ローカルニッポン

2020年シラハマ校舎 台風から始まる新たな挑戦<前編>

書き手:多田佳世子
安房郡(現・南房総市)白浜町出身。東京―白浜の二拠点&別居婚生活を経て、2013年に白浜へUターン、夫と同居を始める。母校である長尾小学校を利活用し、2016年よりファミリー・ビジネスでシラハマ校舎を運営している。

2020年も変わらず千葉県最南端の白浜町からローカル色たっぷりの記事を発信していきますので、どうぞよろしくお願い致します。昨年は台風と豪雨により日本の広範囲が災害に見舞われ、シラハマ校舎も大きな被害こそありませんでしたが、停電・断水の影響は免れず、レストランの食品廃棄や営業休止を余儀なくされました。

しかし落ち込んでいる時間はありません。白浜という土地、建物、インフラ、生活全般を整理して考えた時、次なる目標が見えてきました。今年はシラハマ校舎で何をやるべきなのか―前編は台風の実経験と直後の生活から見えてきたことをお伝えしたいと思います。

台風15号到来

始まりは9月8日、私たちスタッフは万一に備えてシラハマ校舎のオフィスに詰めていました。うだるような熱帯夜に雨風が強くなり、ガラスの向こうではプラタナスの木が大きく揺れ、枝がバリバリと折れるのが聞こえました。「いつもの台風とは様子が違う…」駐車場やゴミ捨て場が気になりますが、ドアを開けるのもはばかれるほどの強風。外灯が「パチン」と切れた午前1時45分、もう携帯電話に電波はありませんでした。

朝方に風が止み外へ出ると、無残に引き裂かれた生木が転がり、道路に面したフェンスはこちら側へと大きく折れ曲がっていました。しかし幸いなことに大きな建物被害はなく、小屋の所有者に分譲されている庭についても、植木が倒れたりビーチサンダルが転がっている程度でした。

続いて海沿いにある私たちの自宅へ。電柱からぶらりと垂れ下がった引き込み線をくぐると、まずは穴の開いた雨戸が見え、戸袋は丸ごと吹き飛ばされ、四方の雨どいは一つも残っていませんでした。室内は水に浸かった畳の上にガラスが散乱し、風穴を開けたと思われるコンクリート製のスレートが一片。そして庭を見渡すと、我が家には使われていないトタン、鋼板、サイディングボードなどが散らばっていました。

台風通過直後の家屋。片づけは靴を履いたまま行いました

台風通過直後の家屋。片づけは靴を履いたまま行いました

台風に強い立地を考える

自宅を後にして近隣へ。信号が動いていない中、岩の塊や流木を避けながら車で進むと、無傷の家から骨組みだけになった旅館まで、被害状況は非常にばらつきがありました。

「シラハマ校舎は学校だったから、元々安全な場所に建てられているのでは」とお客様から幾度となく言われましたが、実際にその通りだと思います。高台に建ち、海が見下ろせるこの地は海抜22.6メートル。そのうえ校舎は敷地の一番奥、山裾にへばりつくように建てられています。近隣に同程度の高さの住宅はほとんどなく、独立した空間のようなものですから、他所からの飛散物がなかったのも納得がいきます。

一方、豊かな漁場により添うように出来た集落は海面とほとんど変わらない高さにあります。典型的な漁村らしく家々は密集しており、近頃は放棄された廃屋もありますから、古い建材や植木鉢なども風に吹かれるままだったのかもしれません。

それでも風光明媚な海辺の暮らしは、穏やかな日の方が圧倒的に多く、土地に根差した漁村の文化は魅力的です。建物そのものへの工夫と、いざというときの保証、そして心構えが必要だと感じました。

海辺の暮らしでは大型台風の前に、船を陸(おか)に引き上げます

海辺の暮らしでは大型台風の前に、船を陸(おか)に引き上げます

白浜の気候に適した建物とは

昔ながらの白浜の家といえば木造瓦屋根。長らく半農半漁の土地柄でしたから、軒先を伸ばして野菜や魚を干すノスタルジックな光景がどこの家庭でも見られたものでした。しかし天災を想定すれば、重い屋根瓦は危険な点があり、ベニヤ板の雨戸は脆弱さが目立ち、長い軒は台風の風を巻き込みやすいことなどから、最近は軒のないキューブ型や鉄筋コンクリート構造が増え、こういった新しい家は今回の台風でも被害が少ないようでした。

基礎部分は鉄筋を組んだ型枠にコンクリートを流し込む鉄筋コンクリート構造で屋根の表面はガルバリウム鋼板、耐久年数が長いことが特徴です。ちなみにシラハマ校舎の母屋はもうすぐ築70年の木造ですが、一般の住宅に比べて軒が短く、あらかじめ雨どいが取り外されていたこともあり、大きな損壊はありませんでした。それでも先述の通り、その立地に助けられた部分が大きいのかもしれません。

とはいえ、台風対策のために全部をコンクリートやアスファルトで固めてしまっては、景観が大きく変容しますし、ヒートアイランド現象など環境への影響も懸念されます。住居が守られれば、庭や駐車場が多少ぬかるむことくらいは目をつむりたいと思います。

無印良品の小屋のRC基礎工事。毎回、緊張感が漂います

無印良品の小屋の基礎工事。毎回、緊張感が漂います

インフラ復旧までの過ごし方

停電生活は約10日間、まずはトイレの流し方を確認することから始めました。施設内のトイレは電力を必要とするリモコン操作のタンクレスタイプですが、停電中でも流せるようイラスト付きの説明書がついていました。流す方法は便器の上からバケツで水を入れ、サイドのレバーで弁を開閉するだけの簡単なものでした。

お風呂は給湯器の電源が入らないのでお湯が出ないのですが、真夏の様な暑さが幸いし、水シャワーがちょうどよいくらい。夜も水風呂で体を冷やせばよく眠れました。このあと断水もありましたが、ホテルの日帰り入浴などを利用して過ごしました。

いちばん不便を感じたことは照明でした。あの時期、自然光で本が読めるのが夕方6時20分頃まで。それを過ぎると一気に真っ暗になりキャンドルナイトが始まります。しかし20個のティーライトを灯しても明るいのは火の周りだけ。レストランのキャンドルがロマンティックな演出になるのは間接照明や壁面ミラーがあってのことなのでしょう。懐中電灯は行先を照らすのには十分ですが、常に片手がふさがっている状態なので料理や読書には不向きです。次の台風では人数分のヘッドライトを購入し、事なきを得ました。

通信に関しては、被害の大きさや復旧の目処を把握できないことが不安でしたが、しばらく元に戻らないことがわかると諦めがつき、意外と早くオフライン生活に慣れました。そして携帯電話会社が移動基地局を設けてくれたこともあり、必要な時は電波の通じるところに移動して、必要最低限の電子メールや通話を利用しました。

真っ暗闇でのお誕生日ごっこ。子どもには大好評でした

真っ暗闇でのお誕生日ごっこ。子どもには大好評でした

飲み水と食べ物について

白浜町内のスーパーは被災して休業、コンビニは停電しながらもペットボトル飲料や乾物など、売れるものを売っているという状態でした。懐中電灯、ブルーシート、土嚢袋、インスタント食品…求めるものはみな同じで、隣市のホームセンターに行っても品薄状態。食料も水も多少はあるし…とのんびり構えていた私たちもだんだん心細くなってきました。そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのが二拠点生活の仲間たち。停電で信号が動かず、高速道路も通行止めでしたが、水や食料、ブルーシートなどを車に積んで来てくれました。氷、カップ麺、レトルト食品、魚や果物の缶詰、フリーズドライのお味噌汁やスープ、ふだん食べられない銘店のお菓子や玉子などなど申し合わせたようにバラエティ豊かな品々が届きました。この後、さらに台風19号や千葉県豪雨も続いたので、これらの食品には後々まで助けられることになります。

お見舞いに来てくれた仲間とのゲームやおしゃべりがいい気分転換になりました

お見舞いに来てくれた仲間とのゲームやおしゃべりがいい気分転換になりました

次の台風に備えて

台風はまた来るでしょう。発生原因が温暖化だとすれば、さらに勢力を増してくるかもしれません。そして被災範囲が広ければ、半島の端っこである白浜の復旧は今回以上に遅れる可能性が考えられます。

今回2度の台風と豪雨を経験し、無印良品の小屋・シラハマ校舎の建物の耐性については安堵しました。しかし電気や断水が続き、通常の生活や営業活動ができなかったことは大きな痛手です。こういった状況下に置かれると、電気や水道のなかった時代の暮らしに回帰することを促す向きが出てきますが、私たちは被災時でも日常に近い形で水道、電気が使えるような仕組みを作ることを目指したいと思います。次号は台風から始まる新たな挑戦<後編>にて、シラハマ校舎の具体的な目標をお伝えしていきたいと思います。

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