ローカルニッポン

庭先果樹から稼げる果樹へ/「いすみブルーベリー振興会」の挑戦

千葉県いすみ市に、甘くてみずみずしいブルーベリーを作る人たちがいます。いすみのブルーベリーは無印良品銀座の青果売場でも人気の商品。どんな場所で、どんな人たちが、どのように作っているのでしょうか。おいしさの裏側を知るために、いすみ市小高の片岡農園を訪れました。

7月上旬の梅雨の晴れ間、膝丈まで成長した稲が一面に広がる水田地帯を抜けたところに片岡農園はあります。もともと田んぼだった場所を利用して作られた片岡農園には、様々な品種のブルーベリーが植えられています。ブルーベリーにもブドウやイチゴのようにたくさんの品種があることは、一般的にあまり意識されていないかもしれません。

片岡農園代表であり「いすみブルーベリー振興会」顧問を務める片岡尉(じょう)さんが、そのひとつひとつを説明しながら農園を案内してくださいました。

片岡農園代表の片岡尉さん

同じブルーベリーでも大きさや味はそれぞれ個性的です。酸味があるもの、甘みが強いもの、扁平型に丸型、採れる時期も様々です。木の高さは150cmほど。枝葉が密集しすぎないように、冬の間に剪定を行います。放っておくとどんどん大きくなってしまうため、収穫時に手が届く高さになるよう成長を抑制します。手入れが行き届いた圃場(ほじょう)はとても美しく、明るい光が入り込んでいました。光が十分に入ることでブルーベリーの糖度も増します。

一本の枝になる実はおおよそ50個。4月に花を咲かせ、6月に実をつけます。果実は緑から赤、そして青へと色を変化させ、成熟するときれいな青藍色になります。一度に全ての実が色づくわけではないので、収穫時期をずらしながら8月中旬まで収穫を続けることができるのが特徴です。

また、ブルーベリーは農薬をほとんど使わずに栽培することができるそうです。いすみブルーベリー振興会では、地面に落ちて腐りかけた果実をできる限り早く取り除くことで、害虫であるショウジョウバエの発生を抑えています。

農薬の使われていない圃場にはたくさんの生物が共生しています。蜘蛛は害虫を食べ、蜂は受粉を助けてくれます。そして、無農薬ゆえに摘んだばかりのブルーベリーをそのまま食べることができ、まさに自然の恵みといえます。

摘み取りを手伝う地域の方々。丁寧に摘みとります

摘みとりは、地域の方々が手伝います。布の手袋をはめて熟した実だけを選り分けながらひとつひとつ丁寧に摘みとり、腰につけた籠に入れていきます。この時期収穫できるのは「ラビットアイ系」といわれるもの。実が熟す過程でウサギの目のように赤く色づくことからこう呼ばれるそうです。

選果場では摘み取ったたくさんの実ひとつひとつの傷や大きさを手作業で確かめ、「ブライトウェル」「ウッダード」「タイタン」など、それぞれ品種名が書かれたシールを貼ったパッケージに収めていきます。

各会員の畑で収穫し梱包されたブルーベリーは片岡農園に集められ、当番の会員総出で出荷準備を行います。数量確認をしながら箱に詰め、最終チェックののち出荷され、無印良品銀座の店頭に並びます。出荷にあたってはいすみ市のバックアップも欠かせません。この日も市の担当者が農園を訪れ、密なコミュニケーションが図られていました。

農園を訪れたのはちょうど7月の上旬、梅雨の晴れ間の収穫日。
「晴れた日に採れたブルーベリーは輝きが違うよ。」
片岡さんが摘んで見せてくれたブルーベリーは、形に張りがあり、色も鮮やかです。摘みたてのブルーベリーを口に頬張ると、甘くてみずみずしい果汁が口の中に広がりました。

出荷場に集まったいすみブルーベリー振興会の皆さん

片岡農園代表の片岡さんはブルーベリー栽培を始めて三十年になります。専業農家として、ブルーベリーの他に米や蓮根など様々な作物を作ってきました。最初は一人で始めたブルーベリーでしたが、本格的に作物として出荷していくためには、個人で作れる量や出荷先の開拓に限界がありました。

そんな時、土地改良事業で排水がよくなったことをきっかけに、ブルーベリーの生産量を増やすために仲間を集め始めました。当時、庭先果樹と言われていたブルーベリーをきちんと稼げる作物にしよう、そんな片岡さんの声掛けに集まったのは12名。それまでブルーベリー栽培に携わっていない人たちがほとんどでした。その中の一人でもあり、現在会長を務める小高一郎さんは言います。

「片岡さんがある日、割り箸一本ほどの細さのブルーベリーの苗を畑に植えてくれた。 それから私のブルーベリーの楽しみが始まった。」

小高さんのように休耕田を畑に変えた方、家庭菜園の延長で始めた方、定年退職後に移住して農業を始めた方、始めた理由はそれぞれ、バックグラウンドもそれぞれの12名が集まり、2003年に「いすみブルーベリー振興会」がスタートしました。

一般的に生産者組合は農協や行政が主導して作られる場合がほとんどですが、いすみブルーベリー振興会は、生産者自らが手を挙げて団体を作りました。会員を増やすため、講習会や勉強会などを地道に行っていった結果、会員数は現在46名にまで広がりました。会員は各々の農園でブルーベリーを育て収穫し梱包します。それを一箇所に集め、共同で出荷作業を行うことで、個人で作る量では難しかった取引先への出荷ができるようになりました。また、会員には元IT企業の技術者や配送業、郵便局員など様々な技術を持った人たちがいるので、各々の得意分野を活かしてウェブサイトでの情報発信や運搬業務の分担など、お互いを補い合いながら技術と経験を共有できるのも、振興会の一つの強みとなりました。

仲間と情報交換する振興会のメンバー 楽しそうに話す姿が印象的

「若い人たちがやりたいと思える仕事にしたい、そのために庭先果樹と言われてきたブルーベリーを、稼げる作物にしたい。そして、千葉といえば『いすみのブルーベリー』といわれるようにしていきたい。」片岡さんは続けます。「もっと工夫できると思うんです。例えば収量の上がる品種に絞ったり、商品開発や発信に力を入れたり。また、品種を明示して出荷・販売することで、品種ごとのファンができたら素敵ですよね。」

ブルーベリー栽培に限らず、農業は高齢化や担い手不足が深刻化しています。いすみ市でも担い手不足から耕作放棄地や空き家が増加しています。そんな中で、いすみブルーベリー振興会は、個人ではなく仲間を作り団体で生産する道を選びました。一人一人の生産量は少ないかもしれませんが、それが集まれば大きな生産量になり、個人では不可能だったことが可能になりました。各々で近くの直売所で販売していたブルーベリーが東京の店頭に並ぶようになりました。互いの技術や経験を共有し、高め合う仲間もできました。70歳代の会員が多いなか、振興会の将来を担おうと、人数は少ないながら30歳代の若手会員たちも奮闘しています。趣味や庭先の果樹であったブルーベリーが、稼げる作物に進化しようとしているのです。

出荷直前のブルーベリー/無印良品銀座の青果売場に並ぶブルーベリー

高価な機械への初期投資や土地開発を伴う大きな農業ではなく、ひとつひとつは小さいけれど、多様な技術や経験が集まり、互いを補い合う小さな農業に、これからの地方での農業の可能性を感じました。

また、何より仲間と一緒に楽しそうに仕事をする姿が印象的でした。ブルーベリーを通して同じ志をもつ仲間ができたこと、それが振興会を作った一番の良かった点なのかもしれません。

いすみブルーベリー振興会の「目的」として、このような記述があります。「ブルーベリーの栽培を通じて、生きがいと所得の向上を図りながら、地域の活性化に寄与する。」

入会に条件はなく、庭先に一本植えているだけでも構わないのだとか。垣根を下げて仲間を募り、この地域に根差し、いすみの特産品として広く発信していきたい、発展させていきたい。この思いは設立のときから変わらないそうです。「生産者組合」や「協会」などでなく、「振興会」と名付けた意味がここにあるように思います。

「興味を持ったら農園に足を運んでほしい。」片岡さんは言います。「果樹って本当は摘んでそのまま食べるのが自然。ブルーベリーはそれが一番似合う作物です。店頭でブルーベリーを手に取り、食べてくれた都会の方が、休日に農園に来てくれたら嬉しいですね。」

会員の各々の農園では7月から8月の期間中、ブルーベリーの摘み取り体験を受け入れています。旬のブルーベリーを摘み取り、そのまま頬張る贅沢な体験をできるのもこの時期だけ。作り手の思いや、作られている環境も一緒に味わうことができるでしょう。

文・写真 高橋洋介(写真、一部無印良品銀座より)