移りゆく時代の変化により私たちの生活様式が多様化される中、地元の人々と共に、街の文化拠点として運営するミニシアターがあります。
佐賀県佐賀市松原地区、清らかな松原川沿いにある佐嘉神社北側、静かな街の一角に在る「シアターシエマ」。1996年、「セントラルシネマ」として開業しましたが、近隣大手シネコン台頭により2006年に閉館となりました。小さな映画館の灯が消えぬように、そんな思いで福岡の映画の運営人たちは動き出します。
スタッフの移住にはじまり、試行錯誤を重ねて、遂には2007年12月「シアターシエマ」として生まれ変わりました。
近年もまた、コロナ禍やデジタルコンテンツの到来により、街のミニシアターも打撃を受け次々と姿を消しつつあります。「シアターシエマ」もその現実に敢えて向き合い、地域再生と文化的価値の存続の為に活動しています。
居ごこちのよい空間づくり
シアターシエマに一歩足を踏み入れると、最初に真っ白なスクリーンが目に入ります。
ところどころに見え隠れする段差のある床や階段。ここは3スクリーンあったうちのひとつ、上映スペースの名残を残しつつも、適度なリノベーションをかけている共有スペースです。
右手に長いキッチンカウンターを設け、その端はチケット売場も兼ねています。
映画を鑑賞しなくてもくつろげるように併設したカフェスペースでは、この日、上映中の内容とリンクするスイーツも並んでいました。
見渡すとレトロな風合いの椅子やテーブル、映画関連の書籍やターンテーブル、これらの中には、地域の人たちから譲り受けたものもあるそうです。入口そばにはPC作業に勤しむスタッフもいて、壁こそ無いものの、広い空間にパーソナルスペースが存在しています。
忙しくなってくれば、チケット売場もキッチンもすべてのスタッフがこなします。
フードやドリンクを上映前のシートまであわただしく運ぶ姿も見受けられ、まるで寄席のようなシステムです。
シアターシエマオープニングメンバーの一人でもある支配人・重松恵梨子さんに「シアターシエマ」の運営についてお伺いしました。
重松さん:
「人口の少ない地域で、いきなり映画館を再生するとなった当時、映画だけやっていても映画好きな方にしか来てもらえない。絶対数が少ないからこそ、少しでも多くの人に足を運んでもらうことが一番の課題でした。当時、シアターシエマの周辺にはカフェなど集える場所がなく、無いなら自分たちで作ればいい、というメンバーの発想には驚かされました」
そう語る重松さんは福岡県出身で、佐賀はお隣県。全く知らない土地、ではありませんでした。周りからは、ミニシアター自体もカフェもうまくいくはずがないという声もありましたが、時が経つにつれて平日にはシニア層、週末には若い方たちが集うことに。
カフェスペースがあったからこそ、シエマを続けられ、間口を広げたからこその結果でした。そして本業の映画のほうにも思わぬ地域性を垣間見ることになります。
重松さん:
「佐賀には当時ミニシアターもなく、単館映画が好きな方はわざわざ福岡まで足を運ぶしかありませんでした。そういう方達は自主活動的に単館系映画の上映会を開催されていました。それを知った時、佐賀には、もともとミニシアター文化の土壌があったのだと確信しました」
デジタル化への道しるべ
そんなシアターシエマにも、前シアターと同じ閉館の危機が迫った時がありました。
2012年頃、フィルムからデジタル化への転機が訪れ、既存の映写機を新しい機材へと切り換えなければ運営が出来なくなってしまうほどの状況になったのです。
途方にくれるスタッフに対して、職業も年齢も多様な地域の方達から募金活動を提案され、目標金額への積極的なチャレンジがはじまりました。当時の写真で見えてくるのは、スタッフと地域のみなさんで募金箱を手作りしている様子など、なにやら町内会のイベント前夜のような賑やかしい雰囲気です。
決してあきらめない、それは映画のエンディングのごとく、8か月で目標額を達成し、シエマの存続は決まったのでした。
そんな地域の人たちとの活動から生まれた「シエサポ会」。今では月ごとに皆でテーマを決めた1本を鑑賞後、参加者で映画談義という定例イベント「月いちシエマ」となり、シアターシエマを支えています。
重松さん:
「デジタル化を経てから関わってくれた多くの方達がシエマは『自分の映画館だ』と思ってくれる事が大きかったと思います。困った時は頼れるお客様=仲間がいると実感した瞬間がありました」
全ての人が楽しめる場所へ
今でも、シアターシエマでは様々な人との関わりの中で新しいコンテンツを生み出しています。
「フレンドリー上映会」もその一つです。「フレンドリー上映会」のコンセプトは、室内でじっと座る事が出来ない方、大勢の環境の中で対応出来ない方達が気兼ねなく自由なスタイルで映画を楽しめる空間をつくること。同時にそういった方達への周囲の理解と共感で、全ての人の垣根を無くしたいというものでした。
重松さん:
「これも地域性ですけど、佐賀は市民活動が盛んであらゆる分野のコミュニティがあり、その数だけ課題もあるわけです。そういった社会問題を取り扱う映画を上映する際、そのコミュニティの方達の熱意と行動力には驚かされます。勿論、問題を解決したいという思いもあるのでしょうけど、上映会の際は、より多くの方へ見て頂くために惜しみない協力をして下さる、そんな力強さがあります。
以前、自閉症関連の作品の上映に関わった際も、お声をかけた方が障がい児の親御さん、特別養護学校の先生、施設を運営されている方などとつながり、みるみる間にコミュニティが広がってゆくのも新しい発見でした」
そういった経緯から、上映だけではなく、重松さんご自身や「シエサポ会」の数名が発起人として、バリアフリー映画を制作・推進する「みないろ会」を立ち上げたのでした。
これは、目が見えない方、耳が聞こえない方の為に、字幕や音声ガイドをつけ、映像説明だけでなく背景や音楽まで想像して頂くことで、より深く映画を楽しんで頂くための取り組みで、どちらかといえばソフト面を補う活動です。
専門分野の方のアドバイスを受けながら、自分たちでそういった作業を行ったことは驚きです。
安全で快適な豊かさがもたらす未来
地域の特性を活かし、利用者のニーズにきめ細かく応えようとする「シアターシエマ」の今後の課題は2022年春にかけて行う施設の環境整備です。
不自由だった館内の段差を緩和し車椅子スロープを設置、老朽化したお手洗いも改善することで、より多くの方に快適にすごして頂くためのハード面の整備を目指しています。
実はこれも、市民の方々の声をもとに、身体障がい者の外出促進の活動をするグループと出会い、助成金や地元企業の支援とクラウドファンディング、店頭募金箱も活用して進行中です。わたしたちも取材時に心ばかりと協力させていただきました。
重松さん:
「今回のユニバーサルデザイン化は、“形”にしてやりますと宣言したら、予想以上に賛同してくれる方達がいらして、実際多くの支援も集まってきています。“形”という言葉の理由は、機材の交換時のデジタル化はみなさんへの伝わりづらさがあったと思うのですがが、今回は一目で変化に気づくでしょうし、使用感も格段に変わると思うからです。あの時の募金箱への自分の気持ちがこうなったのかと、シエマとの関係性をより深く感じてくれるのではと期待しているのです」
ユニバーサルデザイン化に向けて嬉しそうな顔で語る重松さん、コロナ禍を経験しながらもシアターシエマが人々の居場所として存在している実感があるそうです。
地域社会に声をかけ、それに答えた人々の力は、シエマに大きな求心力となって返ってくる。その力をより大きくするためにはどんなことがあるでしょう。
重松さん:
「とにかく続けることだと思います。どんなに時代が進んでも、常に映画館にはフレッシュな意義があると抗っていたいのです。
無くなるというのが一番いけなくて。その為には、若いスタッフにその想いも繋げなくてはいけないですし、その子たちの新しい感覚で補ってもらう部分もあると思います。バトンを渡すことで、シエマ自体が成長し続ける事がとても大切なのです」
多くの人にとって映画館と聞けば、エンターテインメントに心躍る世界であり、そんなひとときを手に入れる場所だと思います。 シアターシエマを訪れる人はどうでしょう。ローカルを強みに、いつも新しい風を愉しみ、誰もがエンターテイメントの演者となれるシアターシエマ。人々にとってここは温かい陽だまりのような場所なのでしょう。
*取材からしばらくして、ユニバーサルデザイン化募金が目標額に達したという春の便りがありました。
文:松榮 愛
写真:松榮 愛・シアターシエマ