2016年、福島県の真ん中に位置する郡山市の一角に、豆の品質にこだわり抜き繊細なスペシャルティコーヒーを楽しめるコーヒーショップ「OBROSCOFFEE」が誕生しました。「いらっしゃいませ」オーナーである荻野夢紘さんが真っ白なエンボス加工が施されているショップカードと一緒に、さ湯を出してくれます。今日は少し肌寒いからでしょうか、気遣いが有難いです。私はいつものカプチーノを。出来上がるまでの間、OBROSCOFFEEのこれまでを巡りましょう。
兄と弟とコーヒーと。
OBROSCOFFEEが位置する福島県郡山市は人口32万人の街です。東北地方第2の規模を持ち、中核地として人の行き来も多く商業の街として栄えてきました。歴史を振り返ると、明治政府が東北地方の開発を実施する際に、国の事業として最初に選ばれたのが郡山でした。水利が悪かった土地に猪苗代湖からの水を引く疎水事業。これが郡山を語るうえでも有名な安積開拓です。
後世まで地域経済にも大きな影響を及ぼしたのも開拓者達の弛まぬ努力があったからこそ。時代は移り変わりましたが、その心は今もなお生き続いていると思います。ここ郡山市で生まれ育ち、お店を始めた2人の兄弟の物語を紐解いていきましょう。
夢紘さん:
「それまで全くコーヒーに興味が無かったんですけど、高校3年生のときに偶然入ったお店のラテアートに感動したんです。コーヒーでアートを感じられるんだなって。その場で働かせて貰えるか聞きました」
好きなことに真っ直ぐに向かっていくことを選んだ兄の夢紘さん。ラテアートをきっかけにコーヒーの道へと足を踏み入れます。大手コーヒーチェーン店で働き始めると、4年後に後を追うように別の大手コーヒーチェーン店で働き始めた弟の稚季さん。
兄弟でコーヒー業界に携わるなかで、お店を持つことを目標に、そして仕事を共にしようと思ったことは自然な流れだったといいます。お店の名前は荻野兄弟“Ogino BROtherS”から取った造語で6年後の2016年に晴れて「OBROSCOFFEE」が誕生します。
夢紘さん:
「僕がコーヒー以外の世界を見られるのは、弟自身がものすごくコーヒーを見ているからですね。大人になってからお互いの持っているもの持っていないものが見えるようになりました。良いパートナーです」
OBROSCOFFEEでは、主に夢紘さんが店舗運営、稚季さんが焙煎とそれぞれが大切な役割を担い、“バランス”のとれた個々の存在が調和を生んでいます。家族同士での関係ですら希薄になりがちな今、互いの性格を理解し尊重しているからこそ成り立つ2人の姿には考えさせられるものがありました。
夢紘さんを陽と表現するなら稚季さんは陰であるような気がします。
これまで郡山市と協力しブランド米であるASAKAMAI887の推進や家具屋さんとのコラボレーション、オリジナル製品の販売等、対外的な活動は主に夢紘さんが進めてきました。稚季さんは繊細な感覚を生かし、日々焙煎の技術を磨いています。幅広くコーヒーの裾野を広げるために個人で「WAKAKICOFFEE」として豆の卸販売も行っています。対になる陰陽の本質は1つです。どちらかが欠けても成り立たない、2人でOBROSCOFFEEなのです。
僕たちから、少しずつ。
夢紘さん:
「朝、お店に陽の光が差し込むのを見ていると毎日少しずつ違うんです。好きなワインも花も、僕には毎日ささやかな出逢いがあります。その積み重ねを育てています」
日々の暮らしの中で予期していないことが起こるときがあります。生きていると思い通りに、想像通りに全ていくことのほうが少ないのではないでしょうか。そして、想定外は面白さであり、私たちの暮らしに彩りを与えてくれる“思いがけない出逢い”といえるのではないでしょうか。
OBROSCOFFEEにおいては、店内に鳴り響くグラインダーで豆を挽く音や、店内に広がる果物のようなフレッシュで透明感のある香りが ”思いがけない出逢い” といえるのかもしれません。さっきまで曇り空だった心が少しずつ華やぎ、心動かされていく瞬間を感じられます。
2016年5月、福島県郡山市の中心部である細沼町に、心奪われる建物がそびえ立ちました。建物はビニールでおおわれていて、実にユニークです。コの字のカウンターが15席、グレーを基調としてシンプルでスタイリッシュ。ここが「OBROSCOFFEE」です。
真ん中に立つ夢紘さんも読書をしながらコーヒーを楽しむ人も、あんバターサンドを頬張る人もよく見え、ここは何だろう?と歩く人々が不思議そうな顔をして見つめています。
周りには50年近く続く焼き鳥屋さんやお菓子屋さん等が立ち並び古き良き商店街の名残があります。OBROSCOFFEEの建物はもともと郵便局で、近所の方々が立ち寄る交差点に位置していました。
「ここの郵便局は昔よく来ていてお茶を出してくれたんだよなぁ。思い出の場所だ」
居合わせた近所の焼き鳥屋さんの店主が懐かし気に話します。実は、82歳の店主はオープン当初からの古いお客様だそうです。
OBROSCOFFEEの南側には合同庁舎があります。ここは昔、市役所として地域を支える場所でした。言わば郡山市の本丸として、当時の商店街は活気に満ちていました。
夢紘さん:
「歴史を知ったうえで商店街を見渡したときに、ちょうど世代交代なのかなと思いました。この通りにも新しいお店が少しずつ増えていけば良いなと思いますね。街づくりって何かを意図的に変えるのではなく、僕たちのような小さなお店を基点に周りが変わっていくことが自然な気もします」
“透明感”を体験する。
「お待たせいたしました、カプチーノです」
美しいラテアートが目を引きます。まずは、一口。美味しい、と思わず笑みがこぼれました。私たち消費者が感じる「美味しい」の表現は一言かもしれませんが、きっと目の前の1杯に至るまでには、そう感じさせる繊細な何かを兼ね備えた多くの背景があるのではないでしょうか。
夢紘さん:
「飲んで心地良いコーヒーを目指しています。そのひとつのキーワードが ”透明感” です」
OBROSCOFFEEでは全て浅煎りの豆を使用しています。コーヒーと言うと深くて味がしっかりとしているものがこれまでのスタンダードでした。浅煎りの豆のみを提供することは新しい挑戦です。コーヒー=深煎りのイメージが根付いているものを変化させていくことは”酸”に対するイメージをポジティブにすることだといいます。
発酵食品のイメージとして酸がありますが、酸味(acidity)と酸っぱい(sour)では似て非なるものです。前者の酸味はコーヒーを表現するひとつの目安でもあります。この酸味はフルーティーと表現したほうがしっくりとくるかもしれません。
良い酸味にはフレッシュさがあるため、酸っぱさとは遠いところにあるとも言えます。この果実味は新鮮な豆であることや焙煎方法によって変わります。
このようにして、OBROSCOFFEEが“透明感”を大切にするひとつの理由として“クリーンカップであること”が挙げられます。クリーンカップとは、コーヒーの香りや風味を評価すために行うカッピングにおける8つの評価項目の1つです。コーヒーのテロワール(環境要因)を知るために、雑味が無い透明感は大切な要素です。これまで、コーヒーは酸っぱいから苦手だと思っていた方も酸味の捉え方を本質から変えることで楽しみ方の幅も広がっていきます。
夢紘さん:
「僕たちが浅煎りの豆でコーヒーを提供しようと決めたことは、様々な選択肢がある中から選ぶことの大切さを伝えることでもあります。豊かな時代だからこそ、何でも良いわけじゃない。選ぶことで暮らしについて考えるきっかけにもなると思います」
夢紘さん自身がこれまでシンプルに”好き”を選択してきたことが、お店づくりやコーヒーにあらわれています。これで良いより、これが良いと淀みなく思える潔さが伝わってきました。
もっとより良く、しなやかに。
OBROSCOFFEEには県内外から多くのお客様が、思いがけない出逢いの扉を開いてやってきます。また、深煎りが主流だったシニア世代の方々等、客層は広がりを見せています。
夢紘さん:
「僕は、街が1つのお店になれば良いなと思っています。昔の商店街みたいに。だから僕たちのお店は持ち込みOKにしています。お客さんが動いて好きなものを選ぶ。実際の席数は15席だけど公園のベンチだって席数に数えられると思うんです」
当たり前のようにありふれ過ぎていて、気づけないことって沢山ある気がします。ふかふかの布団でぐっすり眠れること、美味しい温かな料理が食べられること、帰る家があること、そして隣にいてくれる大切な人。当たり前を前提から見直し、気づくことが暮らしの質をあげることのような気がします。
きっと、夢紘さんはずっとこれからの未来を見ているような気がしました。コーヒーを入り口に、その先にある暮らしを創造しています。OBROSCOFFEEは可能性に挑戦し続けるのでしょう。
夢紘さん:
「僕たちのコーヒーに満足はありません。満点も無い。昨日までのレシピも、もっと良いものがあれば簡単に無くすこともできる。一旦リセットすることができますね」
常にこれで良かったのかと自問自答し続ける未完成の感性が尖った優しさを生むのかもしれません。飲み終えたカップにはラテアートで描かれたハートが残っていました。“いってらっしゃい”と夢紘さんは見送ってくれます。今日は素敵な日になりそうだな、そう確信してお店を後にしました。
文・写真:大竹沙紀
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