ローカルニッポン

職住一体 若き竹細工職人の分けない暮らし

職場と住居が同じ場所にあることを職住一体と言います。千葉県市原市は養老渓谷の小さな集落に2人の若者が暮らし始めました。竹細工職人の東さんご夫婦です。竹細工を生業にする東さんご夫婦が、ここ養老渓谷に住居兼工房を構えたのは1年前の春。若き竹細工職人の、職と住を分けない暮らしとはどのようなものなのでしょうか。

竹細工職人の東さん夫婦

東京から1時間半、千葉県市原市を南北に縦断する小湊鉄道の終着地点、養老渓谷。千葉県の中でも最も奥深い山間部に位置し、奥房と呼ばれるこの地域には豊かな里山や美しい風景が広がります。その一方で近年、高齢化や過疎化が進み、空き家や耕作放棄地が目立つようになりました。

住み継ぐ人がいなければ、壊される予定だったというこの家に、東さん夫婦が越してきたのは、1年前の春でした。そこから持ち主の方の家財道具を整理したり、傷んだ箇所を修復したり、コツコツ1年かけて生活空間を整えていきました。決して状態のよくなかったこの空き家も裏を返せば、「自由に改装することができるのが良かった」、そう話す東さんはおもいおもいに各部屋のリノベーションを進めています。そんな2人の住居兼工房を訪れました。

玄関を開けるとまず目に入るのが、風通しがよく暖かい日差しが差し込む作業部屋。一続きになった広い和室をぐるりと縁側が囲み、そこから日当りの良い大きな庭を眺めることができます。作業台には様々な道具が置かれ、艶のある良質な竹や、加工された竹ひご、作りかけの竹籠があちこちに積まれています。竹を加工するには、風通しのいいこの家がちょうどよかったと東さんは言います。ついこの間まで閉めきられていた空間に、光が差し込み、心地よい風が吹き抜けていました。

作業部屋の奥に広がるあるキッチンは、もともと土間のある場所でした。床板をはり直し、流し台を作り、シンクをはめ込みました。昔の土間の名残である古い透かし模様のある窓からは、優しい光が入り込みます。窓を開ければ菜の花畑が見え、ゆっくりと走る小湊鉄道の汽笛が遠くに聞こえます。DIYで作った食器棚には、大分県に住んでいた時に買った小鹿田焼の器が並び、それらの間に東さんの作った竹籠が置かれています。蓋つきの竹籠には食材が入れられ、布が敷かれた大きめの竹籠は、飼い猫のベッドになっていました。暮らしの一部として使われている東さんの竹製品が、この家での暮らしにに潤いを与えていました。

竹という素材の魅力

DIYされた空間によく馴染む東さんの竹細工

東さんは、竹の産地でもある大分から、製材された竹を仕入れ、この工房で竹に加工し、製品を組み立てていきます。出来上がった製品は、東京のクラフトショップに卸すほか、日本各地で開催されるクラフトフェアに出店して販売します。もともと大学で建築を学んでいたという東さんはどうして竹細工という仕事を選んだのでしょう。

東さん:
「スケールの大きすぎる建築よりも、小さくてもいいから目の届く範囲のことをしたいと思ったんです。」

建築を学んでいた時から、ものづくりのプロセスに関心があったと言います。

東さん:
「竹は、どこにでも生えていて、誰でも少しコツがわかれば身近な道具を使って加工することができる。そういうオープンなところが竹細工のいいところです。」

そう言いながら竹を使ってあっという間に竹籤を作るところを見せてくれました。

竹鉈を使う東さん

高度に技術的な工芸品のように何年もかかって習得しなければならない技術ではなく、少しのコツさえわかれば誰でもできるようになる。1年も学べばある程度のものは誰にでもでもつくることができるのではないか、と東さんは続けます。

東さんにとって竹細工は、難しい技術を必要とする作品づくりではなく、農作業や藁細工のような生活の延長に近いのかもしれません。

竹は厄介者ではない

昔の人は農閑期になると竹を使って籠を作ったり、藁を使って草鞋(わらじ)を作ったりしていました。東さんの住む養老渓谷でも竹は暮らしの道具を作るための素材として重宝されてきました。川漁で使う仕掛け籠や、自然薯を入れる籠など、生活のあらゆるところで竹を使用した道具が使われていました。
プラスチック製品が主流になった今では、竹を切って素材として活用する人も、またそういった技術も途絶えつつあります。

また、素材として使われなくなった竹は、厄介者として扱われるようになりました。竹は生命力が強く、地下茎を使って面積を増やします。休耕した田んぼや畑も、放っておくと竹やぶになってしまうことが多く、一度竹やぶになってしまった農地は元に戻すのが難しいと言います。

「いつかこの地域でとれる竹を使いたい」そう話す東さんですが、現在は大分県の製材所から竹を仕入れています。

東さんが竹細工を学んだ大分県別府は、竹細工の産地であると同時に、良質な竹を育て製材する仕組みが整う場所でもありました。竹細工用に竹を育てる竹林や、切り出した竹を油抜きするための窯場、それらを業とする職人もいました。厄介者としての竹ではなく、竹を素材として活用し、生業にすることができる、そういった環境が整っていたと言います。

暮らしに馴染む東さんの竹細工

この地域だからこそできること

そんな竹細工に適した環境が整っていた大分県別府から、わざわざ竹を製材する技術や仕組みが整っていないこの地域を選んだのには、理由があったのでしょうか。

東さん:
「東京都の距離が面白かったんです。ウィリアム・モリスが別荘を設けたケルムスコットやバウハウスがあったデッサウ。それぞれロンドンやベルリンなどの都市部から距離を置いたように、自分も都市である東京から程よい距離感のところで暮らし方の実験をしたいと思ったんです。」

バウハウスのあるデッサウからベルリンまでの距離と、この辺りの奥房と呼ばれる地域から東京までの距離がちょうど同じくらいだと東さんは教えてくれました。

職と住の分離が当たり前になってしまったいま、東京まで1時間半かけて出勤できるこの場所で、東京からあえて距離をおいて職住一体の豊かな暮らし方を実験する。東さんの暮らし方には、この地域でのこれからの働き方や過ごし方を考えるヒントがありそうです。

作業台の上に置かれた竹細工

暮らしの実験

東さんは現在、この地域でとれる竹を製材し製品化するプロジェクトを進めようとしています。それには様々な人と関わりながら進めていく必要があると東さんは言います。山に入り、竹を切る人、切り出した竹のアク抜きを行う人、竹ひごに製材する人、竹ひごで部品を作る人、様々な人と協力して進めていかなければなりません。これまでの自分の目の届く範囲で物作りをしてきた東さんが、そこから一歩踏み出そうと思ったのはなぜだったのでしょうか。

東さん:
「自分以外の人と関わりあいながら物作りを進めることは、大変なことだと思います。でもこれからは自分の手の届かないところもやってみたいんです。このプロジェクトは自分にとってはチャレンジです。」

建築のようなスケールの大きなものづくりと、竹細工のような手の届く範囲でのものづくり、その両端を経験した東さんが、今後どのような答えを出すのでしょうか。「ものづくりには適したリズムがある」。かつてウィリアムモリスが”クラフト”に、日本では柳宗悦が”民藝”に見出したものづくりの適正なリズム。東京と程よく距離を置いたこの地で、今後どのような暮らしの実験が行われていくのか注目です。

リンク:
ヒガシ竹工所