筆者のふるさとであるむら「清和」は、人口約2400人(2023年10月)。人口が少ないことで、お互いの顔が見えるひとつの集落のような場所で、“田舎”や“故郷”という言葉がぴったりなこともあり、親しみを持って「むら」と呼んでいます。
子どもの頃の筆者にはこのむらは “何もない” と感じてしまう場所でした。そんな清和に今新たな動きが生まれ始めています。何かを始める、それは簡単なことではありません。背景には、地域を想う人それぞれのストーリーがありました。
千葉県君津市清和地区
都心から東京湾アクアラインを通り、1時間半ほど車を走らせると千葉県君津市の中央から少し南に位置する清和というむらに着きます。四季折々の景色を楽しむことができる清和は、満開の河津桜で春を迎え、青々とした田園風景から初夏を感じ、三島湖の色鮮やかな紅葉で秋を楽しみ、澄んだ空に輝く満天の星で冬を目にし、1年を通して豊かな自然を感じることができる場所です。
また、清和地域の名産である自然薯は、味、香り、粘りすべてが上質で、旬の時期になると自然薯を求めて多くの人が清和に訪れます。
ここで暮らし続けること
そんなむらも、高齢化・人口減少の影響を大きく受けています。筆者が中学生だった2011年には約3060人だった人口も、2023年には約2400人(10月時点)にまで減少し、今では清和に住む2人に1人以上は高齢者です。働く場所がなく、清和を出てしまう若者たち。担い手不足から遊休地となり、荒れていく畑や田んぼ。イノシシ、サル、シカ、ヒルに頭を悩ませる日常。さらに拍車のかかる地域交通の課題。人口減少によって衰退していく、体育祭などの地域行事。
こういった様々な課題から、ここに住む人たちは清和で暮らし続けることへの不安が少しずつ高まり、さらに日常生活においても影響が実感されるようになります。清和にあった三島小学校と秋元小学校、2校の統合も決まったのです。
そのうちのひとつである空き校舎となった秋元小学校を、地域活性化の新たな拠点として再整備する計画が市から2020年5月に発表されました。
この新しい拠点をどう活用していくか、さらには、清和の課題とそれらを解決するアイデア、発展の可能性など、地域として共通認識を持つ話し合いの場が2021年に設けられました。そこには、地域住民や清和で活動する団体、民間企業が集まり、目指す姿に向けて一歩を踏み出したのです。
これが、「コミュニティ清和」誕生のきっかけでした。
「清和が変化を求めている」
そう話すのはコミュニティ清和の会長を務める伊藤修一さんです。
清和で生まれ育った伊藤さんは、先輩たちが地域で活動する姿を見てきたため「自分も当たり前のように地域に関わる活動をしていた」と話します。清和が変化し始める転機を感じていたこともあり、「誰かがやってくれるだろう」ではなく「地域の自分たちがやらなくては」という考えからコミュニティ清和が設立され、2022年会長に就任されました。
伊藤さん:
「2021年3月から秋元小学校の跡地を地域としてどう活用するか、住民、団体、民間事業者を交えて全部で11回検討を重ねてきました。その結果、これからの清和に必要な、将来的に形にすることを目指したい12個の機能が紡ぎだされ、それを実行に移すための地域組織が必要ということで『コミュニティ清和』を設立しました。これが清和の転機でした」
コミュニティ清和は、それまでの議論を基にしながら生まれた清和の新たな地域づくり組織(任意団体)として、2022年4月に発足しました。
『むらをつくる。 むらをまもる。 いつまでも。』
『むらのちからを つかう。つくる。つなぐ。』
これはコミュニティ清和が掲げるコンセプトとミッションです。地域資源を活かし、地域に関わる人々との交流を深めながら、多世代が安心して暮らし続けられる清和(むら)づくりに貢献したいという想いが込められています。
伊藤さん:
「お店や交通手段など『あったらいいな』はたくさんあります。ただ、それはないものねだりなだけ。清和にとって大切なのは『あるものを活かす』ということです」
清和にすでにあるものを活かす。あるものとは、人や自然、文化、農業など。清和にはたくさんの資源、つまり“ちから”がたくさん眠っています。普段清和で生活する筆者たちには当たり前すぎるこの“ちから”。そこに気づかせてくれたのは、清和と新しい関係を築こうとしていた吉川隼大さんでした。
吉川さんは、平日は都内の会社員、週末は清和でキャンプ場「THIRD BASE」「フォレストパーティー峰山」のオーナーを務めています。
もともとキャンプ好きだった吉川さんは、毎週末キャンプをしているうちに、自身でキャンプ場を経営したいと思い、キャンプ場の候補地を千葉県内で探していたところ、清和に出合ったようです。
その後、2022年に清和で会員制キャンプ場「THIRD BASE」をオープンし、現在は見晴らしの良いキャンプ場「フォレストパーティー峰山」のオープンに向けて準備を進めています。
縁もゆかりもないこの地を選んだ決め手は何だったのでしょうか。
吉川さん:
「清和は自然豊かだし、ちょっと車で行けば温泉もあるし、都心からのアクセスも良い。何気ないラーメン屋はめちゃくちゃ美味しいし、ちっちゃな牧場もあります。都会にはチェーン店がたくさんあって、どれも同じようなものばかり。清和にあるひとつひとつのものにストーリーがあって、どれも唯一無二だなと。面白いコンテンツがたくさんあって、キャンプ場を運営している仲間とは、清和のことを『コンテンツおばけ』って呼んでいます」
このお話にはとても驚きました。
筆者にはずっと「何もない」と見えていた場所を、ここにしかないものばかりで「唯一無二」と。どれも、日常に溶け込んでいて気づかなかったものたちです。吉川さんはそれらをここにしかない“ちから”と言い、魅力であると話します。もともと人と関わるのが好きだった吉川さんは、その後、先述のコミュニティ清和の一員となり、事業の企画・運営に携わっていきます。
吉川さん:
「清和の人たちは、困っていたらすぐ助けてくれる。コミュニティ清和の一員として、自分にできることをして、恩返しをしたいです」
そのためのツールとなるのがキャンプ場です。吉川さんが目指すキャンプ場は、貸別荘のように何度も清和に訪れてもらうための空間。そこはやがてキャンプ場の利用者にとっての第二の拠点となり、キャンプ場をきっかけに清和を知ってもらいたいという想いが込められています。
そして、ゆくゆくは、キャンプ場を訪れた人が清和と永く関わることができる“関わりしろ”の役目を果たしたいという熱い想いが秘められていました。
広がっていく清和の“関わりしろ”
“関わりしろ”とは、人と人、人と地域が繋がり始めるきっかけのようなものであり、この場所に関わりたいと思える余白のようなものでもあります。清和では、最近「清和トラック市」というイベントが関わりしろを生み出し、新たな盛り上がりをみせています。
軽トラックに地域の野菜やお米を乗せて販売するトラック市は、のどかな風景ともマッチしてとても人気のあるイベントです。2021年に開催した第1回の時は3店だった店舗も、市外の出店者も加わり、現在は21店まで増えました。回を重ねるごとに出店数も来場者数もどんどん増え、今では清和地域外からの来場者が半分以上を占めています。名物イベントとなりつつあるトラック市を企画・運営するのは、コミュニティ清和の一員であり、清和で農業を営む松本有莉さんです。
軽トラックも農業も、もともと清和にあったもので、その“ちから”に気づき、活かしたことで清和に多くの“関わりしろ”を生み出したのです。
松本さん:
「農業を使ったまちおこしが一番分かりやすくて早い!」
実際、そのとおり、と妙に納得がいったのは、松本さんの行動力やアイデアがそう思わせたのかもしれません。農業は生産物を育て販売するだけではなく、トラック市や稲作体験、収穫体験などイベントにもなる地域の資源です。農業を活かしたトラック市で、常に「みんなを楽しませたい」と考えている松本さん。君津市のマスコットキャラクターきみぴょんとの撮影会や消防車両見学など、地域では目新しい企画を行い、来場者を楽しませる工夫がいたるところに見られています。
松本さん:
「出店数や来場者数が増えているのはもちろん嬉しいけど、さらに嬉しいのは、『手伝いたい』『何かあったら頼ってね』と協力者が増えていくことです。ひとりじゃ何にもできないけど、みんながアイデアを持ち寄って主体的に行動してくれるから、ここまで盛り上げることができました。いろんな人が関わるおかげでアイデアがたくさん生まれています」
明るく、元気いっぱいの松本さんには、自然と人を惹きつけるような魅力があります。「手伝いたい」と思う人を受け入れ、その人の“ちから”を活かし、一緒にイベントを創り上げていく。トラック市という共通の関わりの場を通すことで、人々の繋がりが広がり、賑わいに繋がっているのだと感じました。
これこそが清和の目指す“関わりしろ”です。
実際、取材中に廃棄予定の手漕ぎボートの再利用の話になると、即座に「花壇みたいにして花を植える?船に清和の魚のイラストを描くのもいいね!それかメダカを泳がせる?!」と次々にアイデアを思いつく松本さんの姿を見て、あるものを活かすとはこのことか、と実感しました。
松本さん:
「高齢だからと出店を諦めていた人が近所の小中学生たちに手伝ってもらって出店できたり、上京した子どもたちが出店の手伝いに帰省することをしみじみと喜んでいるご夫婦がいたり。ドラマがたくさんあって感動しちゃうよね」
トラック市のおかげで新しい繋がりができたり、離れていたものがまた繋がったり、 人が繋がることで新しいものが生まれていく姿がそこにありました。
清和の新たな拠点「おらがわ」
2024年1月14日、たくさんの子どもの成長を見守ってきた旧秋元小学校は、君津市清和地域拠点複合施設「おらがわ」として生まれ変わります。公民館、こども園、行政手続き窓口、シェアオフィスや交流スペースなど、様々な機能を持ち、清和内外の人々の交流と新しい地域づくりの拠点となることを目指していきます。
愛称の「おらがわ」には、清和地域の方言で「私たちの」を意味する「おらが」という言葉に、清和の「和」と人々の「輪」を組み合わせ、清和に人が集い、賑わいが生まれるような施設になってほしいという願いが込められています。
コミュニティ清和も、この「おらがわ」を拠点に、人々の輪が広がり、賑わいが生まれるきっかけとなるような“関わりしろ”を広げる活動を進めていきます。
その活動の中には、
・清和のヒトやコト・モノにスポットを当てた魅力発信マップの作成
・清和の“ちから”を清和の内外に住む人たちが実感し、それを循環させながらコトを創造していく取組
・清和の暮らしを体験できるアクティビティ・イベントの開催
・高齢者の“ちから”を発揮した地域づくり
などがあります。
伊藤さん:
「支えるのではなく、支え合い。みんなで手を取り合って協力することが大切。むらづくりには相互扶助が欠かせないです」
地域の課題解決は、地域内で解決できるようなものばかりではありません。また、誰かがひとりで解決できるものでもありません。ですが清和には、組織をまとめる人、地元の人が生んだ“関わりしろ”を受け取った人、広げていく人がいます。そうした人たちが集まり、未来へとバトンを繋いでいます。
今まさに、人と地域が繋がり始めて、動き出しています。清和は着実に未来への一歩を踏み出しました。コミュニティ清和はそんな人たちと清和を繋ぐ懸け橋でありたいと思っています。
清和の“ちから”を未来へ繋ぐ
最近、「動き出した清和から新しいことが始まるのが楽しみ」といった声をよく聞くようになりました。みんなが少しずつ行動すれば、いずれ大きな“ちから”となり、清和で暮らす人たちを守り、豊かにすることでしょう。
伊藤さん:
「今あるものを活かす。これが大切。特に想いの込もったものは長く使いたいです」
空き校舎となってしまった秋元小学校にも、このむらにも、どれも大切な想いが込められています。永く続いてほしいと願うのは当たり前。子どもの頃には「何もない」ように見えていた、ふるさと清和。大人になった今では、多くの人に自慢したい誇れるむらになりました。清和の“ちから”に1番動かされたのは、筆者なのかもしれません。
文:池田 里歩
写真:東 舜吾