「里山」と聞いて、みなさんはどんな風景を思い浮かべますか?
少し前の時代まで人々の暮らしの礎があった里山での営みは、私たち日本人にとってどこか懐かしさを感じる心の原風景と言えるのではないでしょうか。時代の流れが多くの人々を都市へと魅きつけてきましたが、一方でいま再びローカルに注目が集まっています。
さらに、働き方の変化、情報や流通インフラの発達、情報の可視化で、生き方や暮らし方において多様性の蕾がふくらみ始めています。これからの時代、多くの人が自然に寄り添い共に生きていくことをより大切にしていくのかもしれません。
そのような暮らしの知恵の宝庫とも言える里山も、現状は高齢化による担い手不足です。管理のむずかしい圃場から休耕地となり、いずれ山林に戻っていってしまったり、近隣の田畑を荒らす獣の巣になってしまったりと、多くの問題も抱えています。私たちも昔に戻ることはできないけれど、現代の尺度をもってもう一度、この財産を地元民、移住者、都市住民の分け隔てなく未来へ手渡していこうと活動しているのが、6年目に入った「鴨川里山トラスト」です。
今回は、9月に行なわれる稲刈りの準備として、田んぼの草とりと、刈った稲を束ねるための“すがい縄”をつくるワークショップが実施されましたので、その模様をお伝えします。
棚田の頂上でチューニング
鴨川里山トラストの拠点となっている古民家“ゆうぎつか”は、鴨川市の東西に開けた長狭(ながさ)平野の北側斜面に位置します。平野を貫く県道34号線、長狭街道から集落へと続く細い農道を上がっていくとすぐ、段々に広がる緑の棚田とそこに点在する農家の家並みが視界のすべてをおおい始めます。連日の梅雨空と多湿に食傷気味だった私たちをよそに、棚田に生える稲たちはいままさに若々しく美しくそのシャープな葉先を空に仰いでいます。雑木林と炭焼き小屋、整えられた竹林とレモンの並木道を進めば、そこに“ゆうぎつか”が現れます。真っ黒に日焼けした木造の外観と深くどっしりとした屋根が印象的な、眺めの良い丘の頂上に佇む古民家です。
引き戸を開けて屋内に足を踏み入れると、手づくりのロケットストーブが設えられ、キッチンが併設された広い土間空間があり、自然の造形物が整然と美しくディスプレイされています。その奥は上がりになっていて、広い座敷が位置します。本トラストの中心人物である「NPO法人うず」の林良樹さんが20余年前、世界放浪の末に辿り着いた廃墟同然だったこの古民家を、みずからの手でコツコツ手直しし現在の形になりました。林さんのモダンな美的センスと旧き良き時代の感覚とが融合したミニマルで美しい空間です。そして、ここが今日のワークショップの会場です。
鴨川里山トラストの年間プログラムは、田植えから稲刈り、そして収穫祭、お正月を迎えるための注連縄づくりや味噌仕込みまで、全7回で構成されており、それぞれ単発での参加も可能です。稲作を単なるお米づくりではなく、里山の暮らしの文化の一部と捉えたとき、収穫への感謝や悦びを地の神様や仲間たちみんなと分かち合うこと、そしてその祈りを形にして次の年のサイクルに備えることも、大きな意味があります。そのような繋がりもお伝えするために味噌仕込みまでを年間プログラムとして用意しています。
「里山の文化に触れるきっかけは多い方がいい」と林さんご自身も語る通り、このプログラムのいずれかに参加したことがきっかけで、次の回、また次の回へと足を運ぶようになり、最終的に年間を通して棚田を見守るオーナー制度への参加に発展したり、移住を実現してしまう人もいらっしゃるそう。このように大きな魅力を含んだプログラムになっています。
農村文化の基本、すがい縄づくり
午前11時、参加者のみなさんが座敷に一堂に集まりました。青果の卸に携わっている方、自然のなかで過ごす時間を大切にしていらっしゃる方、安全な食への関心からお米づくりに興味を持ったという家族、そして無印良品のさまざまな部署の社員や店舗スタッフまで、ジャンルを超えた人々がこの日も集いました。簡単な自己紹介のあと、林さんの指導のもと、本日午前の部のメインイベント、すがい縄づくりのワークショップが始まりました。
このすがい縄づくりは、藁を数本束ねて「綯(な)い」、縄にする基本の作業です。実際は稲刈りの際に、刈った稲を束ねてはざ掛けするのに使うもので、それを事前にみんなで準備しておくのです。すがい縄は農村文化の基本中の基本と言われ、石油文化が発達する前の時代では、すがい縄をベースに「わらじ」や防寒具の「みの」といった衣類に近いものから「鍋敷き」や「おひつ」といった雑貨、そして「しめ縄飾り」を手仕事で作り出していまし
た。
すがい縄の綯い方はとてもシンプル。
まず、6本の藁を手に取り、3本ずつを対にしたら根元を揃えます。根元の方から見て全体の1/3ほどの長さの箇所を折り曲げた膝のうらに挟んだり、足で踏みつけるなどして押さえます。3本ずつの束それぞれを両手のひらに乗せ、藁の束がVの字になるように少しずつずらして合掌するように合わせていくと、手のなかで藁がくるくると撚れていきます。手のなかでそれ以上撚れなくなったら、自分の身体から離れているほうの束を今度は手前に持ってきて、再びVの字にセットして、前述の動作を繰り返します。すると、藁がどんどん綯われていくのです。コツを掴んでしまえば小さな子供たちでも簡単です。
「一反(=十畝、=約300坪)の田んぼのはざ掛けに、約1000本のすがい縄を使います。がんばりましょう!」と林さん。最初は遠く感じたその数も、つくるのに慣れてしまえば現実味を帯びてきます。20人でひとり50本。最初はおしゃべりしながらの作業でしたが、少し時間が経つとみんな無言で黙々と作業していました。聞こえてくるのはカサカサと音をたてる藁の音と外から聞こえてくる鳥の鳴き声だけ。それは心地良いメディテーションのようで、同じ目的で集う人たちの輪は優しく居心地よく、心おだやかな時間が流れていきました。
里山も生態系の一部
お昼のチャイムが鳴るのと同じくらいに私たちのおなかの虫も鳴き始めます。
今回は、林さんと同じ集落に住む料理上手なおばあちゃん「小平田(こへいだ)」さん(集落には同じ名字の家が多いので、昔から屋号でお互いを呼び合います)が美味しいカレーとカレーに合うサイドメニューの数々をこしらえてくれました。お漬物や小鉢のレパートリーは圧巻で、大豆とヒジキの煮物、ゴボウのきんぴら、ナスの辛子和え、キュウリの浅漬けや醤油漬け、しば漬け、梅干しと、それだけでも白米が何杯も進んでしまいそうなものばかり。少しずつご飯の上に取っていくと、色彩もカラフルで視覚的にも食欲をそそります。自然とお代わりしたくなる、子供も大人も大満足の昼食でした。
梅雨の合間、空模様も少し怪しくなってきました。各々汚れてもいい格好に着替えて、午後のフィールドへと繰り出します。ゆうぎつかへ続くレモン並木を少し戻ると、大きな斜面に新緑の棚田がいく段にも連なっています。遠くには長狭平野の反対側、嶺岡山系を臨む雄大な景色です。
午後の部は、圃場の「草とり」です。田植えや稲刈りに目が行きがちなお米づくりも、その途中にある畦の草刈りや田んぼのなかの草とり、水の管理も、美味しいお米を収穫するための地道で欠かせない一行程です。特に有機栽培の田んぼでは定期的な草とりは必須です。「昔は年に数回、村人総出で行なっていたんですよ」と林さん。農村の高齢化が進むなか、大きな機械が入らない中山間地域の狭い圃場や棚田では、やはり担い手不足がいちばん大きな課題です。さらに、ここの斜面は天水のみが頼りの棚田。うんざりする長雨も林さんたちにとっては恵みの雨です。苦労が多いからこそ、一枚一枚の田をじっくり観察し、大切に扱うのかもしれません。
農薬や化学肥料を使わない田んぼは生態系の絶妙なバランスの上で成り立っています。自然の摂理を理解して、その仕組みに沿って育てていきます。だからこそ、多種多様な生き物たちが息づいています。アマガエルやサワガニはもちろん、シュレーゲルアオガエルやタガメに似たコオイムシ、アカハライモリやトウキョウサンショウウオなどの県指定の最重要保護生物なども自由に田のなかを泳ぎ回っています。多くの生き物との関わりのなかで、その一部として逞しく育ったお米はどんな味がするんだろう。情緒的な気持ちに浸る大人たちの隣では、子供たちが目の前の生き物に興奮。虫かごを目一杯に埋め尽くしている姿を見て、ほっこりしてしまいます。たくさんの気持ちが同居する田んぼの時間となりました。
林さん:
鴨川里山トラストの各イベントは単発でも参加できるので、毎回いろいろな方たちに来てもらっています。間口の広い扉と引き出しを提供し、まずはレジャー感覚で楽しみに来てもらいながら、それをきっかけにして定期的に通ってもらえるようになったら嬉しいですね。自分たちが口にする食べ物がつくられている現場を子供と一緒に見てみたいという若いファミリーがどんどん増えています。
ここでは、お米づくりから手仕事まで、日本の伝統的なライフスタイル全般を大切にしています。地域のなかに資源も道具もすべてがあり、それが暮らしを支えています。そして最期は灰になって土に還っていきます。そういう循環する暮らしをこの会を通じて少しでも体験してもらえたらと思っています。
次回、9月7日(土)はいよいよ今年の稲刈りの予定です。ぜひ奮ってご参加いただけたらと思っています。
文・写真 根岸 功(KUJIKA)