山口県下関市のユニークなヒト・モノ・コトを6つの「点」としてストーリーを紹介しています。あなたも今まで知らなかった「下関の点」を繋いで、自然や食との関わり方に目を向けてみませんか。
山口県は、本州と九州を繋ぐ要衝であり、「山道の入り口」「鉱山への入り口」だったことがその名の由来といわれています。広大な山々の恵みを生かした林業は古くから盛んですが、木工製品の工房が決して多くはない下関で、工房を営む注目の若手職人を紹介します。
福岡の一大産地での修行
家具工房「Yuge(ゆげ)」の米丸優樹(よねまるゆうき)さんは、無垢材を使った椅子を中心に制作する木工職人です。大分県の人気温泉地・湯布院の宿泊施設に設える家具や、山口県内の温泉街再生プロジェクトにおける一部屋内家具の制作を担当しました。
北九州市八幡出身の米丸さんは、今年で39歳。奥様、お子様との暮らしに最適な立地を求めて山口県に移住し、自宅兼工場を下関市菊川町に構えています。市の中心部から車で30分ほどの、温泉やホタルの生息地としても有名なエリアで、昔ながらの風景が残る自然の豊かさとアクセスの良さから、下関市民も週末に過ごすという方が多い場所です。
米丸さんが家具職人を志したのは25歳。住み込みの修行を福岡県大川市ではじめました。大川市は、上流の大分県から川を下ってくる潤沢な木材資源だけでなく筑後川から全国へ繋がる物流インフラが整うことで、伝統的に家具職人たちが集まり、数百年前の室町時代から一大産業地として有名でした。
米丸さん:
「もともと製鉄所で働いていたのですが、本当にしたいことをと考え、家具職人の道に進みました。最初の工房で約2年、兄弟子のいるシンクファニチャーという工房で10年くらい修行しました。扱う家具の種類も多く、システムキッチンや収納、椅子やスツールなど幅広く制作していました。いざ独立という時は、工場の代表も親身に山口県内での工房立ち上げを応援してくれて、今があります」
SYNC-FURNITURE(シンクファニチャー)は、福岡県出身の数名の家具職人が所属し、デザイン性の高いオーダー家具を提供している実力のある工房です。制作の技術の会得はもちろん、大切にしているのは工房の理念でもあった“目先の技巧を見せつけるような家具ではなく、お客様のニーズに耳を傾け、日常に溶け込むシンプルな家具を作ること”。その姿勢は、十数年の修行を経て、2020年に独立した米丸さんの現在のものづくりにも反映されています。さらに米丸さんのオリジナル作品には、米丸さんが得てきた経験やさまざまな文化のエッセンスが少しずつ散りばめられているそうです。
米丸さん:
「学生のころには家具職人になるとは思いもしませんでしたが、当時はやっていた北欧家具に魅了されました。そのシンプルで無駄のないデザインが今でも好きです。家具に込められた木や自然を生かす精神性と機能性との共存に惹かれるのかもしれません。それが今のものづくりの原点になっています」
無垢材の可能性を生かした代表作
独立後の最初の仕事は、県内の長門湯本温泉のバーに納めたハイスツールです。温泉街にある築70年の古民家をリノベーションした「だいご長屋」という建物の2階で実物に触れることができます。昼はカフェ「cafe and shop Tre(トゥレ)」、夜は「THE BAR NAGATO」というオーセンティックなバーになります。昼と夜で表情を変えるバーの雰囲気に合わせ、スタイリッシュさと木の温もりを融合させています。カクテルやオールドウイスキーをたしなむ国内外のお客様にも通用するようにと制作したスツールは、訪れたお客様に好評だそうでこのスツールをきっかけに、その名が徐々に知られるようになりました。
米丸さん:
「バーでは椅子の後ろ姿が重要です。無駄のない美しい立ち姿と、居心地の良さを両立させることにこだわりました。長門湯本のバーでどんなお酒を飲むだろう? どんな人が腰掛けるだろう? と、空間やシチュエーションについて、今まで以上に強く意識して制作するようになるきっかけになりました」
椅子の後ろ姿は極端なほどシンプルで、美しい独特のデザインです。腰掛けてみると、座面の座り心地はもちろん、体を起こしたときにだけ、そっと支えてくれる背面を兼ねる控えめな肘掛けなど。米丸さんの細やかな仕掛けは、椅子がある“あのお店、あのバーにまた行きたい”と思わせる魅力があり、今後のバーの賑わいも作ってくれることでしょう。
図面づくりから始まるフルオーダーの強み
米丸さんの工房には、過去の図面などはもちろん、家具のパーツを作るための自作の「ジグ(制作補助具)」がいっぱい。制作中の制作物に、数ミリ単位の調整を施すためのもので、細部へのこだわりがうかがえます。
オーダー時の細かな要望の中から、言葉にならない余白部、例えばデザインの潜在的なイメージ・期待などの趣向を、ジグを調整していく中で見つけ、全体を完成に導いていく。使わなくなった過去のジグも残しておくことで、再発注や、修理依頼でも再現することができ、細やかな対応が可能に。壊れたら終わり、という量産されたものの消費ではなく、大切に使い続けて、“育てる”ことができる。これが、手作りの家具工房ならではの強みといえます。
米丸さん:
「大事にしているのは、安定性を前提とした木材家具とはいえ、べたっとしない浮遊感を表現することです。ディテールで引き算をすることもありますし、椅子の脚の幅を数ミリ変えるだけでも、全体の軽さを表せます。こういったミリ単位を最終決定するまで、納得できるまで何度も試作し直します」
太さや幅だけでなく、木工家具の顔ともいえる木目の選定「木取り」の作業にもひときわ神経を使います。木肌の色を楽しみながら、使っていきながら育ててもらいたいと、クリア塗装をせず無垢材にこだわっています。オイルを塗って大切にメンテナンスして“育てられた”数年後の想像図から逆算して、製作しています。
最近では一般的なホワイトオーク(ナラ材と呼ばれる)だけでなく、山口県産の栗や松、桜などの木材も積極的に活用していて、さまざまな表情の家具が生み出されています。
米丸さん:
「木には年輪がありますよね。その見た目だけでなく、木自体の裏表や使う向きによっても経年の仕方や反り方が変わります。元々のオーダーに対して、全体の仕上がりと、数年後のイメージまでするので、この作業だけで疲れるほど、気を遣う工程です」
目指しているイメージは‟ヨーロッパの田舎の木造りの風景”。奇抜でも派手でもない、丁寧に作られた家具が数十年、それ以上に世代を越えて大切に使い続けられている風景です。完成したその時の価値だけではなく、使い続けられて唯一無二の大切なものになれる家具作りを目指して制作しています。
Yugeの家具は4万円台から購入が可能で、最近はインスタグラムのDMで全国から制作の相談がくることも。山口県内の展示会イベントへの出店やワークショップも実施中。少しずつですが、お客様と職人が直接関われる接点を増やしていきたいと語ります。
人が自然と集まる場所を作る
2023年には、奥様の智子さんとともに喫茶「湯氣(ゆげ)」をオープンしました。工房から車で5分ほどのところにある木造一軒家で、コーヒー・カレー・生活雑貨を取り扱い、自身の家具を実際に使い、購入もできる空間です。
米丸さん:
「工房と喫茶の名前ですけど、朝ふとコーヒーを淹れて夫婦でゆっくりしていたときに、何気なく立ちのぼるコーヒーの湯気に澄んだ朝日が差した瞬間があったんです。かたちのないものだけど、言葉に表せないムード、温かさを感じこの空気感いいよねって。それで湯氣/Yugeにしました」
元々はバスの待合室と駄菓子屋を兼ねた古民家で、地元の方同士が豊かに繋がる“人が自然と集まる場所の痕跡”が気に入り、ここに開店しました。観光客の方にもちょっとした休憩に気の休まる空間が作れればと、米丸さん自身もこれからの展開が楽しみだといいます。
これは自身の移住時、下関のコミュニティの底力を知り、驚いた当人だからこその行動といえるかもしれません。奥様の故郷でもある下関に移住先を決める時、知り合いの方やご家族が、気が合いそうな方をどんどん繋げて紹介してくれたり、同じく移住後に活躍されている木工職人の方が、親身に工場の好立地を不動産屋並みに何件も探してくれたり(なんと以前に取材した「ムクロジ木器」さんのことだそう)と、市内・県内の人とのコミュニケーションが福岡時代以上に取れることで、不便かと思った下関の暮らしに、不便はないそうです。
米丸さんは、下関市のことを“それぞれの個性の集合体”として、人の魅力があふれる場所だと教えてくれました。
米丸さん:
「下関は広い土地があり、やりたいことはなんでもできる。上下関係を気にしたり、つい世代で固まりたがる風土がないんです。程よい距離感を持つ人々の点がたくさんあるすごく面白い町だと思っています。その一人ひとりが面白い人たちが多くって、個性があって刺激になっています。福岡を離れる時はコミュニティもない場所でやっていけるか不安でしたが、ここに拠点を置いて間違いなかったと断言できるほど、下関にいるからこそ気づきがあり、ご縁があり今の家具が作れていると思っています」
人と人を点で大事にしてくれる下関の自然、それを線でつなぐ仲間たちの存在と出会い。
他のどこでもなく、ここ下関を拠点にして良かったと胸を張る米丸さん。
現地に行き下関を体験する“旅”もおすすめですが、それ以上に下関の空気感をまとう「Yuge」の家具を“育てる”ことで、悠久の下関の自然を味わってみませんか。
文:えさきあさみ
写真:えさきあさみ、米丸優樹