油の香りと風味に参加者から驚きの声があがったそうです。
「ここへ来て、かかわってもらう」から始まる地域おこし
「油の生産量は増やさず、搾りたてを 100 本限定としてブランドを守っていきたい」と高橋さんは考えています。そのかわり目指すのは、「100 人に対してもっと価値を高めたプログラムを提供していく」こと。それは、地域の人たちが大切に守ってきた菜の花畑とのかかわりの体験を商品にするという考えです。「アイデアは尽きない」と笑う高橋さんは、満開の菜の花畑の真ん中でハルイチバンや地の食材を使った上質のランチを食する、という屋外 1 日レストランの企画も進めています。(タベルハルイチバン 菜の花畑の真ん中で https://www.facebook.com/events/400008430765587/ )
「名所訪問という従来の観光を超えて、こだわりの食のために出かけてくれる人をターゲットにしたい」と展望を語る高橋さんに、伊藤さんから「タケノコのオイル漬けを一緒に開発しましょうよ」とアイデアが飛び出しました。そして、「とにかく、ここへ来てもらいたい。地域とのかかわりを深めるなかから移住したいという人が出てきてくれたら」と期待する高橋さんに、「移住はできなくても、海外では、その場所を訪ねるのを楽しみにしてくれる人が地域の取り組みのスポンサーになって寄付をする、という文化がありますよね」と伊藤さんが言葉をつなぎます。
学業や仕事でアメリカ生活の長かった伊藤さんは、現在も翻訳の仕事を続けています。「本業が確保できているからこそ安心して自由な発想で竹林整備に取り組める」といいます。いっぽう高橋さんは、事業として成り立たせることを目指しています。移住希望者に空き家を案内して、移住後も継続して暮らしをサポートしていくことを事業にしようという計画も進行中です。旧老川小学校のコワーキングスペースで顔を合わせることが多いという伊藤さんと高橋さん。それぞれの持ち味を生かした協働のなかから、これからも地域おこしの新しいアイデアが生まれて来そうです。
文・写真 下郷さとみ