ローカルニッポン

小高はここから始まる「小高つながる市」

福島県南相馬市小高区。
福島第一原子力発電所から20km圏内のこの地域は、2011年3月11日の東日本大震災後、全域が避難指示区域に指定され、5年半ものあいだ人が住めなかった地域です。
2016年7月に避難指示が解除され、徐々に人の営みを取り戻しつつあるものの、小高区への帰還者の多くは高齢者が占めています。若い人が戻ってくる望みはもうないのではないか、と思われていたそんな地域で、老若男女問わず多くの人に小高を訪れていただく新たな取り組みが始まりました。

小高川沿いの桜が満開になったその日、まちなかで行われた二つのイベント

小高神社を彩る満開の桜

2019年4月。先週まで続いた冬に逆戻りしたような寒さから一転、途端に春めいた陽気の日曜日、JR小高駅から歩いて5分ほどの場所で二つのイベントが開かれました。

一つは、地元の商工会主催の「おだか浮舟まつり」。震災後6年間は開催が見送られていましたが、2018年の再開から2度目の開催となります。小高商工会前のスペースには、焼きそばや焼き鳥、生ビールなどを売る屋台が集まり、昔ながらのお祭りの風景が広がりました。

そしてもう一つのイベントが、小高商工会の道向かいに2019年1月にオープンした小高交流センターでの「小高つながる市」。今回初の試みとなるそのマルシェでは、木でできたヤタイを使って、ハンドメイドの雑貨・アクセサリーの作り手の皆さんが出店しています。さらに、ネイルやリフレクソロジーの体験ブース、真鍮ネームプレート作り等のワークショップコーナーを目にすることができます。

今まで小高ではあまり見たことのないマルシェ。新しくできた施設で、新しく始まったこの試みは、どういう人々のどんな思いから実現にこぎつけたのでしょうか。

小高にもう一度コミュニティを

多世代が訪れ、にぎわう「小高つながる市」

「一度住民がゼロになったこの町は、地域コミュニティがなくなりました。避難指示が解除された後も、町に戻ってくる人の多くは高齢者。10年、20年後、今は自分で生活できる高齢者の方々が生活出来なくなった時、若者がこれ以上増えなかった時にこの町はどうなるのか、多くの人が漠然とした不安をかかえています。ここで事業を起こし、働く場所や住民の暮らしを支えるサービス、失われたコミュニティをつくることで、地域が消滅せず存続していく可能性を示していくことができたらと考えています。」

そう話すのは、南相馬市小高区で震災後に人の営みを取り戻すため、様々な事業を立ち上げている、株式会社小高ワーカーズベースの和田智行さん。この町に必要なものが何なのかをフェーズごとに見極め、事業を通して町に一つ一つ機能を積み上げてきました。

そんな和田さんが最近力を入れている事業が、「Next Commons Lab 南相馬(以下、NCL南相馬)」。地域課題の解決や資源の利活用を目指したいくつかのプロジェクトをそれぞれ推進する起業家を市外から呼び込み、総務省の起業型地域おこし協力隊の制度を使って最長3年間の基礎収入を受けながら、起業/事業開発に取り組んでいただく、という事業です。

株式会社小高ワーカーズベースは、このNCL南相馬事業の管理・運営を市から委託されています。ではなぜ、地域に「起業家」が必要なのでしょうか。

和田さん:
「例えば、地域に賑わいを生むために大企業を誘致するという考え方もありますよね。でも、また大災害が起こってその大企業がもし撤退すれば、地域に残るのは自分で稼ぐことができない人たち。そうすると、その人たちは働き口を求めて流出していきます。そうするといつまでも地域は自立できない。小さくても自分で稼ぐことのできる人が多く生まれることで、まちが自立・自走できるということが理想だと考えています。」

このようにして、公募により集まった5人の起業家(定員10名/現在も募集中)と、起業のサポートや事務局運営を担う3人のコーディネーターでNCL南相馬は構成されています。ただ、地域における認知度はまだまだで、どういうチームなのか、何を行う事業なのか、示せていないという課題感があったそうです。

そんな中、NCL南相馬の担当職員でもある南相馬市経済部観光交流課の比留間勇人さんから、マルシェ開催の話が持ち掛けられます。

(右から)今回の小高つながる市の仕掛け人、比留間勇人さん、和田智行さん、筆者(井上)

比留間さん:
「南相馬市には鹿島、原町、小高と3つの区があるのですが、合併してできた市ということもあり、市内で人や経済が流動していないという課題がありました。それぞれの区に住んでいる方が、関われる場を作りたい。それに加え、長く地元に住んでいる人に地元の良いものや面白いものに気づいてもらいたい。そこで市としては、南相馬にもオシャレなものや、華やかなものがあるということを地域内外にアピールできるような、若い人や女性も楽しめるイベントを開きたいと思っていました。」

そこで、町の賑わいに貢献する活動を行っているものの、具体的な活動をどう示そうかと考えていたNCL南相馬とマルシェ開催の話が、和田さんの中で結びつきます。主催イベントを開催することで、地域内外に向けたPRになり、さらに小高と市内の他の区との交流を生むこともできます。

そのような中で、どういうコンセプトのマルシェを行うかを考えていた二人が着目したのが、無印良品の「つながる市」でした。場を創る人も、そこで表現する人も、そこに足を運ぶ人も、さらにモノと場もつながり「みんなで育む市場」として各地で開催しています。人とモノが行き交う場をつくることで、そこからあたらしい取り組みがうまれるのではないかと考えました。過去に仙台エリアでも開催されたため、無印良品の店舗発信でこのつながる市のノウハウを活用させていただき、想いを持った地域プレイヤーとNCL南相馬、および市役所がタッグを組んで、このイベントを推進していく座組が固まったのです。

小高のイベントに出店するのが夢だった

手づくり缶バッジのワークショップ、草花を使って作ります

今回出店者として募ったのは、南相馬市の別のイベントで出店するなど、元から繋がりのあった方と、震災後に開店した地元のコーヒー店やコミュニティスペース運営者など。その中には、アロママッサージの訪問サービスを事業として立ち上げようと移住し、NCL南相馬の起業家として活動中の方のブースもありました。また、仙台エリアから「つながる市」で好評だったワークショップを持ち込んだ出店者の方も。

「小高で開催されるイベントに出店したいという想いがあったので、声をかけていただいた時には本当に感激いたしました。」南相馬市小高区出身で、天然石を使ったアクセサリーを手づくりで作られている栗崎さんは、今回の小高つながる市への参加を打診されたときに、こう感じたそうです。

震災後、地元が大変なことになり、気になってはいるけれど、どうやって貢献したらいいのか分からない……。こういった声も聞かれます。

もしかしたら、地元で新しい取り組みが始まった、という知らせは今は地元に住んでいらっしゃらない方の心にも、温かいきっかけを届けることにつながるかもしれません。

小さくても、自分たちの手で

スタッフがヤタイを組み立てます

当日。朝早くから、ヤタイの組み立てを行う運営スタッフたち。どうにか一日晴れそうという天気予報にひと安心しつつ、10時の開店に向けて準備を進めます。
出店者の方々も徐々に集まり、ヤタイでのレイアウトを開始します。「チョーク、足りなかったら言ってくださいね」「素敵な商品ですね」など、出店者やスタッフ同士の声かけもどこか明るい雰囲気。新しく始まる取り組みに、どうなるかという不安もありながら、みんなどこかワクワクしているように見えました。

開店前から、「今日なにやんだぁ?」など興味を持ってくれる地元のおじいちゃん、おばあちゃん達。開店前から既に人の出入りがあり、同時開催のお祭りの雰囲気に引き寄せられて、駅前通りや商工会の近くに人が集まってきています。

開店後すぐに人がブースに集まり始めます。ベビーカーを押しながらアクセサリーを熱心に見つめるお母さんや広場で駆け回るちびっこたちなど、普段小高ではあまり見慣れない人も、来場してくれています。
その風景を見て、元避難指示区域の小高でも、楽しそうなイベントにはこれだけ人が集まってくれるんだ、とどこか勇気をもらったような気がしました。

イベント終了後、親睦を深める出店者

和田さん:
「小高区に住む人たちが今回の小高つながる市をみて、『自分たちもこの場所こんな風に使えそう!』とか、『若い人がこんなに集まるなら自分でもイベント開いてみようかな』と思っていただけることが、一番町にとって意義のあることだと思います。なんで行政がやってくれないの?ではなく、自分が主体になって巻き込むくらいの人が多く生まれると、まちの持つ力が増していくのではないでしょうか。」

「小高つながる市」の賑わいを眺めながら、和田さんはそう話します。

1000人雇う会社が一つあるのではなく、10人雇う会社が100できることが地域の風景をどうかえていくのか。その一つ一つは、もしかしたら小さい力しか持たないかもしれません。でも、それぞれがつながり、共に協力しあいながら活動することによって、大きく未来を作っていくことができるかもしれない。

市やNCL南相馬、そして無印良品や出店者の方々がともに作り上げた「小高つながる市」を見て、私はそう強く思いました。小高区に賑わいを取り戻す活動はまだまだ始まったばかり、これからも活動から目が離せません。

文:NCL南相馬 井上雄大