土壁に住まう。火と木と土と暮らす、本質に還る家
自然を愛するライター/自然ガイド。生粋の房州人である夫と結婚し、2014年から南房総市民に。二人の子どもと仲間と自然遊びに没頭しながら、風土に根ざす生き方、暮らし方、コミュニティの在り方を探っている。
南房総市三芳(みよし)地区。山と平地の接点に民家が軒を連ねる生活道の途中に、その家はありました。一見周囲と溶けこんでいても、よく見るとなにかが少しずつ違う…無垢の木板が張られた外壁、藍染めののれんがなびく開けっ放しの玄関、家から突き出る二本の煙突、流線状に区切られたハーブガーデンと、そのハーブたちの生命力の勢い…。
この家の主は、自宅の裏にあるお寺「薬王寺」を音楽スタジオに活躍するプロのサウンド・エンジニア(monk beat)の山口泰さんとパートナーの佳子さん。ここではどのような暮らしが営まれているのでしょうか。
玄関から敷居をまたぐと…とこの家には敷居がなく土間と外が一続きなのですが、内側には外からは想像できない大きな空間が広がっていました。すべての壁は黄土色の土で塗られ、高い天井には太い梁(はり)が何本も走り、バッハの音楽がホールで聴くように空間に満ちて凛と響いている。呼吸が自然と深くなり、まるで土の中にいるような、静かな森にいるような、澄んだ親密な空間がそこにありました。
近年古民家をDIYで改修して住む人が増えていますが、まさか家の壁のすべてを土壁で作ってしまうという話はなかなか聞きません。この不思議と心地よい家について、山口ご夫妻にお話を伺いました。なぜ、どのように、その壁や家が生まれたのか?そこにかける家主の想いを紐解いていきます。
火を焚く暮らしができる家で、生きるリズムが変わった
佳子さん:
「囲炉裏に火をいれるところから朝が始まるんですが、火をともせる時間がすごく大切です。外で仕事をして疲れて帰ってきた時ほど、火が焚きたくなります。火を焚く匂い、音、(火を入れた)食べ物の味、ゆらぎ…。暮らしの中心に火があり、そこからもたらされる癒しがありますね。
それから、火を焚くと家の中を乾燥させてくれるようで、湿気が少ないんですよね。湿度が下がって逆に涼しくなる。高温多湿の日本の風土に、囲炉裏のある家というのは理にかなっているんだなぁと思います」
泰さん:
「火のある暮らしと土壁と土間というのは、日本人にとってとても自然な選択肢だったのだと思わされますね。その土地にある素材で家を建て、木を燃やしてエネルギーにして生活に使っていく。火を焚く暮らしって大変じゃない?とよく聞かれるんだけど、楽しさの方がちょっと上を行くんですよね(笑)。(壁の方を指差して)土壁のところどころに隙間があるんだけど、庭で発酵させている土でそれをふさぎながら直していくんです。そんな風に人が家に少しずつ手を入れながら、家や空間/時間の使い方も有機的に楽しんで作っていく。言ってみれば、完成形がない。住むって、生きていくって、そういうことかもしれないですね」
二人で意見が合致した、土壁という選択
もともと館山市の別の場所に居を構えていたというお二人。二年前にスタジオの前の土地に家を建てると決まってから、家づくりの構想はどんどんスムーズに実現していきました。 そうした中でなぜ“土壁”という選択肢が生まれたのでしょうか。
泰さん:
「僕の場合は、一昨年亡くなられたのだけど、音楽の分野では真空管アンプの製作の第一人者として世界的に有名な佐久間駿さんが『土壁が一番音が良い』と昔おっしゃっていたのを覚えていました。漆喰など何か壁に塗ってしまうと音が反射してしまいますが、土壁や土間ならば適度に音を吸収してくれ、音がとても柔らかく自然に響くんですね。それも選択の追い風となりました。
あとは『予算的にこの方法しかない』と村上さん(村上建築工房。この家の建築を手がけた地元の工務店)に言われたのもありますね(笑)。土壁の素材は土と藁と雨水のみで、一切お金がかからないから」
佳子さん:
「派遣看護師としていくつものデイサービスの施設を巡る仕事をしていたとき、一ヶ所だけとても波動がよいところがあって、そこが土壁だったんです。やっているサービスの内容は同じなのに、そこにいるスタッフも利用者さんも穏やかで、人の心持ちがこんなにも違うことに驚きました。それで土壁にしよう、と直感的に思ったんです」
確かにその土壁に囲まれた家の中にいると、“平和”と言えるような、穏やかで満たされた気持ちになりました。また家の地中には埋炭がしてあり、そのことも場の浄化に大きな力を持っているとか。山口さんのお宅はいたってシンプル。寝室になっている一間に生活用品が収まるほかは、囲炉裏のある広いリビングスペースと土間、かまどのあるキッチンと火で沸かすお風呂、トイレがあるのみです。家にはその人の生き方がそのまま表れると言われます。このお宅を拝見して、家づくりの選択一つ一つに、知性と感性の絶妙なバランスで“豊かさ”の本質を見抜き、シンプルに生きるお二人の生き様が表れているように感じました。
土壁ができるまで
通常だと外壁の内側に断熱材を入れて内壁で閉じて仕上げるような壁づくりにくらべて、土壁をゼロから作るのはとても手間がかかるように思えます。土と藁と雨水があればできるという土壁ですが、山口さん宅の土壁はどのようにして完成したのでしょうか。
まずは軽トラの二杯分の土と、同じく二杯分の稲藁を用意します(山口さんは、土は近所の知人の畑から、藁は同じ三芳地区で農業を営む有機農家から譲ってもらったそうです)。稲藁は10cmくらいに刻んでおきます。それをビニールシートを敷いて作ったプールの中で混ぜ合わせます。最初は足で踏みながら混ぜていたそうですが、その方法だとまだ堅さのある稲藁が足に刺さって辛く、混ざり切らなかったとのこと。最終的には耕運機を使って混ぜたそうです。
混ぜた土は、暑い時期にビニールシートをかぶせて熟成させます。土壁は発酵させた土で作りますが、藁が発酵により分解し繊維となり、苆(すさ)として働くことで、壁の強度が高まります。熟成が完了すると、発酵臭がして土の色も青っぽくなります。山口さんの家づくりでは、8月から10月頃まで寝かせたそうです。
一方、土を塗っていく壁の土台は「木摺り(きずり)工法」で大工さんたちが仕上げていました。古来から土壁の下地には竹を組んで土台にする工法(竹小舞)がとられてきましたが、この家では“この場において一番効率の良い方法は何か?”と設計士さんと検討した結果、木摺り(幅3センチ程度の木板を縦横に格子状に張った壁の土台)にしたとのこと。
泰さん:
「一般的な家づくりだと“こういう家が作りたいから、こんな材料を集めてくる”という流れですよね。それとは逆の発想でした。その土地にあるものをどのように生かして家を建てるか…材料や人の関わり、全体の流れなどを考えて、環境負荷としても人の労力としても最も自然で効率的な方法は何か?そういう共通の視点を、工務店の村上さんと友人の設計士の高木さんが持っていてくれたのがありがたかったですね。おかげで現場はどんどんスピード感をもって進んでいきました」
土と土台ができたら、ついに土壁の塗り作業に入ります。木が組まれた土台の上にひたすら土を塗りこんでいきます。二日間行った土壁塗りには、プロで左官をしている友人から土壁を体験してみたい人まで、のべ30人もの人が集まったそうです。
この光景から、日本の里山で生きていた“結(ゆい)”というつながりのことを思いました。茅の葺き替えや田植えなど、人手が必要な仕事には大勢が集まって行い、助け合う地域協業の文化(結)は、この地域でもつい最近まで生きていたといいます。人々のライフスタイルが自然から離れるにつれ、消滅していった結のあるコミュニティ。家づくりを通して、この地でにわかに再興していました。
家づくりを通して、地域と人と深くつながる
「たくさんの人の力でできた」と話す山口さん宅の家づくりのストーリー。それは最初の木の伐り出しから始まりました。
友人でもある設計士が、共通の友人の祖父母宅で、35年前に裏山に植えたスギとヒノキを間引きしたいと言っていたのを聞きつけました。そこで「これを伐って家の柱に使ったらどうか」と提案したそうです。
そして2年前の夏にその裏山で間伐する木の皮を立木の状態で剥ぎ、半年間乾かして、冬の間に伐っておきました。この皮むき伐採という方法では、水分が蒸発した分だけ材が軽くなり、搬出が楽にできるというメリットがあるそうです。そして4月には仲間たちと重機を使わずに山から運び出しました。その数はなんと46本!
山口さん:
「山から木を伐り出し運び出すという行為はまさにご神事。自然の恵みを人が感謝と祈りを捧げながら頂戴するということを、仲間たちと共にできたことはとても幸せでした。地元の祭りで神輿を担いでいる人にも声をかけて、友人が太鼓を叩く中、音に合わせてみんなで山から木を下ろすという“祀りごと”になりました」
佳子さん:
「その木を村上建築工房さんに持っていったら、驚かれたんです。三十年そこらの木でこんなに立派な木は見たことがない、と。それで私たちの家づくりの仕事を請け負うことを決めてくれました。“みなさんで気持ちを入れて運んだこの素晴らしい木を、一ミリも無駄にすることなく最大限に活かした家を建ててみたい”、と。そうして、最も長い二本の木を梁にした屋根の形にしてくれたんです」
泰さん:
「ご縁ある人たちからのギフトがなければ、この家はできなかった。譲ってもらえるものはありがたく譲り受け、既製品を買わずに済んだお金をお礼や大工さんの技術に支払う謝金などに変えていく。確かに時間はかかりますが、友人知人に声をかけて手伝ってもらうということを続けていくうちに、住んでいる地域での縁とか信頼関係が出来上がっていきます。
本来、家を建てるというのは人ごとではなく、もっと身近なものではないかと思います。地域にあるもので家を手作りすることで、人が関わり、お金でないお礼が循環して、喜びが倍増していく。そのことがコミュ二ティを育てることにもつながっていくのではないかと思います。お金を払ってプロに任せるという時代がずっと続いていたけど、時代はどんどん変わっていますね」
佳子さん:
「私たちがこういう家を作っていく過程で、関わってくれた人が“自分の家もこうやって作りたい”と思って建てようとするなら、“じゃあ次は手伝いにいくね!”と喜んでお手伝いにいきますね。お金でなく、ご近所の人からの支え合いで成り立つ暮らし。家づくりを通してまさに実践させてもらった気がします」
お二人はこれから、その土壁のお宅で音楽と場の力に癒される「喫茶モンクビート」をオープンしようと準備しているそうです。地元の自然風土が生んだ素材でできた家は、そこにいる人を自然の、ありのままの姿に還してくれるような癒しの家でした。
泰さんが、「まるで100年もつテントを建ててもらったような気持ち」と話すその家。暮らすこと自体の楽しみと心身が健康であることの豊かさに目覚める人が増えている今、こんな自然と一体化するような家が地域に増えていったら素敵ですね。薪をエネルギーに火を焚き、地元の土で壁を直しながら住み、周囲の人と関わりながら進化する有機的な家。次世代の子どもたちに引き継ぎたい日本的で美しい住まい方のお手本が、山口さん宅で見つかりました。
文:南芙蓉
写真:南芙蓉・フジイミツコ・山口さんより提供