ローカルニッポン

誰かの大切な本に囲まれた「地域のリビング」をつくる

埼玉県南東部に位置し、ファミリー層を中心に25万人の人口を抱える草加市。近年は、東京のベッドタウンとしての機能にとどまらない価値を生み出すべく、「そうかリノベーションまちづくり」をはじめとする様々な取り組みが行われています。

そんな草加で、「たくさんの本に囲まれた、地域のリビングとなる場所を作りたい」との思いから生まれたのが、「さいかちどブンコ」です。2022年6月にオープンして以来、さいかちどブンコでは地域の人たちが本を貸し借りしたり、おしゃべりを楽しんだり、思い思いの時間を過ごしています。

「本のある空間」を求める声

草加市八幡町の住宅街にあるさいかちどブンコでは、2000冊ほどある個性豊かな本を自由に読んだり借りたりすることができます。これらの本は、月額2200円で自分専用の本棚を置いている一箱本棚のオーナーさんの蔵書や、地域の方からの寄贈本など、思い入れ溢れたものばかりです。

さいかちどブンコでは不定期で飲み物やスイーツなどの販売、ワークショップなども行われていて、様々な形で人々の日常を彩っています。読書をする人はもちろん、おしゃべりにふける人、夜にクラフトビールを楽しむ人、といったように、普通の図書館とは違った光景があるのです。

思い思いの時間を過ごす利用者さん

このさいかちどブンコを作ったのは、同じく草加市八幡町にあるシェアアトリエつなぐば(以下「つなぐば」)の関係者から成るプロジェクトメンバーです。

つなぐばは、2018年6月にオープンし、カフェや仕事場、イベントスペースなど多様な形で地域のつながりを生み出してきました。そんなつなぐばを運営している、つなぐば家守舎代表の小嶋直さんに、さいかちどブンコ立ち上げのきっかけを聞きました。

小嶋さん:
「つなぐばのデスク型アトリエ(コワーキングスペース)を利用しているメンバーは、デザイナーや写真家、ライターとして普段活動しています。彼らと僕らつなぐば家守舎のメンバーで、2020年に『つなぐば編集室』を立ち上げて地域向けの小冊子の制作などに挑戦しました。あのときにすごく手応えを感じて、他にも何か新しいことをやろうと思ったんです」

プロジェクトメンバー/一級建築士としても活動している小嶋直さん

そんなある日、つなぐば編集室のメンバーのひとりから小嶋さんに、「この地域に本のある空間が欲しい」と声が上がりました。実は八幡町には図書館がなく、かつてあった書店もほとんどが姿を消しています。小嶋さんのもとには、つなぐばを訪れる高校生からも「リラックスして勉強や読書ができる空間」を望む声が寄せられていました。

「本棚を貸す」という新しいカタチ

そこで小嶋さんは、つなぐばのすぐそばにある、コインランドリーと併設された空き倉庫に目を付けました。この倉庫は、つなぐばの大家である中村美雪さんが管理していた物件でした。

小嶋さん:
「美雪さんに相談すると、『奇遇ね。私も本のある空間が欲しいと思っていたの』と言われました。そうして僕らは美雪さんから誘われて宇都宮の民営図書館に見学しに行ったのですが、そこはコーヒースタンドやスナックとしても地域住民の方に使われていたんです。その様子を見て、僕たちが作りたい場所のイメージが広がりました」

その後も、小嶋さんらプロジェクトメンバーは、他の民営図書館を見学したり、話し合いを重ねたりしながら、自分たちが作る場所のイメージを固めていきます。そうして思い至ったコンセプトが“地域のリビング”でした。

小嶋さん:
「つなぐばは、子育て中の女性を中心に色々な活動が生まれているので、『動の場所』というイメージです。だから新しくつくる場所は、落ち着いて過ごせる『静の場所』にしようと考えました。また、老若男女問わず幅広い人たちにご利用いただける場所にすることも意識した点です」

こうしたコンセプトが決まったものの、他にも考えなくてははらないことはたくさんあります。どうやって利用者を集めればいいのか、運営費をどうまかなうのか、本の管理はどうすればいいのか……。考えるほどに新たな疑問が出てきます。

ヒントになったのが、静岡県焼津市にある「みんなの図書館さんかく」との出会いでした。ここは「一箱本棚オーナー制度」という、月額2,000円で自分だけの本棚を持つことが出来る仕組みを設けており、オーナーはいつでも自由に本の入れ替えができ、お店番をする権利などの特典が与えられます。

みんなの図書館さんかくを視察

小嶋さん:
「さんかくをつくった土肥潤也さんから、スタッフは雇わず、オーナーさんが自主的にお店番をしたり、イベントを開催したりしていると聞きました。図書の管理も、一部無料で使えるシステムを使って低コストかつ効率的に運営されていました。このような形なら、僕たちも図書館をつくることができると感じました」

さいかちどブンコは現在、土肥さんが立ち上げた「みんとしょネットワーク」に加入しています。このネットワークに加入する民間図書館は50箇所を超え、さらに全国に広がろうとしています。

自分たちの手でオープン

みんなの図書館さんかくを視察したのが、2022年1月。そこから半年後のオープンを目指して急ピッチで準備が進んでいきます。

まずは古い家具などでいっぱいの倉庫を片付けて図書館に作り替えなくてはいけません。こうした作業をプロジェクトメンバーなどが自ら行いながら、倉庫前で行った古物市やクラウドファンディングで資金を集め、コーヒーや手ぬぐいなどのオリジナルグッズの製作も進めました。

さいかちどブンコにリノベーションする前の建物/子どもたちもペンキ塗りを手伝う

同時に、一箱本棚オーナーの募集に向けた説明会を開催しました。「お金を払って本棚を借りてもらう」という新しい取り組みに賛同を得られるか未知数でしたが、反響は小嶋さんの想像以上だったそうです。

小嶋さん:
「申し込みや問い合わせをいただき、やっぱり本という存在が多くの人にとってかけがえのないものなのだと感じました。最初のオーナーさんとの顔合わせでは皆さんが本にかける思い入れを語ってくれて、僕も子どもの頃に影響された本やエピソードをお話ししました」

最初の説明会で思い入れのある本を紹介

実は、さいかちどブンコの名前が正式に決まったのはこの頃。聞き慣れない言葉ですが、なぜこの名前になったのでしょうか。

小嶋さん:
「大家の美雪さんから『この地域は昔、槐戸(さいかちど)村という名前だったのよ』と聞き、昔から暮らしている方にとっては思い入れがある地名だったと知りました。そこで何かしらの形で名前を残したいと思い、さいかちどブンコと名付けたんです」

様々な人の想いを受け、さいかちどブンコは少しずつ形となっていきます。そして2023年6月25日、予定どおりオープンの日を迎えることができました。

新たな文化発信地になる

オープンしてから1年ほどが過ぎ、さいかちどブンコは地域に根付きはじめています。さいかちどブンコに関わる人たちが自主的にイベントを開催することもあり、子どもたちがお店番になって古本市を開いたり、一箱本棚オーナーがワークショップをしたりして、地域に賑わいを生み出しています。

小嶋さん:
「今はなんとなく、『図書館』という言葉が当てはまらない気がするんです。ここには本を読む人や宿題や勉強をする人だけでなく、友達とおしゃべりをする人、何かを販売する人、イベントをやる人、といったように色々な利用の形があるので。ちょうど今日は女性が何人か集まって編み物をしていますが、こんな風に自然と誰かが面白いことをやっているんですよね」

これまで2度にわたって自主開催した「さいかちど寄席」は、寄席が好きなプロジェクトメンバーの1人が企画し、他の人たちと協力して実現したものです。このように人それぞれ違う「こんなことをやってみたい」を叶えられることが、さいかちどブンコの魅力といえます。

寄席で紙切り芸を披露する草加出身の林家八楽さん

小嶋さんは、「さいかちどブンコには『文化をつくる』というコンセプトもある」と語ります。今後、文化を大切に思う人がこの場所に集い、新たな文化を生み出していくのかもしれません。

文:小林義崇
写真:小林義崇ほか