みんなで祝う、懐かしくて新しい“建前”の復活
耕すデザイナー。マックブック片手にトラクターを乗りこなす。
千葉県市原市出身。市原市在住。里山暮らし。
“たてまえ”という言葉を知っていますか?
新しく家を建てる際に、工事が棟上げ(むねあげ)まで終了したところで執り行う行事で、漢字では“建前”と書き、別名、上棟式とも言います。建物の棟が無事上がったことへの感謝と、これからの工事の安全と完成を祈願するために行われるものです。日本では建前を行う際、近所の方々を招いて餅をつき、振るまう習慣があります。災いを払うとともに、地域の住民たちへの感謝や、ついた餅を屋根からまくことで、幸せを独り占めせずに福を分けるといった意味があるそうです。
ここ千葉県市原市の旧加茂村でも、新しい家が建つと“建前”が行われてきました。建前がある日は、屋根の上からまかれる紅白の餅を楽しみに近所の子供達や住民が集まり、とても賑やかな一日となるそうです。
今では旧加茂村でも過疎化が進み、新築の建物が建てられることが減ったため、建前が行われることはほとんどなくなってしまいました。
そんな旧加茂村の小さな集落の中にある一軒の空き家を、2人の若者が借りることになりました。何年間もしめきられていた空き家に光が入ることになったのです。
この空き家が開かれることを祝して建前が開催されることになりました。空き家で行う建前とはどのようなものなのでしょうか。舞台となる千葉県市原市の養老渓谷を訪れました。
空き家を次の世代へ
小湊鉄道養老渓谷駅を降り、駅前の商店や小さな豆腐屋を通り過ぎると、集落の中へと入っていきます。軽トラックがかろうじて通れるほどの細い道を進んでいくと、垣根の向こうに見えてくる青い瓦屋根の家が今回の建前の会場です。典型的な木造平屋建ての内部をぐるりと縁側が囲み、南側の縁側に座れば広い庭と、入り口に立つ大きなもちの木を眺めることができます。この縁側に座ってもちの木を描いたことが、子供の頃の思い出だと話すこの家の家主は、現在市内北部で会社を経営し、北部に家を建て家族で暮らしています。それでも週末には生家であるこの家に帰り、代々続く田んぼを守り続け、敷地内の建物や庭木の手入れを続けてきました。しかし人が住まなくなった家は傷みが早く、取り壊すことを考え始めていました。
過疎化が進む市原市南部ではこのような空き家の増加が問題になっています。若者は仕事や便利さを求めて市内北部や都心部へ流出し、残された家や農地は、次世代に継がれることのないまま空き家や耕作放棄地になってしまうのです。
こうして増えていった空き家を次の世代へ引き継いでいこうという活動が市原市にはあります。宅を開くと書く“開宅舎”は、市原市南部、主に加茂地区の空き家の調査・管理・情報発信を行う団体です。建前の会場となるこの空き家も開宅舎によって紹介された物件でした。
変わる価値観
この空き家を紹介した開宅舎の原さんは、空き家を若い世代に上手に活用してほしいと言います。大家さんや地元の方々が短所だと思っているところも、若い世代にとっては、逆にそれがいいところでもあります。この家も決して状態は良くありませんが開宅舎にとっては宝物のようにうつりました。
この家を借りることになった松下さんは、市内北部に家を持ちながらも、南部の里山地区に関わりを持ちたいという思いを持ち続けていました。北部の街から通いながらでも楽しめることはないか探していたところに、開宅舎からこの空き家を紹介されました。
原さん:
「自分たちで直す過程を楽しみたいというリクエストに、この家がぴたりと合致しました」
松下さん:
「お金を払えば短期間できれいに改装することができますが、それじゃあつまらないと思ったんです。自分たちで直す過程を楽しみたい。だから古くても構わなかったんです」
家主にとって古くて手のかかる空き家も、松下さんとっては自由に手を入れることができ、その過程を楽しむことができるフィールドにうつったようです。
また、松下さんは、色々な人を巻き込んでいきたいとも考えていました。
松下さん:
「市内北部の市街地に住む僕たちにとって、南部の里山はとても魅力的なフィールドです。北部の周りの友人たちをこの空き家に呼んで、里山に関わりを持つきっかけになればいいと思いました。この家の活用方法もまだ具体的に決めていません。いろんな人を巻き込みながらみんなで決めていければいいと思っています」
そんな松下さんに開宅舎は、“建前”を提案しました。新築ではないので棟上げはありませんが、代わりに長い間しめ切っていた戸を開け、中に光と風を通します。
原さん:
「空き家の開宅を祝する私たち流の建前があってもいいんじゃないかと思ったんです」
開宅舎の原さんは続けます。
原さん:
「近所の人や北部の友人を招待してみんなでついて、できた餅を食べたり、これからお世話になる人に配れば、いい自己紹介になるんじゃないかと思いました。地域の人にとっては彼らを知る機会になり、彼らにとっては地域の人に馴染むための最初の挨拶になります」
この“建前”は、松下さんのような若者にとって新鮮な文化にうつったようです。こうして、すぐに開催することが決定したのです。
年寄りの知恵と若者のアイデア
“建前”をやることは決まりましたが、いざ始めようとすると、何から始めたらいいかわからなかったと原さんは言います。臼と杵は地域の年寄りから借り、餅米の蒸し方や、つき方なども地域の年寄りに教えてもらうことにしました。
むかえた当日、まずは庭に釜を設置し、薪で火をおこします。薪は地域の製材所で頂いたものです。前日から水につけておいた餅米を蒸籠に入れ、釜の上にセットします。餅米の蒸し方も知らない若者に、地域の年寄りが一から丁寧に教えます。
しばらくして木蓋を開けると、むしあがった餅米のいい香りと、白い湯気が立ち上がり、中から艶のある真っ白な餅米が姿をあらわしました。
蒸しあがった餅米は、熱いうちに杵に移します。餅つきはスピード勝負です。熱々の柔らかいうちに杵を使って練っていきます。米の粒が潰れて塊になってきたら、いよいよ杵を振りかぶってついていきます。
「ばかやろう、そうじゃねえ」ベテランからのお叱りを受けながら、何とか餅を形にしていきます。つき手と返し手が声をかけ合いながら、ついてはたたむ様子は熱気のある祭りのようです。
少し前まで空き家だった場所が活気に包まれました。静かだった空き家に、餅をつく音と、大きな笑い声が響き渡ります。
つきたて熱々の餅をみんなで丸めます。丸めた餅は、参加者みんなで山分けしたほか、大家さんやお世話になった方々、近所の方々に配りました。
「餅つきやってたっぺ、いい音が聞こえたよ」遠くまで響く音に誘われて、近所の年寄りが集まってきました。残った餅をみんなで食べながら、新しい若者の挑戦を祝います。普段接することのない地元の年寄りと、外からきた若者が、この家の活用アイデアや、この地域の未来について話し込む場面も見られました。中の人も外の人も、分けることなく誰もが楽しむことができる、それが建前の魅力のようです。
最後に四隅には塩を盛り、周囲に酒をまき、屋敷神である稲荷様に供え餅と塩を盛り、“建前”はお開きとなりました。
建前は世代を超える
昔から“建前”は子供からお年寄りまで幅広い世代が楽しむことができる行事だったようです。「今度建前やるよ」と地域のお年寄りに声をかけるとみんな懐かしむように話を始めます。「近所の人と一緒にエプロン広げて、屋根から投げられる餅を受け取ったのよ」「何日も前から楽しみにしてたねえ」思い出話が盛り上がります。
また、臼と杵は一家に一対はあり、お祝いがあるごとに、みんなで餅をついて、みんなで祝う、そんな文化があったと言います。建前の会場となったこの家の納屋にも、杵がしまわれていました。
また、この家の庭にはもちの木が植えられています。ご先祖さまが将来、餅をつく杵を作るのに使うからと植えておいたものだそうです。
生まれた時からマンションやユニット工法の家に住む若者世代が体験しない“建前”。そして、今では家庭で気軽に食べられるようになった餅ですが、餅つきを通して昔からの知恵を享受し、手間をかけながら、会話を楽しみながらみんなで食べること。
暮らしは便利になりましたが、その反面、おめでたいことをみんなで祝う機会が減ってしまったようにも思います。おめでたいことは、みんなで分け合い、みんなで祝う。現代の便利な生活に慣れきった私たちが忘れかけている大切な文化や考え方が建前や餅つきにはあるようです。