ローカルニッポン

“つくる”ということ。工房「tetolabo」

都心から1時間ほどでたどり着く、広い空と豊かな自然が感じられる町、埼玉県南埼玉郡宮代町。埼玉県の東部に位置する人口34,000人ほどの地域です。町には3つの駅が在り、そのひとつ東武動物公園駅近くのこの場所で静かに創作活動に勤しむ2人の陶芸家がいます。

今回訪ねたのは、東武動物公園駅からほど近い場所に工房「tetolabo」を構える松村淳さんとアマンダさん。2人がいまなぜこの場所で過ごし、つくり手となったのかを伺っていきます。

生み出し続ける

工房「tetolabo」は住宅街の道に面した開放的な雰囲気。ふらっと訪ねてもいつでも受け入れてもらえそうな垣根のないフラットな空間です。実はここ、松村さんのお父さんがかつて木工職人だったころに使っていた場所とのこと。お父さんは作ることが大好きな人で、松村さんは、小さい頃からプラモデルの英才教育を受けました、と笑います。不思議なめぐり合わせで、いまここで活動しているおふたり。

松村さん:
「工房の『tetolabo』という名前は、手とラボに由来しています。実験的に新しいことをやってみる。チャレンジすることは楽しいし、ワクワクする。それが生きていくモチベーションになる。そんなところから生まれました」

tetolaboでは、たくさんの人に陶芸に触れてほしいという想いをこめて、「tetolabox」というキットも展開し、枠にとらわれず、新しいことを生み出していく面白さを発信し続けています。

松村さん:
「今の主な活動軸は、自分たちの作品をそれぞれの名前のもとでつくることですね。お互いの作品のテイストは全く違うし、プロセスと思想も異なる。だからこそ面白いと感じます。陶芸で言うと、西洋的な文化は頭で考えてコンセプトを組んで…つくる。一方、日本の場合はまずは手を動かすところからなんです」

日常生活だと計画的に考えて動くイメージのある日本人が、“陶芸” だと考えるより先にやってみる、というのはとても興味深いですね。このあとどのようなお二人の対比を見つけることができるのかワクワクしながら、それぞれの “陶芸との出逢い” を紐解いていきましょう。

工房のあちこちに創作活動の種があります

心地よいものづくり

松村さんは、小さい頃に越してきた宮代で高校生までを過ごし、大学からアメリカに渡ります。大学時代の専攻は海洋生物学と聞き、思わず「意外!」と返してしまいましたが、小学生の時にはすでに未来像を恐竜の考古学者・アーティスト・生物学者の3つに絞って描いていたことを聞き、さらに驚かされました。その頃飼っていた熱帯魚に見惚れて、生物学者を目指したことが現実になっていたのです。ここからどのような転換の時があったのでしょうか。

松村さん:
「海外で学ぶようになって、日本の文化を再解釈するようになったり、料理に興味を持つようになったりといった変化がありました。そうすると自然と “器” に関心が湧きはじめ、副専攻をアートにしたのがきっかけです。“つくる” ことに触れるにつれ、自然と没頭し感じる時間の速さや日本人の自分だからこそ出せる色、を自覚しはじめると、今度は “つくる” 側になることが自分の道なのでは、と考えるようになりました」

アメリカから帰国し、つくることにのめり込みながらも、一方で「果たして自分はアーティストになれるのか」といった不安を抱えて明確な目的もなく、なんとなく過ごしていたといいます。ひとまずは、”ものづくり” を軸にバリスタを目指し、珈琲屋で働きながら過ごしていた26歳の松村さんに大きな縁が訪れます。

珈琲屋にあった一冊の雑誌を何気なくめくっていた時に目に止まった陶芸作家が、すべて岐阜県多治見市にある陶磁器意匠研究所出身でした。年齢的な制限と応募期限も重なり、一か月後には試験を受け入所することになります。自身が衝撃を受けた作家が学んだ学校であることも後押しし、迷うことなく、応募し難関突破で入門することになります。

新しいこと、生み出すことに目がない松村さん

松村さん:
「そこは陶磁器について基礎から学ぶ場所ですが、作家を育成するというテーマが固くありました。自分は年長で周りは10代からはじまって若い人が多かったですね。陶芸のことはここで一から学びました。基本的な技術のことから、国内にある各地域の窯の歴史や西洋含めたアートの文脈…等。ろくろ・手びねりなど基本的なテクニックを学んだあとは、自分らしさをみつけることが必要になっていきます」

2年間のカリキュラムでは作り手として、歴史や文化を学ぶ座学から実践までをこなした後、縁あって金沢に移り住み、「卯辰山工芸工房」を拠点に3年間を過ごします。卯辰山工芸工房は、サポートを受けながら、陶芸・ガラス・漆・染め…といったものづくりに打ち込む環境が整っている若手作家が集まる工房。

松村さん:
「卯辰山工芸工房は “学ぶ”というプロセスから、さらにその先の作り手としての “独立” を目指す本気の作家たちが集まる場所です。学ぶよりもつながりを構築したり、異文化を結びつけたりするような場所で、全国のギャラリーからも注目を集めている場所と言えます」

様々な縁がつながって、金沢での3年間を終えた松村さんは、あるギャラリーとの専属契約の流れで香港において自身初の個展を開催することになります。陶芸と出会ってから4年が経った頃のことです。その後、香港での滞在は個展が終了した後も続き、アーティストインレジデンスで4か月を過ごすことになりました。アマンダさんとの出会いは、その間実施したワークショップでのこと。お互いの作風やものづくりのプロセスの対比に面白さを感じていったといいます。

松村さんの作品の魅力はとにかく自由な形状

松村さん:
「途中、民藝等自分の大好きなものを取り入れた作品づくりをひたすらにしていたけど、できないと思ってしまう瞬間が続きました。もっと自由に気持ちのままに心地よく素直に作りたい!と思ったら、今の形になってきたんですね。今はぼんやりと頭にあるものをスケッチしながら、心地よいラインを見つけて、デザインし、型をつくっています。最近は3Dプリンターを利用した作業も多いですが、パソコンの中で土をこねるイメージですね。今は新しいことを常に探しているし、それこそが呼吸し続けることだと思っています」

松村さんにとって、スケッチして型におこして形になっていく、新しいことが生まれていく、そういった瞬間がたまらなく ”楽しい”のです。一言では言い表せない独特な形状に、メタリックやホワイト、プラチナといった色を着せた作品。自分が心地よいかどうかを大切にしている松村さん。形にするプロセスは真逆だからこそ、アマンダさんとはそういった面で刺激を受けあうことが多いといいます。

全くタイプの異なるプロセスでものづくりを行うおふたり

身体のバランスを整えてくれる うつわ

アマンダさんは、はにかみながら日本語と英語を交えて、今までのことを話してくれました。香港で生まれ育ち、イギリスで過ごしていた14歳の頃初めて学校の授業で陶芸に触れたといいます。その後、ロンドンの大学で陶磁器デザインを3年間学ぶなかで、揺るがないコンセプトをもつことの大切さと自分は “デザイン” が好きだということを確信したそうです。

アマンダさん:
「大学での3年間、陶磁器をデザインするプロセスを通して、基本的な製作技術を学びました。その過程で、自分の生い立ちやしみついた文化といった背景をどの様にデザインとして落とし込むか。そこに西洋特有の思考方法があると思います。石膏型を使用しての作品づくりや実務経験としてのデザインブランドとの協業等、ここでの経験は間違いなく陶磁器への洞察を開き、粘土のさまざまな可能性を探求することを可能にし、私の文化的背景を反映するコンセプトがベースとなるものづくりが始まりました」

アマンダさんがつくる形はどこか温もりがあり、2つとして同じパターンがない。これらの要素は、コレクションの背景にあるコンセプト、「Traditional Chinese Medicine(TCM)」つまり「漢方」から着想を得ているといいます。

アマンダさん:
「私が小さい頃、体調が悪い時には香港の家族がスープやハーブティで労わってくれました。イギリスに滞在していた時に、そのことを思い出し、つくづく自分の体を理解することや人が健やかであるためには口に入れる “食” が大切であることに気づかされたのです。 それを西洋の人々に伝えていきたい、発信したいと思ったのがきっかけですね」

Black&White

アマンダさんの考え方に大きな影響を与えたふるさとである香港には、TCM、漢方の考え方が根付いていて、紐づくように陰と陽の思想があります。そして、生まれたコンセプトが『陰陽』。アマンダさんの作品にとって、とても象徴的で中心的なコンセプトとなりました。Black(黒)と White(白)、二つの色が混ざり合う、唯一無二のインタラクティブシリーズはアマンダさんのコレクションの魂ともいえる存在です。中でもシーソー状の不安定な丸い脚に支えられた小さなセラミックのうつわは不均衡になるように設計されていて、作品そのものとそこに入れられたものの重さによって生まれる傾きは未知数。このインタラクティブなデザインは、手にした人ぞれぞれが自分自身でバランスをとっていくように緻密に仕上がっています。

アマンダさん:
「この作品では、symbolize(象徴的)でunbalance(不安定)、シーソーのような、interactive(相互に作用する)といった意味を表現しています。手にする人それぞれで感じ方は変わってくるかと思うので、どんどん触ってほしいです!」

インタラクティブシリーズ

こうして、自身の一部である香港の文化や思想から軸が定まったアマンダさんは、ロンドンで2年間シェアスタジオでの創作活動に明け暮れたあと、生まれ育った香港に戻りました。戻ってみると当然ながら、国が違えば気候や土といった環境はまるで異なり、作品作りのプロセスは一旦全てがリセット。その中でも前述のコンセプトがぶれなかったゆえに、変化した環境の中での2色の表現はとても難しく、そこにもまた不安定であることの面白さを感じたといいます。

この場所である意味

なぜ、お二人は今ここ宮代町での活動をえらんだのでしょうか。

アマンダさん:
「私は日本に来たことも過去にありましたが、この地域の暮らしは “Real living” だと思っています。宮代は自然が多くて、鳥の声が聞こえます。私にとって、マインドが整って、とても穏やかでいられる場所です。自分と向き合う時間が増えて、クリエイティブな感覚やアイディアが湧いてくることはとても大切なことですね。今はこの地域でたくさんの人と会話をして、つながりを増やしていきたいです」

一方で、学生時代のほとんどを宮代町で過ごした松村さんはどうでしょう。

松村さん:
「3年前に戻るまで、どちらかというと地元の顔が見える地域のサイズ感が少し苦手で、外に行きたい気持ちも強かったですね。戻ってくるとは思っていなかったです。今は外から新しく移り住む人も増えてきて、町が面白くなってきました。この場所で、自分が “楽しい” って思えることを大切にしていきたいです」

最近では、宮代町の田んぼの土を使って、作品を作り始めたそうです。もみ殻を燻して混ぜ込んだこのあたりの田んぼの土はとても野性味のある作品になりそうですね。「宮代焼」が披露されるのものそう遠くない未来かもしれません。

器とお茶にはアマンダさんの想いがつまっています

取材の途中、アマンダさんがお茶を淹れてくれました。「ティーマスターとして、薬膳やお茶に関わることを器を使いながら伝えていくことをやってみたいです」まさに作品のコンセプトを体現できる時間になりそうです。 ものづくりのプロセスも作風も異なるお二人の掛け算がこれからも楽しみです。

文:藤岡麻紀
写真:齋藤はるか