ローカルニッポン

小商いから始めよう

「小商い」という言葉を知っていますか?

小商いとは小さい元手で行う商売であり、また自分の好きなことや得意なことを形にし、お客様と直接やりとりをしながら、対価を得て、暮らしをたてていくことです。

小商いを始めたい、そんな思いを応援する場づくりが千葉県大多喜町の旧老川小学校で始まりました。その名も「菓子シェア工房老川」。ここでは自分で作ったお菓子を商品化し、誰もが気軽に小商いを始めることができます。この工房で実現することができる小商いのある暮らしとはどんなものなのでしょうか。

菓子工房のある旧老川小学校の周辺に広がる豊かな里山

老川地域は房総半島の中でも標高の高い山間部に位置し、外房からは夷隅川、内房からは養老川と小櫃川、3つの川の源流地域にあたります。この3川と並行して走る、いすみ鉄道・小湊鉄道・久留里線の3つのローカル鉄道の終着駅が集まるこのエリアの中心、小高い山の上にあるのが旧老川小学校です。このあたりでは、豊かな自然環境を利用して、米や大豆、筍、椎茸など様々な作物が育てられてきました。

また旧老川小学校のある大多喜町では、この多種多様な作物と、それらを素材としたパンやお菓子・惣菜等が販売されるマーケットが毎週のように開催されています。週末はマーケットに足を運び、この地域の食材と素材の生きた副産物を買うという意識や文化が自然と根付いているのもこのあたりならではといえます。

このように、地の食材が豊富に揃い、マーケット文化が根付くこの地域は、小商いを始めるには最適な場所です。例えば、米農家の作る米粉、養蜂家の作る蜂蜜、酪農家の作るバター等・・・豊かな食材と、地域の方々に提供できる機会がこの地域にはすでにありました。

菓子工房にはオーブンや乾燥機などお菓子作りに欠かせない道具が揃う

それでも、いざ「小商い」を始めようとなれば、加工設備の設置や衛生面での許認可など個人では乗り越えることのできない壁があります。菓子製造業の許認可を取るには、自宅のキッチンとは別に、衛生条件などをクリアした加工場を設けなくてはいけないですし、食材の仕入れ先の選定など様々なノウハウを個人で得るには限界があるでしょう。

旧老川小学校では加工に必要な道具や設備を揃えた工房を設置し、個人がその工房を使って菓子製造業の許認可を取ることを可能にしました。また2017年にオープンした校舎内のコワーキングスペースでは利用者同士の様々な繋がりが生まれ、情報交換の場にもなってきています。食材の仕入先の相談は地域の食材情報に詳しい先輩移住者に、見せ方や売り方の相談は2拠点居住のデザイナーに、様々なノウハウ共有は工房の先輩利用者に、と相談できる相手に出会うことができます。

豊かな地の食材と、それを加工し形にできる環境と、それを提供できる機会、その3つが用意されていることが「菓子シェア工房老川」の特徴です。このように、誰もが気軽に小商いをスタートすることができるのです。

Another Belly Cakesの磯木さんが作るお菓子

そんな工房を使って、小商いのある暮らしを実践している方がいます。地域の食材を使い、植物性の素材を使ったケーキを作る菓子職人、磯木ともこさんです。磯木さんは「菓子シェア工房老川」の他に、いすみ市に工房を構え、そこで作ったケーキやお菓子を“あつまんべ市”等 毎週末のように開催されるマーケットに出品したり、お菓子教室を主催するなどして暮らしをたてています。磯木さんのお菓子目当てにマーケットにくる人がいるほどの人気で、色とりどりのケーキや素材にこだわったお菓子は、あっという間に売り切れてしまうこともあるそうです。いすみのカフェで働きながら、地域の生産者の方と出会い、カフェのお客様との会話の中で、安心して食べられるお菓子が求められていることを知り、自分でもできるかもしれない、そう思ったことがきっかけでマーケットへの出店を始めました。

磯木さんのようにお菓子作りを始めたい人が、すぐにでもお菓子作りにチャレンジできる道具や環境が揃っている「菓子シェア工房老川」です。試作と失敗と改善を繰り返すことができるのも小商いならでは。磯木さんも失敗と改善を繰り返して今の状態にたどりつきました。

「ここでは誰もが気軽に挑戦できる環境と素材が揃っている。」

自分で素地を選び、形にし、値段を決め、お客さんに出会い、提供し、対価を得る、このプロセスを全て体験できるのが小商いの特徴であり、楽しみでもあると磯木さんは言います。

クッキーの試作を作る高橋さん。作業台が広くとても使いやすいそう。

磯木さんのような小商いの実践者がいれば、これから小商いに挑戦しようとする人もいます。
高橋光子さんです。高橋さんは、老川小学校から車で40 分ほどの千葉県市原市北部に住んでいます。

東京まで通勤圏内であることから平日は東京まで1時間かけて通勤し、週末の休みを使って大多喜や市原南部のマーケットやカフェを訪れることが多いそうです。前述の磯木さんも出店する大多喜のマーケットに客として訪れるうちに、自分でも何かを作り出品したいと思うようになりました。

高橋さん:
「この地域でとれた食材を使ったクッキーを作って、マーケットに出したい。私のように本職を持ちながらでも気軽に小商いに挑戦したい人は多いはず。」

もともとお菓子作りが趣味であったという高橋さん。現在は秋の出店に向けて、老川地域でとれた米粉と蜂蜜と菜種油を使ったクッキーを試作中です。クッキーの薄さや大きさ、材料の分量、仕入先、値段、見せ方等、考えることはたくさんあると話す高橋さんですが、楽しそうに取り組んでいる姿が印象的でした。趣味の延長で楽しみながらチャレンジする、そんな使い方も可能にしてくれるのが、この工房の特徴といえるかもしれません。

搾りたての牛乳と、それを囲む生産者と菓子工房の利用者

「菓子シェア工房老川」の利用者同士でお菓子作りに使う食材の研究も始まりました。
毎回異なる生産者をお呼びして、その食材の背景を知ろうという取り組みです。この日は旧老川小学校から車で10分ほどの場所で “加曽利(かそり)牧場”を営む酪農家の方をお呼びし、牛乳の裏側に迫りました。牛乳の生産工程はもちろん、生産者の思いや地域の抱える問題点などを皆で共有し、考える時間となりました。最後に牛乳を使ったお菓子を試作し、今後の商品づくりに役立てます。

こうした取り組みを見ていると、この場所が地域の抱える問題を解決する起点になれるのではないかと感じます。例えば、今回の利用者同士の交流のように、地域の産物の新たな使用方法やプロモーションのアイディアを生産者と一緒になって考え、形にしていくことも可能です。商品開発や事業継承につながるかもしれません。

また先ほどの高橋さんのように週末の小商いから始め生計が立てられるようになれば、徐々に拠点を首都圏から移すということも可能です。過疎化や空き家活用等の問題解決の糸口になるかもしれません。

この場所であれば、自ら作物を作ることも可能です。例えば、パンを作る米や麦は休耕田を使って、クッキーの素材となる菜種油や蜂蜜は耕作放棄地に菜の花を植えることで、叶えられるのではないでしょうか。

地域の抱える問題を軽やかに解決しながら、「小商い」で暮らしを豊かにしていく。
そんな暮らし方を実現させる方がこの工房から出てくるかもしれません。

小さくても豊かな暮らしを自分たちでつくることができる場所、それが「菓子シェア工房老川」といえるのではないでしょうか。

文・写真:高橋洋介