ローカルニッポン

今ここで、できること。 福岡県北九州市

コロナウィルスという見えないものに対峙し、当たり前が当たり前でなくなった今、改めて働き方や暮らし方を考える方も多いのではないでしょうか。
集まろう、集まろうとしていたことができなくなった今、活動がシェアされてることで、じんわりと広がるエネルギーになればという想いをこめて“ローカル”で行われている「今ここで、できること」を少しずつ紹介していきます。

北九州市といえば「〇〇」と一言では言いにくく、「北九州市と聞くと何が思い浮かびますか?」と市内で尋ねてもおそらく答えは人それぞれになってしまうでしょう。
それもそのはずです。なぜなら、北九州市は門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市が合併した政令指定都市で、面積も広く人口も多いため、非常に多様性に富んだ自治体だからです。今回はこの北九州市を舞台に、自治体とまちのゲストハウスとで取り組む新しい移住の形をお伝えしていきます。

多様な文化が共生している北九州

国の重要文化財で九州の玄関口である門司港駅

私の出身地である門司港は130年前に開港してから明治・大正にかけて、日本中・世界中の人が行き交い、神戸・横浜と並んで日本の3大港と呼ばれてきました。その当時はとてもハイカラで、オシャレなお店が多く、飲食店やダンスホール、映画館なども多くありました。今もその名残でたくさんの商店街や市場があり、当時建てられた洋風建築のレトロな建物がいくつもあります。それらを活かして「門司港レトロ」と称した観光地になっている地域です。

一方で、八幡は八幡製鉄所に代表されるように製鉄で栄えたエリアで、九州だけでなく日本中から多くの人が働きに集まりました。24時間体制の製鉄所に合わせてお店も24時間営業を行うようになったともいわれています。24時間営業は北九州が発祥といわれるほど、ここではだれもが知っているうどん屋さんである「資さんうどん」など、現在でもその名残で24時間営業のお店が多くあります。

まちの成り立ちは多様ですが、このように北九州市は産業革命以降に炭鉱・鉄とその貿易のための港で栄えたまちであり、大正から昭和にかけて日本でいち早く発展を遂げて、多くの人が北九州市へ出稼ぎのために移住をして一気に大きくなりました。

旧八幡製鉄所の工場群

しかしながら、鉄の衰退と共に徐々に人口も減り2000年代ついには100万人を下回るようになりました。日本の政令指定都市の中でもいち早く少子高齢化という課題に直面しています。大学に通うために他の地域から北九州市へ移り住んできても、卒業に合わせて若者の多くが他の都市部に出ていくのが一般的な形となってきています。

とはいえ、最近ではUターン、Iターンで北九州市に移住して起業する人も出てきています。IT系でスタートアップする起業家もいれば、ゲストハウスやカフェ、雑貨屋さんのようなお店を始める方もいます。都心部の小倉だけでなく、門司、八幡など各地域でエリアの雰囲気や特性を活かした形でお店を始めたり、事業を立ち上げる人も出始めています。

小倉にあるスケボーパーク

まちの風景や文化をつくる人でありたい

代表の菊池勇太 ゲストハウス「ポルト」の前で撮影

ここで自身について。私は10年近く前から6年間、福岡市の天神でマーケティング・リサーチ(市場調査)を専門とする企業に勤めていました。その間、福岡市はますます発展を遂げ、多くの企業が参入し、インバウンドの観光客も増え、今では若い人の移住人口も非常に伸びているようです。このような地域で働き、暮らす中でこれからの社会はどこに向かっていき、人はどんな暮らしをしていくのかと考えてみると、経済の成長と都市の発展の中だけで人は本当に豊かになるのだろうかという思いが生まれました。

日本には多様な地域があり、それぞれが多様な文化のもとで暮らしている。人の価値観も多様になってきている時代に、均一化していく都市部のまちの景色と暮らしへの違和感が日に日に募っていきました。昔住んでいた頃はあまりわかっていませんでしたが、北九州市は地域ごとに文化が異なり、特に私が生まれ育った門司港は特殊なまちの成り立ちを経て、日本の経済発展を支えたエリアであることを外に出て知りました。

このようにして、一度外に出たことで客観的に見えてきた北九州市の良さや地域の産業と文化のおもしろさ。理解が深まり始めた5年ほど前から、“地元門司港に戻って何か始める”ということをぼんやり考え始めていました。

そんなとき、関門海峡を挟んで門司港・下関の両側から花火を上げる大きな花火大会である「関門海峡花火大会」のボランティアスタッフを手伝ってほしいと地元から声をかけられます。「関門海峡花火大会」は約30年前に始まり、毎年8月13日に行っています。当初は「門司港レトロ」という観光地開発が行われる前で、地域はどんどん衰退して寂しくなっていた頃。有志の方々がお盆の時期に地元に帰って来る人たちが楽しめるようにと企画して、それから毎年開催されて今では約100万人が訪れる大きなお祭りとなっています。

物心ついた時から毎年見ていた花火大会は私にとっても夏の風物詩でした。友人たちや家族と見に行った色々な思い出があり、とても思い入れのあるお祭りです。子どもの頃から当たり前だと思っていた風景や私の大切な思い出は、誰かが一生懸命つくったものだということがわかり、私自身もまちの風景や文化をつくる人でありたいと思うようになったのです。

これからの働き方、暮らし方をつくる

こうして、2年前に北九州に戻ることを決意しました。
きっかけとなったのは約70年前に建てられた元旅館の建物です。この建物がなくなるかもしれないという話を聞いた現在のオーナーさんが物件を購入し、“宿として営業してくれる人がいないだろうか”と探されていた時にちょうど出会うことに。この出会いをきっかけに、まちの風景や文化をつくる人でありたいと思っていた私は、門司港らしいレトロな建物を残すためならと一念発起して、「門司港ゲストハウス“PORTO”」を立ち上げました。PORTOはラテン語で港です。港のように多様な人が行き交い、そこから新しい文化が生まれ、たくさんの人の船出を見届けることができるようにという想いからPORTOという名前にしました。

「ポルト」で実施したイベントの様子

昨年3月に「門司港ゲストハウス“PORTO”」がオープンしてから、他の地域から北九州市に遊びに来る人達と関わることができています。嬉しいことに、その中から移住する人も出てきて、まだまだ少ないですが徐々に若者も増えてきました。2年経つと、北九州市内の企業やお店の方々との関わりも増え、繋がりもできていきました。

そんなときにコロナウイルスが世界中に広まり、世界が一変しました。多くの人がこれからの社会がどうなるのか、自分はどう生きるべきなのかと考えているのではないかと思います。実際に、東京から地方への移住に関心が高まっているところをみても、これから都市部からの大きな流れが増えていくのではないでしょうか。私自身も身近なところからの相談も受け、身をもって地方移住への関心の高まりを感じていました。

ちょうどその頃、北九州市の移住促進を担当している地方創生推進室の方から「リアルな場所での移住相談ができない状況になっているが、若い層の地方移住への関心が高まっている中でオンラインでの移住相談をやれないだろうか」という話がありました。こうして、5月から北九州市のオンライン移住相談員となり、全国でも先駆けてオンラインでの移住相談がスタートしたのです。

コロナウイルスによる影響ですぐに始まったオンラインでの移住相談は、移住を検討している若い世代にとってメリットの大きい取り組みだと感じています。価値観の変化に加えて、実際の働き方も変化してきている今、人の暮らし方も移住の形も新しくなっていくと思います。例えば、副業をすること、2拠点生活をすることもより一般化していくでしょう。そういった生活をしている人はまだ少ないですが、私がいる北九州市でも少しずつ増えてきています。これからは、働き方も暮らし方もより多様に、より自由になっていくはずです。北九州市は都市と田舎が入り混じっていて、地域ごとに文化も仕事も様々で、働き方や暮らし方を色々な選択肢から組み合わせることができるまちだと実感しています。

これからも、自治体とまちのゲストハウスが連携し、今だからこそできる“オンライン移住相談”という取り組みを通して、新しい移住の形や暮らし方を北九州市から生み出していきたいと思います。

ゲストハウスでは様々な打ち合わせも行われます

文:合同会社ポルト 菊池 勇太
写真:カシャッと舎 萩康博