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万祝をめぐる人々 1 -海洋民族の誇りを守り伝える千葉県一古い美術館 / 柳和子さん

千葉・南房総

伝承技術, 地域文化

四方を海に囲まれた日本列島。肉食が増加しているとはいえ、現在でも人口100万人を超える国の中で1人当たりの水産物消費量は世界一。この食生活が同時に世界一の長寿国であることに影響を与えているという研究もあります。海との長い歴史をもつこの日本で、漁業技術や海上輸送が格段に進歩した江戸から昭和初期にかけて、房総沿岸にて多くの網元が繁栄の絶頂期を迎えました。このシンボルとなっているのが、「万祝」(まいわい)という衣装。今回は、この万祝の美しさや漁民文化に魅せられ、南房総白浜へ移住して千葉県で最も古い美術館を創設した柳和子さんをご紹介します。

白浜への旅の途中 海女小屋で

  三重県出身の柳和子さんと夫である故柳八十一さんが、東京の百貨店に勤めていた生活から一転、白浜へ移住したのが今から53年前。そのきっかけは旅行で白浜を訪れた時に、海女が身体を休める海女小屋へ立ち寄ったことにありました。

“うちの夫はほんまに変わり者でしてね。もともと民芸品に目がなくて、柳宗悦さんはじめ多くの先生方を師と仰いでよう勉強していたんですよ。そんな最中、白浜の海女小屋で海女さんが身を温める半纏に、なんとも美しい絵が施された生地が縫い付けられていることを発見して、これが運命的な出会いとなったんですねぇ。”

白浜への旅の途中 海女小屋で

  現在も5月頃磯漁が解禁されると、多くの海女が活躍する白浜の海岸線。当時海女は、海から上がると海女小屋にて「ドンザ」と呼ばれる半纏を羽織って、身を温めていたそうです。この「ドンザ」は特に人前に出る服でもないので、保温性を高めるために古くなったボロ切れを何重にも縫い合わせて作られていました。

漁民のロマンに魅せられて

“それでさっそく、地元漁師を捕まえてこの絵について聞くと、「そりゃまいわいだ」っていうんです。この話が一昔前の漁師や衣装に隠されたロマンに溢れてましてね。調べれば調べるほど面白い。夫はこれに人生を捧げる決心をしたようでした。それからすぐさま移住して、白浜はじめ房総沿岸中の漁師民家を「万祝ないですか?」って聞いて回って、それはそれは変人扱いされましたよ(笑)。”

  海女小屋の「ドンザ」に使われるほど、当時すでに忘れられて久しかった万祝風俗。絵柄を見てすぐにこの価値を見極めた目利きも驚きですが、これを機に人生を漁民芸術に捧げようと覚悟した八十一さんの民芸への思い、好奇心、そして探究心こそ、倉庫に眠る芸術作品を再び現在に甦らせたのでした。

万祝蒐集に民家で交渉する生前の八十一さん 昭和40年代のTV放送(美術館内視聴可)

万祝蒐集に民家で交渉する生前の八十一さん
昭和40年代のTV放送(美術館内視聴可)

万祝とは

明治30年正月 万祝を着た漁師たち

明治30年正月 万祝を着た漁師たち

  万祝とは江戸時代から戦前にかけての正月、同じ網元(地域の漁業経営者)に属する漁師全員が、前年の大漁を祝い、今年の祈願をする神社仏閣への参詣時に着た晴れ着のことをいいます。
  黒潮と親潮がぶつかる房総沿岸は当時イワシ漁が盛んで、また南房総ではマグロやタイといった高価な魚も多く獲れました。さらに、現在の館山市から江戸/東京の魚河岸に魚を届ける押送船(帆走・漕走併用の小型の高速船)が出港するようになったことから、南房総から太平洋沿岸の漁師は空前の好景気を迎えることになります。
  果てしなく広く深く、また天候次第で恐ろしい姿にも豹変する海。繁栄の裏側で、常に死と隣り合わせにあった漁師の生き様は時に、「粋」という言葉で表現されることがあります。

  この一つのシンボルが「万祝」という半纏です。力強い線、鶴亀松竹梅に代表されるカラフルな祝いの模様など、網元が厳選した絵師・染物屋に頼んだこの1着に、1年を共に生き抜いてきたことへの感謝や翌年の皆の無事を祈る思いが凝縮されています。
  万祝は大漁の年の12月に、網元から配下の漁師へ反物が配られ、年内に漁師の妻や母が反物を仕立てます。正月に仕立てあがった万祝を着て網元の家に集合し、皆でまち中を闊歩して参道を歩く姿は、いかにまちの人々の視線を浴び、そして漁師の士気を高めたことでしょう。特別な報酬を渡す、または贅沢な正月を送るというのではなく、皆で同じ半纏を着て参道を歩くというこの儀式のような祝いのあり方に、漁師の「粋」、漁民文化の精神が現れているといえるのではないでしょうか。

いわしの文字が入った万祝

いわしの文字が入った万祝

南房総の万祝

  万祝風俗は、房総を発祥としてその後静岡から三陸海岸まで太平洋岸に広く伝播しますが、柳和子さんは房総半島でも特に南房総の万祝は他地域と大きな違いがあることを指摘します。

“南房総の網元が発注した万祝は圧倒的に、絵や染物の鮮やかさが違うんですわ。もちろん絵師だって商売ですから、金額によって力の入れ具合を変えますでしょう。調べてみるとこれが面白い。大体銚子や九十九里沿岸の網元は、今で言う大きな会社組織みたいになってましてね、江戸から来た流れ者なんかを安く雇って莫大な収益をあげていたんですよ。これに対して、南房総は親戚が集まった小規模な組織が多かった。親戚ですから、当然万祝にかける思いも金額も網元のプライドに関わってくるんですよ。それで、南房総に残っている万祝は芸術的な価値が高いんですね。”

現在も和田浦に継承されている鯨漁の万祝

現在も和田浦に継承されている鯨漁の万祝

  これまで270点もの万祝を蒐集してきた和子さんによれば、南房総で発掘した万祝は他と比べて芸術性が高いとのこと。この理由が、網元の経営形態の違いによるという分析は非常に興味深いものです。筆者も、美術館内で違いの説明を受けましたが、なるほどという所が多く、ぜひ一度自分の目で確かめて頂けたらと思います。

  太平洋戦争に入ると、漁船が軍に徴用され、また漁民の多くは戦場へ応召あるいは徴用されたため、一時漁ができなくなりました。戦後網元による漁業組織は復活しましたが、欧米文化の流入から万祝風俗は、ジャンパーやボーナスといった報酬に変化し、万祝そのものも孫やひ孫の代で家の倉庫に眠ることになったのです。こうして、万祝をはじめ多くの漁民文化が消えてなくなる寸前に、これを直談判して救出し、現代に甦らせた柳さんご夫婦の功績は言葉に尽くしがたいものがあります。

クラウドファンディングの支援で蛍光灯をLEDに変更

  この白浜海洋美術館、柳さんご夫婦にはお子さんがいなかったため、和子さんの甥にあたる陶芸家の冨山善夫さんが現在は館長を務めています。実は、冨山さん、2015年3月にReady forというクラウドファンディングにて支援金を募集して、美術館内の作品を照らす蛍光灯をすべてLEDに変更しました。

クラウドファンディングの支援で蛍光灯をLEDに変更

“当館は、千葉県内で最も古く今年で創設50周年を迎えます。これにあたって蛍光灯が発する紫外線から作品を守るためにLEDへ変更するプロジェクトを立てました所、多くの支援者のお陰で無事プロジェクトが成立しました。これによって作品の寿命を格段に延ばすことができる他、美術館全体が明るくなりました。万祝の色も以前より鮮やかに映えています。”

  クラウドファンディングを利用することで50周年記念の告知もかねて多くの人々への宣伝にもなったと語る冨山さん。先代の柳さんご夫婦が集めた漁民芸術を守り伝えていくことに日々努力を惜しみません。今年は、50周年記念で沢山のイベントを予定されているようですので、ぜひ南房総へお立ち寄りの際は房総最南端の野島埼灯台から歩いて1分、白浜海洋美術館にて日本一の万祝コレクションをご覧ください。

LEDで明るくなった館内で万祝を着る冨山さん(美術館では万祝を着用することもできる)

LEDで明るくなった館内で万祝を着る
冨山さん
(美術館では万祝を着用することもできる)

  万祝をめぐる人々、次回は南房総で万祝の伝統と技術を引き継ぐ鈴木幸祐さんをご紹介します。どうぞお楽しみに。

(文:東 洋平)