鴨川にあるお二人のご自宅を初めて訪れたのは、一年半前の2019年の春。私事になりますが、その頃は我が家の田んぼの脇に3坪(約10㎡)ほどのDIYの小屋を夫と作っていたのでした。土台ができ、屋根が乗り、さぁ壁だ、となって、ついに答えを先送りしていた問いに向き合う時が来ました。「土壁にするか、木板の壁にするか」。後者の方が簡単だけど、前者の誘惑も捨てがたい…。そんな時、今回取材した知人の浜田伊吹さん、祐梨佳さん夫妻が「籾殻を断熱材にして家を作っている」という話を聞き、ぜひ見せてもらおうと訪問したのがこの家との出会いでした。
「柱と床しかない家」に住みながら壁を塗った
鴨川の「みんなみの里」にほど近い、田と山の間、里山の風景に馴染むようにその家はありました。しかし決定的に変わっているのは、赤い屋根の下には柱と床しかないこと。壁があるだろう場所にはブルーシートが吊るされ、風にひらひらとたなびいています。お借りしているという古民家のすべての壁はぶち抜かれ、土が塗られるのを待っていました。
伊吹さん:
「この古民家、最初はボロボロでどこも使えないような状態でした。ここに住むことが決まってから、元の家から通いながら少しずつリフォームしていこうと思ったんですが、それでは全然埒があかないので、二人でここへ引っ越して住みながら直すことにしました。今は全部壁を取っ払っちゃったので、ブルーシートで囲ってそこに住んでいます。一応プライバシーは保たれているかな(笑)」
完成したばかりという木の床の下には、籾殻と石灰を混ぜて麻袋に入れたものがいくつも根太(ねだ)の間に敷き詰められていました。なぜ籾殻と石灰を使ったかというと、籾殻の空洞には蓄熱効果があるのですが、それだけを断熱材に使った家で籾殻から虫がわいたというので石灰を混ぜてみたのだそうです。麻袋については「自然に還る素材だからいいかと思って」と、ネットでコーヒー豆用の麻袋が大量に安く出ていたのを買ったとのこと。
大工である伊吹さんは、自然素材を扱う工務店で修行をし、関東のあちこちで家の建築に関わっています。その知識と経験があるからこそのいろいろなアイデアと試みなのでしょうが、本人たちが「スケルトンハウス」と呼ぶその家に住みながら、きっと大小無数の試行錯誤を繰り返して日々暮らしているのだろうなと当時思ったのを覚えています。また、そんな暮らし方にどこかさっぱりとした清々しさを感じたのでした、まるでスケルトンハウスの風通しの良さのような清々しさを。
新しい実験と古い知恵がミックスした家づくり
それから1年余りを経て、この夏再び伊吹さんのお宅を訪れました。スケルトンハウスの壁はしっかりと閉じられ、外側からは木造平屋建てという雰囲気で凛と建っていました。玄関の土間に足を踏み入れると、一つの壁面が保存食の棚になっており、(おそらく味噌や梅干しの)の甕(かめ)や木樽がぴったりの高さのサイズの棚に整然と並んでいます。祐梨佳さんの丁寧な手仕事が一目で想像できました。障子をひいて中に上がると、6畳と8畳の二部屋と台所のスペースがすっきりとあるだけのシンプルな作りで、壁はゴツゴツとひび割れた土壁でできていました(これにも意味があるとあとで話を聞きました)。室内の印象と言えば、カゴ素材でできたオブジェと小さなちゃぶ台、縁側には畑から採って保存される前のタネがザルに並んで置かれている…というほどシンプルでミニマルな平屋のおうちでした。
手作りの梅ジュースをいただきながら、ちゃぶ台を囲んで伊吹さんと祐梨佳さんに家づくりのお話を聴きました。まずは一年前に見せてもらった籾殻の断熱材について効果があったのかを聞いてみます。
伊吹さん:
「うーん、あそこまでやる必要はなかったかも(笑)。というより断熱以前にこの家は隙間が多すぎて、前の冬はものすごく寒かったんです。最近やっと僕に時間ができて、集中して引き戸を入れたり壁を作ったりする大きな仕事に取りかかれました。でもまだまだ隙間があるので、閉め切ったときにどこから風が入ってくるか手をかざして確認しながら、一箇所ずつ塞いでいるような状態です。縁側の廊下も最近できたところ。この家は勝手口やトイレなどまだまだいろいろなことが途中です」
家の壁の骨組みとなる竹小舞は、妻の祐梨佳さんがほぼ一人で2週間で編み上げたそうです。祐梨佳さんは近くのパーマカルチャー施設「Uzumé(旧:STONE BRIDGE)」で働いていて、この自宅で自然農の講座を開催したりもしています。どんな風にこの家の壁づくりは進んでいったのでしょうか。
祐梨佳さん:
「この家の壁を解体したときに前の人が編んだ竹小舞が残っていて、その使える部分を再利用して編み直しました。足りない分は、竹を切ってきて裂いて、元の編み方の真似をしてやってみました。
土は、壁を壊したときにボロボロと落とした土を一箇所に集めて、もう一度水で溶いて、藁と少し粘土を足して発酵させておきました。土間の部分は、友達が家に来てくれた時に数日で仕上げたんですが、あとは…私一人でコツコツやりました。家づくりを一から自分でやってみたいと思っていたんです。それで人としてひとつ成長したいという気持ちがあったので、とても貴重な体験でした。
細かい話をすると、この家で竹小舞をした昔の人は、柱の間に一本のままの篠竹を縦横に等間隔に通して、その間に真竹を割ったものを使っているようでした。残っている竹小舞を見ると太さもまちまちだったりして、それも当時の人の手仕事と繋がったような感覚のある面白い仕事でしたね」
伊吹さん:
「竹小舞を編むのとその上をおおう荒壁塗りは、昔は家主と村の人でやっていたんです。素人でもできる仕事だったんですね。その状態で壁を一年置くと、荒壁は粘土と藁だけなので、どんどん乾燥して割れていきます。その隙間に引っ掛けるように、粘土と砂を調合した土を左官屋さんが塗って中塗りをして、初めて平らな面を出すんですよね。そこに予算がある家はもう一度仕上げ塗りをしたりもします。我が家の場合は、綺麗にする必要も感じないので、この荒壁で終了にしようと思っていますが」
二人のお話をうかがっていて、時代こそ違えど、昔の人と同じ作業を同じ家でしているというリレーにじんわりと羨ましい思いが湧いて来ました。そこにプラスされる若い夫婦による新しい試みに、かつての家主はきっと「なんだか面白いことやってるな」とニヤニヤしていることでしょう。
「バナキュラー」とは建築の用語で “土着的な、風土に根ざした、その土地ならではの” という意味で使われますが、この地域でのバナキュラーなデザインとはまさにこの家が再現した木造平屋の土壁塗りの家。バナキュラーな家づくりとは、家を通して何百年と続くこの風土に深く根ざしていく所作のように思えました。
台風に被災しても変わらない、古い暮らし方の力
令和元年、大型台風の直撃で南房総地域全体が被災しました。停電が長く続き、場所によっては断水が起こったりもしました。しかしこの家に住んでいるとほとんど困ることがなかったとのこと。
祐梨佳さん:
「料理には小さなプロパンガスを使って、お風呂はドラム缶風呂で薪で焚いていますし、水は山水だし、トイレもコンポストなので、台風のあとも『電気がつかなくて夜暗いな』という程度で済みました。生活がほとんど変わらないんですね。こういう家なら、ライフラインが止まっても不自由なく生きられるんだという気づきがありましたね」
伊吹さん:
「価値観だとは思うのですが、僕はいつも “過剰でない暮らし” がいいなと思っているんですよね。家も小さく在っていいし、今流行りの、高断熱で高性能な家で冬でも暖房をつけたら半袖でいられる暮らしよりは、少し寒いなと思ったら一枚服を羽織ればいいくらいの。環境の変化に、人間が適応していくような暮らし。過剰に快適であると、そうでなくなったときに対応できなくもなりますしね」
昨年の台風のときには我が家も5日間停電しましたが、そのとき困ったのが “トイレで水が流せない” のと “お風呂に入れない” ことでした。新築の我が家の装備…タンクレスで便座を立つと自動で流れるトイレは役に立たなかったし、ボタンを押すと湯船の下部からお湯が出てくるお風呂にはシャワーで冷たい水を溜めました。灯油など電気以外の燃料があっても、電気がないと使えない家電たち。あれが9月だったから良かったものの、もし寒い冬場の災害で停電したら、お風呂にも入れないしエアコンも使えないし…と困る家ばかりではないかと想像してゾッとします。
しかし何より、“普段の暮らしとの格差に対する精神的ストレス” が相当大きいのではないかと思います。当時、長引く停電で情報が取れない不便さがクローズアップされていましたが、情報もつまりは“誰かに助けてもらう”ためのもの。自分の家で問題なく暮らせていたら、そこまで災害時の情報の必要性もない訳です。大きな災害が起こるたび、ライフラインを自前で確保していたかつての自給的な暮らしを想わされます。
風になり土になり。自由自在な二人の次の行く先とは
およそ1年かけて試行錯誤しながらコツコツと再生してきた古民家ですが、なんとお二人はその家を手放し、信州の方へ移住したいと考えているのだとか。理由は「安全で美味しい水があるところに住みたいから」とのこと。
祐梨佳さん:
「もちろんこの家に対する愛情はありますが、たくさん学ばせてもらった感謝をしつつ、こういう暮らしをしたいという若い家族に譲れればいいなと思っています。そして次の人がこの土地に根付いていってくれたら、と。
この鴨川での暮らしの中で、なくなって一番困るのは水なんですよね。火は薪で得られても、いい水というのは難しい。湧き水や井戸水で美味しい水が飲める場所が自分たちの最終的な場所になるのではないかと思っています。私の実家がある長野は空気が肌に合う感じがするのも大きな理由です」
伊吹さん:
「どんどん家の重要性がなくなってきていて、次はもっと小さくコンパクトに小屋暮らしの延長のような家にしたいと思っています。家より重要なのは土地。自然の豊かな場所で小さく暮らしたいですね。仕事については、大工の経験も生かしながら、家からスタートするのでなく、住む人がその場所でどんな生き方、暮らし方がしたいのかから住まいを作っていくアドバイスとその人に必要な協力ができたらと思っています」
人は確実に環境に影響を受ける生き物。体に取り込む食べ物、空気、水、目から入ってくる景色、耳に聞こえる音…。それらをよりピュアなものに近づけていくことは、自分自身をよりシンプルに清めていくことなのでしょう。土地に縛られるのではなく、いや、土地と深く向き合うからこそ、二人は “移動” という選択をするのかもしれません。
訪ねた季節は夏。土壁の家でちゃぶ台を囲んで、セミの間断ない鳴き声を近くに感じながら、二人の様子を見ていると、なんだか空気が軽いような透明なような不思議な感覚を覚えるのでした。自然に違和感なく溶け込んでしまえる家とそこに住まう人。ふと、もしもその人が人生を通じて環境に与えた負荷を計ることのできる精密な器械があれば、彼らはかなり低いほうの人類なのだろうな、と思いました。そしてなんて美しいのか、と。
その純度がますます増すのであろう、彼らのこれからの人生の旅を応援したいと思いました。朽ちてもすんなり自然に還れるその家も、次の家主との新しい出会いを待っているようです。
文・写真 南 芙蓉
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*素(しろ)の生き方と浜田さん宅「浜や」の改装の様子が紹介されています