福岡市から電車で40分ほど南へ 。福岡県の中央部、筑紫平野の北部に位置するのが福岡県小郡(おごおり)市です。市の中央部を筑後川水系の一級河川・宝満川が南北に通貫していて、宝満川を挟み、西側に住宅地帯、東側にのどかな田園風景が広がります。
ここ小郡市に、織物の製作工房と教室を兼ね備えた「翔工房」があります。一見すると一般的な戸建住宅のような佇まいですが、織物で人とローカルとを紡ぐ拠点でもあります。翔工房の主宰をつとめる田篭みつえさんに、“ものづくりへの想い” を伺うべく、工房を訪ねました。
手でものを生み出すことの面白さ
取材の日、工房の扉を開けるとすでに6~7人ほどの生徒さんで賑わっていました。聞くと、長年織物を習っている主婦、洋服が好きで布を作ってみたいという織物初心者のほか、博多織の達人と呼ばれる女性や、ペルシャの絨毯(ギャッベ)の専門店のオーナーなど、糸や布に何らかの興味をもつ人たちが、織物の師匠である田篭さんに教えを乞うために訪れているそうです。皆さんの織物に関する経験値はさまざまで、目標や作りたいものもさまざまですが、ゆるく織物で繋がっています。
田篭さんは自身も作家でありながら、ここを教室として週に3回開放しています。織物作家として活動を続けるために収入を確保しようと、以前は他の場所へ出向いて教室を開いたこともあったそうです。が、人数分の機を用意することの困難さや、限られた設備では教えられる内容にも制限があったことなどから、自宅を開放することにしました。すると、教えられる知識や技術も幅広くなり、さまざまな人が集まるようになったのです。
田篭さん:
「自分で作るより素晴らしいものや、手軽なものが世の中にはたくさんあるでしょう。別に手作りしなくても生きていけますよね。でも、ものを作る時間の豊かさや楽しさは、市販品では手に入りません。ただ織るというのではなく、もっと根本的な、自分の中にある何かを表現して形にする、ということがものづくりの楽しさですね。作ったものの色やデザインに、その人らしさが出るんです」
その人らしさを重視する田篭さんの教室は、カリキュラムや制限は一切ありません。糸を紡ぎ、染め、機を織るすべての工程のうち、生徒さんは自分のやりたいことに挑み、その様子を田篭さんは見守って必要な時に手を貸します。
田篭さん:
「前はね、全員にしっかり同じように教えるべきだと思っていたんです。でもこの年齢になって、生徒さんに合わせた教え方ができたらいいって思えるようになった。いろんな人が来るから、皆を同じ型にはめる必要もないしね」
おしゃべりや笑い声も飛び交う、教室というよりは集会所のような雰囲気で、皆さん別々に糸と向き合っています。温かく、居心地が良い空間です。
布の始めから終わりまでを自分で
田篭さんのこだわりの一つは、糸を紡いで、草木で染めて、機を織るという、自然素材が一枚の布になる工程のすべてを自分の手で行う、ということ。
田篭さんは県内の筑紫野市で高校卒業までを過ごし、グラフィックデザイナーを志して上京。デザインの学校に通ったものの、いざ就職という頃がオイルショック(1973年頃)で不景気の真っ只中だったそうです。就職先が見つからずどうしよう、と思っていた時に新宿で見かけたフレミッシュ織(北欧の織物)の美しさに目を奪われ、織物で生きていくことを決心。アルバイトをしながらテキスタイルの夜間学校へ通い、織物について学びました。
田篭さん:
「織物というと故郷・福岡には博多織や久留米絣があるけれど、そういったチームで製作をする現場で分業をするより、始めから終わりまで自分で完結するものを仕事にしたいという思いがあったんです。自分の時間を費やしてつくるたった一つのものにこそ自分らしさが出るし、尊さや豊かさを感じます」
とはいえ、当時の東京で自然素材や機織りの機械を入手するのは、難しかったといいます。
田篭さん:
「東京って野草や植物が本当になくって。当時、水戸納豆が藁に包まれていたから、その藁をなんとか譲ってもらって布を染めたりしたこともあります。私、納豆は苦手なのに(笑)。地元なら麻や綿も、染めるための草木も身近にあるから、織物のために帰ってきました」
そう話す田篭さんの手では、綿から糸を紡ぐのに便利な「紡ぎ独楽」が回っています。紡ぎ独楽は、玩具のコマと同じように軸を中心に回転させながら、綿から繊維を紡ぎ取っていく道具。手動なので紡ぐスピードはゆっくりですが、自然素材から紡ぎ出される糸は太さや色が均一ではなく、紡ぐ時の力のかけ具合でも変化するので、唯一無二の仕上がりになります。田篭さんの手にかかれば、身の回りのいろいろな素材が糸や草木染の材料になるのです。
田篭さん:
「糸も布も、買った方が早いんです。でもこだわりがある人は良いものを買うのではなくて、作ってみようっていう思いになる。自分で糸を紡いで織って、布をものとして組み立てるって、それだけで何日もかかることです。でも一つでもそういうものを手にすると、暮らしが豊かになりますよ」
織物が地域にできること
小郡を流れる宝満川のそばに媛社神(ひめこそしん)と織女神(しょくじょしん)を祀る七夕神社、そしてその対岸に牽牛社があることから、小郡は「七夕の里」ともいわれます。事実、927年の書物「延喜式」には、小郡市を含む筑後国は昔から機織りがさかんで、朝廷への献上品であったとの記述もあり、小郡は七夕と何かと縁がある場所なのです。
その七夕にちなみ、田篭さんは以前「七夕織」という織物を開発しました。宝満川の土手に自生する苧麻(ちょま)を使って織り上げるオリジナルの織物です。苧麻は道端の湿った場所に雑草として生えたり、古くから植物繊維をとるために栽培されたりすることもある別名カラムシとも呼ばれる植物。その茎から作った糸を取り入れた七夕織の実物を見せてもらうと、これがまた涼し気で、自然素材ならではの素朴な風合いがあって素敵です。その時教室にいた生徒さんたちからも歓声が上がりました。
前述の通り、苧麻は昔から繊維をとるために重宝されてきた植物でありながら、一方で今となっては扱いにくい雑草の一つ。それが、こんなに丈夫で味のある布の作品になるとは、驚かされました。
この日、小郡で活躍する香りデザイナー・財津園美さんとのコラボレーションで生まれた匂い袋も見せてくれました。『源氏物語』に登場する紫の上をイメージし、桜の蕾から色を取り出して染めた淡い桜色が可憐で、白檀や丁子(ちょうじ)からなる上品な香りがなんともいえません。こういった田篭さんの作品は小郡市のふるさと納税の返礼品としても好評で、町おこしに寄与しています。
田篭さん:
「教室を開いたのは織物を続けるためだったのに、今では生徒さんたちから刺激を受けています。技術は教えられるけれど、製作のヒントは生徒さんから学ぶこともあるし、織物を知りたい人が来て、いろんな思いを受け取れるから楽しい。私って先生が向いていたのかも、と今になって思います」
糸が一枚の布に織り上げられていくように、人の思いが織物を通して繋がっていく、そのものづくりの拠点となっているのが翔工房なのです。
最後に、田篭さんの今後についても聞いてみました。
田篭さん:
「安くてもいいものがたくさんある中で、自分で作るオンリーワンのものに価値を見出す人は増えた気がします。こだわりのものを自分の手で作ってみたい、という人を技術面で助けて、支えていけたらいいなと思いますね」
お気に入りのものを自分で作ることや、ものづくりの楽しさを味わうことは、時間に追われて暮らす私たちにとっては贅沢なことかもしれません。翔工房で会った人たちは、そんな自分なりの豊かさを享受しているように見えました。
文・写真:とがのみほ