前回(島の緑・守られる自然の与える豊かさ篇)までは奥尻島の魅力についてお伝えしてきました。皆さんは「魅力溢れる奥尻島は誰が支えているのだろう」、そう思いませんでしたか?そこで今回からは奥尻島を支えてくれている“人”について紹介していきます。
奥尻島には昔から島に住んでいる“土の人”と、奥尻島の魅力に魅了され移住してきた“風の人”がいます。土の人も風の人もそれぞれ違う観点に目をつけ、奥尻島の魅力をたくさんの方に伝えてきました。
奥尻島では6年前から日本酒を作っています。奥尻島の水を使い、奥尻島の潮風にあたりながら育った米を使った奥尻産100パーセントの日本酒です。島内、島外から評判も良く、海産物にとても合う味だと言われています。この日本酒づくりをすすめたのが、奥尻町役場水産農林課 課長の滿島章さんです。災害に強い町作りのために活動をしていて、奥尻高校の行事や授業にも参加、協力をしてくれています。今では奥尻島の活動には必要不可欠な存在です。実は、私たち奥尻高校のオクシリイノベーション事業部(以下OID)が昨年、日本酒のパッケージデザインを担当した縁もあり、今回インタビューを行いました。
日本酒の始まり
人口減少がすすみ、奥尻島では規模の小さい農家や担い手がいない農家が増えてきています。それを少しでも解消させたいと思い、新しいことに挑戦しようと立ち上がったのが奥尻島の日本酒のはじまりです。2012年、奥尻町長である新村町長が発案し動き出しました。
滿島さん:
「“奥尻産100パーセント”の日本酒をコンセプトとしたかったのですが、奥尻島にはワインの工場しかなく、日本酒を作ることができなかったのです。そこで、外部へ製造を依頼するにあたっても、大きな課題がありました。それは、奥尻島が行う取り組みにどこまで製造会社が協力してくれるか、ということです。自分たちがどれだけ熱意を持って日本酒作りに取り組みたいか、日本酒でどう奥尻島を変えたいかを伝えてきました。そして、出会うことができたのが、夕張郡栗山町の小林酒造株式会社でした。小林酒造は町の考えをくみ取り協力をしてくれ、製造場所を確保することができたのです。しかし、新たな課題も出てきました」
それは、材料です。コンセプトが“奥尻産100パーセント”のため、米、水は全て奥尻産としています。初めは奥尻島で作っている奥尻米で作れると思っていました。しかし、食用米で日本酒を作ることは難しく、酒米を選ぶところから再スタートを切ることになりました。
滿島さん:
「北海道には『吟風』と『彗星』の2種類の酒米があります。奥尻島の気候は北海道の中でも暖かく、耐寒性の弱い吟風にとても合っていました。さらに、吟風は奥尻島の強い潮風にも耐えることのできるぴったりの酒米だったのです。その酒米の育成に、島の米農家が挑戦してくれることになり、1ha分の酒米を奥尻島で作ることになりました。予想通り、奥尻島の気候が『吟風』に合ったのかとてもいい酒米が完成しました。発案から1年のことです。そして、酒造と相談しながら、いよいよ次の年2014年から日本酒を造ることになりました」
日本酒には、奥尻島の神威山の麓に流れている水を使っているそうです。神聖なブナ林から湧き出ており、澄んだとてもきれいな水です。その水を年に1回、2月頃、5トン分をきれいに消毒したポリタンクに入れ、協力してくれた農家と滿島さんらが、牛を乗せるトラックに積み、奥尻島から早朝に出航するフェリーを経由し栗山町まで運んでいきます。
酒米と水の2つの材料が揃うと、そこから日本酒作りに入っていきます。酒造によると、奥尻島で作った酒米と水の相性は良く、酵母が活発に動いていて素晴らしいお酒ができるようです。こうして相性抜群な素材は、なんと1年目にしてお酒に仕上がったのです。
滿島さん:
「日本酒本体が出来上がり、あとは日本酒の名前とラベルだけです。ラベルは飲んだことのない人でも日本酒のイメージを持てるように、奥尻島のことをよく知っている人、奥尻にずっと住んでいる人の方がストーリー性があると考え、ラベルコンテストを行い決定しました。また、日本酒の名前についてはたくさんの候補がありましたが、“そこはやっぱり『奥尻』だ。”ということになり、満場一致で『奥尻』という名前に決まりました」
このようなこともあり、「やっぱり奥尻産にこだわって良かった」と滿島さんは実感できたそうです。大変な思いもたくさんありますが、奥尻産の物を使うことは日本酒を作る上での譲れないこだわりで、これからもそこを変えずに作り続けたいと決めています。
完成後と日本酒のこれから
2015年、「奥尻」という日本酒が出来上がり、たくさんのメディアに取り上げていただいたこともあり外へ向けてのPRにはなりました。しかし、奥尻島民の方は日本酒のことをよく知らずにいたのです。そこで、島で発売される日に島内で大試飲会をしようということになりました。同年5月に大試飲会を計画し、島の中だけで試飲会を行いました。それが今でも続き、1年に1回は必ず試飲会をすることにしているそうです。さっぱりした味の日本酒は魚介類ととても合うので、島の内外から大変評判が良く、奥尻島らしい日本酒が出来上がったことを物語っています。
滿島さん:
「『奥尻』のような作り方の日本酒は中々ありませんが、これからもずっと続けていくつもりです。そのように決意したのには、『奥尻』が完成した時の町の盛り上がりや、観光客の方達が与えてくれた影響があります。6年たった今でも続いていることがいい取り組みになった証拠だと感じます。これからも1年1年アクションを変えながら、企画に趣向を凝らしていきたいと考えています」
そんな中、2019年、滿島さんたちは日本酒発売5周年記念として限定酒販売を行うことになりました。
そこで、私達OIDが依頼を受け、限定酒のラベルを作ることになりました。5周年限定ラベルは、子供達が大人になってからこの日本酒を飲みたくなるようにという想いに加え、奥尻島のストーリーを感じられるようなデザインにしています。滿島さんも予想以上の出来に驚いたようです。そんなラベルの効果もあったのか、販売初日には200本売れ、出荷した987本すべてが売切れとなりました。一瞬で完売したため、“幻の奥尻の日本酒”となりました。10周年の計画も同じように“幻”となるようなものを作りたいと滿島さんは構想しています。そして、奥尻島の米を守ることが目的で米を栽培する人が増えることこそが、最終到達点だと語ります。
日本酒作りに多くのこだわりやドラマがあったことを知り、日本酒「奥尻」を飲みたくなったでしょうか?このような苦労があったからこそ、奥尻島が作る本気の日本酒が誕生したのではないか、そう考えています。
さて、ここまでは日本酒についてでしたが、滿島さんは日本酒以外にも奥尻島の為に様々な場面で活躍されています。奥尻高校で行っている取り組みにも協力してくださっているのです。
今後の奥尻島のために
これから奥尻島は人が減っていくと予想されています。その上で産業の問題なども出てくるでしょう。ですが、今いる人だけでそれを落とさずに上げていけるようにしなくてはいけません。そのための取り組みをしたいと滿島さんは考えています。奥尻島には護るべき自然もあります。資源も豊かです。そこをさらに光輝けるように手助けすることが仕事だと考えています。
滿島さん:
「高校生だけでなく、中学生や小学生まで、子供達が伸び伸びと奥尻島で過ごしていけるような環境があればいいですね。奥尻島のことを知った学生が奥尻島に来てみたいと思うと、今はたくさんの決断が必要です。ですが、少しでも奥尻島らしい生活体験などができるように、近いうちにプログラムの実行を検討しています」
また、総合的な探究の時間での講師をはじめとし、奥尻高校との関わりも増えています。水産業の育成においても、滿島さんは奥尻高校の目玉であるスクーバダイビングでの機材整備にも携わり、スクーバインストラクターと奥尻高校との重要なコネクターとなってくれました。他にもコラボ企画も予定しており、沢山の素晴らしい協力を得ています。
学校の取り組みで気になることなどがあれば、自分ができる範囲で協力したいと滿島さんは考えています。奥尻高校の活動に共感してくださり、前回のOIDのローカルニッポンの記事を見て、今度、奥尻島のことを聞かれたらこの記事を見せて紹介したいとおっしゃってくれました。そして、自分が伝えたことで高校生が行っている活動がさらに素晴らしいものになるのであればもっとたくさんのことを伝えていきたいと考えてくれているのです。
滿島さんのような活動をしている人がいるからこそ、奥尻島はさらに活性化されていき、魅力がさらに輝き増えていくのでしょう。私たち高校生も新しいアイデアを出し、滿島さんをはじめ協力してくださる方々と一緒にその魅力を伝えていきたいです。これからはこのように奥尻島を支えてくださっている“人”に注目していきたいと思っています。
是非次の記事で、そして奥尻島でお会いしましょう。
文・写真:北海道奥尻高等学校 オクシリイノベーション事業部(OID)