ローカルニッポン

多様な人が交流する場をつくる。「トセノイエ」と「喫茶ヘバナ」

青森県の南東部、太平洋に面している八戸市は、人口が約22万人と県内で青森市に次いで人口の多い港町です。東京から八戸市にUターンしてゲストハウス「トセノイエ」と、早朝の集いの場「喫茶ヘバナ」を始め、地域に交流の場を生み出している鈴木美朝(みのり)さんにお話をうかがいました。

八戸の生活を垣間見られるゲストハウス

八戸市は、縄文時代には人が住んでいた形跡があり、江戸時代に八戸藩の城下町になるなど、長い歴史をもっています。そのため、約300年続くお祭り「八戸三社大祭」をはじめ独自の伝統文化が根づいており、港町らしい活気もあります。しかし近年は、全国の例に漏れず少子高齢化・人口減少が進み、空き家の数も増えています。
そんななか、鈴木さんは7年間空き家になっていた亡き曽祖母の家を、2022年にゲストハウスとして再生しました。

曽祖母の名がトセだったから、トセノイエ。

八戸市の中心部から徒歩圏内の住宅街にある平家で、昔ながらの畳敷き。クラウドファンディングで資金を集め、仲間とともにリノベーションを施したという空間は、「レトロな雰囲気をそのまま活かした」と鈴木さんが言うように、踏み入れた瞬間、おばあちゃんの家に遊びに来たような、なんとも懐かしい気分になれます。

チェックインが済むと丁寧にまち案内をしてもらえる。

夜は横丁酒場で八戸の新鮮な魚介を味わい、朝は近所の「長者山新羅神社」で行われるラジオ体操に参加してから、地元の人が集う喫茶へコーヒーを飲みに行く。八戸に暮らすように宿泊できるとあって、観光だけでなくまちに興味のある旅人に選ばれています。

また、トセノイエでは定期的にゲストを招き、伝統文化や食にまつわるツアーやワークショップなども行っており、宿泊客、地元住民問わず、人が出会い交流する場になっています。

(左)宿泊客には外国人も多い。(右)八戸の大学に通うクリエイターがつくったねぶたの展示会。

上京するまでは、学校に縛られ理不尽な思いも

鈴木さんの出身地は、八戸市から車で50分ほどの距離にある十和田市です。大学進学で上京するまでの学校生活を、鈴木さんは「つらかった」と振り返ります。

鈴木さん:
「難関大を目指すような学校で、そのための勉強や宿題が多すぎるうえに、部活が週6であって、厳しかったし体力的にもきつかった。理不尽な理由でも怒られるので、どうしたら怒られずに済むだろうと毎日考えていました」

高校を卒業して東京の大学に入ると、自由を感じたといいます。とくに留学生たちと親しくなるにつれ、世界にはさまざまな考えや文化があることを知り、かつて自分をとりまいていた環境を相対化できるようになりました。

鈴木さん:
「地元にいた頃は、限られた選択肢や価値観のなかで生きていたんだと、外に出て気づきました。当時から英語を話せるようになりたかったけど、外国人と交流する機会もなかったし、留学という選択肢があることを教えてくれる大人もいませんでした。私も、怒られるのが怖くて何もトライできなかった。思考もネガティブになっていました」

大学在学中、鈴木さんはイタリアでのインターンシップやアメリカ留学を経験し、海外旅行にも幾度となく行きました。異なる背景をもった外国人たちと出会い、彼らの違いを認め合う態度に心地よさを感じたそう。そうした経験が、後の鈴木さんの活動に大きく影響します。

世界は広く面白いことを伝えたい

大学卒業後、鈴木さんは東京の企業に就職しますが、1年ほどでコロナ禍になり、感染を避けて自宅のアパートにこもらざるを得ない日々に。公園なら大丈夫だろうと行ってみても、同じようにやってきた人たちで混んでいる…。「異常だなと感じました。田舎にいたら、普通に暮らしていてもソーシャルディスタンスがとれます」。人が密集している都会を出て、自然豊かなところへ移住しようと計画するなかで、ゲストハウスを運営する構想が浮かびました。

鈴木さん:
「今後のキャリアを考えたとき、仮に会社員で年収が1000万円になっても、私は幸せになれないと思って。ゲストハウスは、前からやってみたかったことでした。それまで国内外を旅行するたびにゲストハウスに泊まっていたんですが、いろんな旅人と交流できるし、その地域のことも知れてすごくよかった」

しかし、鈴木さんにとって地元は、つらかった記憶がある世界。戻ることに抵抗はなかったのでしょうか。聞くと、むしろその記憶が動機となったようです。

鈴木さん:
「昔の自分と同じように、居心地の悪い思いをしている人がいたら、『世界を見渡したらいろんな面白いことがあるよ』と伝えられる場をつくりたいと思いました。ここで当たり前のことも、外へ行ったらそうじゃない。地方と東京の間でもそうだし、日本と世界の間でもそう。トセノイエを、地域の人と外から来た人の接点にすることにしました」

そうして八戸市に移住しトセノイエを始めると、鈴木さんは文化・言語交換といった国際交流イベントも定期的に開催するようになります。
最近では、高校時代の先生から「海外に興味のある生徒に会ってもらいたい」と依頼され、進路に悩んでいたその生徒に、海外進学やワーキングホリデーなど、高校では教わらないであろう選択肢を教えてあげたそうです。

八戸の朝市とせんべい文化を象徴する「せんべい喫茶」

トセノイエからほど近い通りでは、かつて「片町朝市」が開かれていました。冬季を除く毎朝4時頃から7時頃まで、道の両側に野菜や魚、花、惣菜などのお店がずらりと並んだといいます。鈴木さんも子どもの頃によく家族と朝市を訪れ、その足で曽祖母の家を訪ねていたとか。朝市は2010年に62年間の歴史に幕を閉じましたが、その後も同じ場所で早朝に営業を続けるせんべい喫茶がありました。

せんべい喫茶では焼き立てのもちもちした食感の「てんぽせんべい」を提供していた。

八戸地方には、「南部せんべい」という小麦粉でできたせんべいを食べる文化があります。せんべい喫茶は、この南部せんべいを焼いている「上舘せんべい店」のご夫婦が営んでおり、コーヒー1杯200円、てんぽせんべい1枚50円。良心的な価格から、儲けるための営業ではなかったことがわかります。

せんべい喫茶は、地域の集いの場として愛されており、鈴木さんもトセノイエを始めてから宿泊客を連れて行っていました。店にいる客は60〜90代と世代は違うものの、行けばフランクに会話が始まり、昔の八戸についてリアルな話を聞くこともできました。

鈴木さん:
「あの場所が好きだったし、八戸らしいから、トセノイエのお客さんの、地域のことを知りたいというニーズを満たせるんです。こっちのじいちゃんばあちゃんは英語が話せないけど、外国人のお客さんを連れて行っても、なんとなく会話しているんですよね(笑)。トセノイエのお客さんはみんな、せんべい喫茶を好きになって帰りました」

経済優先で忘れられる、生きるうえで大事な何か

やがてせんべい喫茶は、店主の引退とともに閉店することが決まります。最後の1カ月間、鈴木さんが名残惜しさから毎日店に通っていたところ、常連の方から「店を引き継いだらどうか」と勧められます。「せんべいは焼けないけれど、コーヒーを出すくらいならできるかも…」と考えていると、あれよあれよと話が進み、せんべい喫茶が閉店して10日後の2023年12月、喫茶ヘバナが開店しました。

「ヘバナ」は、青森県の方言で「またね」という意味。「Have a nice day!」が「ヘバナいすでい」に聞こえることから名づけられました。営業日は月・火曜以外の週5日、時間は朝6時半から8時半まで。コーヒーの値段は250円と、せんべい喫茶時代から最小限の値上げにとどめ、常連客が毎日通えるようにしました。

(左)店は通りに開けていて立ち寄りやすい。(右)兄妹・夫婦で通っている常連さんたちと。

現在喫茶ヘバナに集っているのは、主にせんべい喫茶時代からの常連客です。雨でも雪でも顔を見せる方、ときどき車で来る方、神社でのラジオ体操の帰りに寄る方など、通うスタイルはさまざま。「ここに集うのが幸せ」「みんなの顔を見て安心できる」「来ないと落ち着かない」などと、みなさん喫茶ヘバナに来る喜びを話し、若くしてがんばっている鈴木さんを応援していました。

トセノイエの宿泊客と話す人、ご近所さんに挨拶する人など、自由な交流のある空間。

鈴木さん:
「ヘバナを始めてから、批判も受けました。『働き盛りの若者が、地域の高齢者のために朝早く起きて、格安でコーヒーを出すなんて儲からないし意味がない』みたいな。でも、以前トセノイエに泊まった人から『せんべい喫茶に関わりたい』という連絡がきたりもして、やっぱりあの場所は残すべきだよなと思いました。確かに、現代の経済優先、利潤追求の世の中では、ヘバナは時間やお金を投資するには非効率な場所です。でも、だからといって辞めたら、人が生きるうえで大事な何かを忘れてしまう気がします」

経済優先の社会のなかで、かけがえのない喫茶ヘバナをいかに持続させるか。そういう挑戦をしているのだと鈴木さんはいいます。

多様な人に開かれた、あたたかい地域の光景

さらに喫茶ヘバナでは、鈴木さんの人脈で国際交流をはじめ、音楽ライブや料理教室、子ども食堂など、さまざまなイベントを開催しています。常連客以外にも、多様な人がこの場所で交流しているのです。

(左)ガラス戸にはイベントで子どもたちが描いた絵。(右)常連客が置くマイカップ。

鈴木さん:
「あるとき、ヘバナに子どもたちとその親、じいちゃんばあちゃんという三世代が集まったことがありました。それを見て、こういう光景って昔は当たり前だったんだろうなと思いました。子どもの面倒も、昔は町内のみんなで見ていましたよね。東京の人は、地方には地域のつながりがあると思っているけど、実際は日常的に人が交われる場所ってあまりない。だから、せんべい喫茶はすごいところだったんです。あの感じを、みんな忘れないでほしいな」

喫茶ヘバナは、地域のコミュニティーをよい形で引き継いでいるように見えます。
とはいえ鈴木さんは、「出会いのなかで、自分がいいと思ったことを大事にしているだけなんです」と、地域のためというより、あくまで個人的な思いから活動しているといいます。その活動によって、八戸に今日も朝から笑顔が生まれています。

文:吉田真緒
写真:吉田真緒、鈴木美朝