ローカルニッポン

双葉屋旅館 小林友子さん

双葉屋旅館はフルハウスから歩いて2~3分ほど、駅からは約1分の近距離にある、現在、小高で営業している唯一の旅館である。震災時は、津波が玄関先まで押し寄せたと言う。現在、双葉屋旅館を取り仕切っているのは、4代目の女将小林友子さん。夏休み中のこの時期、若い宿泊客の姿が目立つ。

「この時期は、企業研修や大学生の宿泊が多いですね。南相馬市が主宰する『みなみそうま復興大学』という支援事業があって、大学を対象に宿泊費が負担されるので、大学生の宿泊客が多いんです。全国の国立、県立、私立大学の学生さんたちが、調査研究や被災地見学、ボランティア活動などで継続的に来てくだいます。

ここら辺りは、原発20キロ圏内にある小高と浪江、つまり北側と南側のくっきりとした状況が見えやすい地域なんです。南側では行政や国の主導の元、復興計画が行われています。一方、北側はどちらかというと忘れられている地域で、自分たちでやるしかないんです。私は放射線量を量る団体と一緒に活動したりして、自分の住む場所がどういう場所なのか調べ、考え、行動しています。とにかくこの場所で踏んばりたい。私たちの世代で終わってもいいから、とにかく踏んばってみようと……。後の世代がどう思い、行動するかは、彼らに委ねたいと思います」

双葉屋旅館は小林さんのご実家でもある。2001年にご両親が倒れ、兄たちが戻れない状況を知った小林さんは、当時手伝えるのは私しかいないという思いで、この場所に戻ってくる。

「定年後はゆったりするつもりだったんです。でも、重度のやけどを負って入院した母が、酸素マスクの中から、1週間したら仕事に戻るからと言った時に、このまま旅館を閉めることはできないと思いました。それで単身で実家に戻り、旅館を経営しました。私は23歳までここで暮していて、子供時代からお手伝いのようなことはしていましたけれど、旅館経営についてはまったくの素人でした。でも、客商売が自然と身についていたんですね。昔ながらのこういう宿で、居心地が良いと思ってくださるお客さんが1人でもいれば続けていきたいと思っています」

双葉屋旅館は小高駅からすぐの場所にあり、旅館としてベストの立地条件だ。震災前、双葉屋旅館にはどのようなお客さんが宿泊されていたのだろうか。

「主に仕事関係のお客さんが宿泊されていました。駅前の旅館ということもあって、行商や問屋さんが多かったです。私が小さい頃は、呉服屋さん、薬屋さん、眼鏡屋さん、刃物屋さん、そういう人たちがひっきりなしに泊まっていました。震災後は、この辺りの商業圏が消滅してしまったので、ぴたりと来られなくなりましたね。今は、小高周辺をフィールドワークしたり、ボランティアをしながら学ぶために来る学生さん、企業研修の団体さん、避難先の別の地で暮らしている小高の人々が主です」

小林さんは旅館経営以外にも、アンテナショップの経営や小高商工会女性部活動、駅前の花壇整備など、地元の人たちと一緒に様々な活動を行っている。「小高駅前の見張り番」としての小林さんの活動は頼もしくもある。そんな小林さんに小高への思いを訊いた。

「今いちばん関心があるのはまちづくりです。ここは一度ゼロになった町です。すべてなくなったんです。ゼロの町を新しく作っていくまちづくりを区が主導して始めました。でもその計画を見て、これって一度外に出た人が帰ってきたい町なんだろうか、と疑問に思いました。他の住民も疑問に思った人がいました。

最初の計画では、いったん全部壊して、いま流行りのコンパクトシティを造成するというものでした。それってつまりニュータウンなんです。3階建ての住居の1階部分に商店を造る。風力発電やソーラーのような再生可能エネルギーの施設を造る。国や行政は、当初そういう絵を描いていたんです。でもこれって、私たちの望む町なんだろうか。新しい町ってなんだろう。様々な疑問が出てきたんです。自分たちが育ってきた小高の町の匂いや記憶を、一つでもいいから残したい。一生懸命に新しいものを提案しても、どうしてもそこには放射能が関わってくるんです。たとえば養蜂。今は低いですが、当初はちみつの放射線量はすごく高かった。そこが常にネックになります。新しく産業を立ち上げるにしても、人は来るでしょうか、会社は誘致するでしょうか。

今、若い人たちが戻ってくる可能性は低いと思います。だったら、私たちの年代が過ごしやすい町にすべきだと。事務所やプールやチャレンジショップがある総合センターを建てると言いますが、それと同じような機能を備えた施設がすでにあるんですよ。小高生涯学習センター『浮舟文化会館』や、老人福祉センターのような施設も点在しています。そういう施設を残したまま、新しい施設を建てる計画がありましたが、そんな無駄なことを誰も望んでいませんでした。新しく建てるのであれば、いま小高にないものを造るべきです。もしくはきちんとお金が回るものを造るべきです」

ご主人の岳紀さんと

八方塞がりの状況の中でも、自分たちで考え、自分たちで行動しなければならないと小林さんは力説する。若い世代に委ねるのではなく、自分たちの代で現在の問題に向き合い、解決することが重要な課題であるとも。しかし意見集約をどうするか。「自分たち」といってもさまざまな意見を持った「自分たち」がいる。

「それは今回、実感したことです。小高に戻ってきた人たちが何を必要としているのかはわかるのだけれど、小高区内でここから出た人たちの数は現在の居住者よりも多くて、住民登録者数で三分の一ぐらいの人しか戻っていません。三分の二は違う考えを持っている人がいます。南相馬市というさらに大きなエリアに拡げれば、6万人のうち居住人口はたった3千人です。多数意見には勝てません。市議会でも不利な状況です。ここに暮らす者として何がしたいのかということを、1年間かけてワークショップで行い、基本計画を練り、市長にも提言しました。予算と地域住民との話し合いがうまくいかず実現しませんでした。それでも提言し続けるべきだと思います。」

小高で過酷な日々を乗り越えてきた小林さんの笑顔の重みを知ったインタビューでした

政治や行政のシステムは、本来的にそこに住んでいる人たちの要求や要望を尊重して、すくい取るべきだと思います。多くの自治体がそうであるように、ここ小高においても、住民たちの声が行政に十分に届いていない印象を受けました。

「だったら自分たちでやるしかない、というのが現状です。行政と住民のキャッチボールがずっと続いていました。国の管轄なので国に請願に行くと市の方にお願いします、市にお願いに行くと国に打診してください、と。国や行政は前例を当てはめようとします。でもここは、前例が当てはまらない土地です。でも、いくら説明してもわかってもらえない状況が続いていました。法律の壁があります。補助金の申請を出しても、成り立たない計画にはお金は出せないと言われた方もいます。自分たちの自己資金を投入するしかありませんでした」

ひと言でいうときれいな町にしたいんです、と小林さんは言う。「きれいな町」を造るには、新しい考え方を持った人間や、外部の人間の力も必要だ。この地に一軒家を購入し、ご近所さんになった柳美里さんの活動は、小林さんの目にどのように映るのだろうか。

「私は柳さんのような人に来ていただきたいんです。だから、双葉屋旅館の隣にあるゲストハウスを運営されている女性のために改修費用の一部を捻出しました。広島から来られた女性が『厩舎みちくさ』で被災馬を13頭飼育しています。彼らにも応援の手を差し伸べたいと思っています。小高に魅力的な場所が増えれば、この場所に訪れてくれる人も確実に増えると思います。本当に何もない町です。そんな町に外から来てくれる人たちを、きちんと受けとめる環境を作らなければ、次につなげれられないと思います。事故が起きた後のこの土地については、自分たちにも責任があると考えています」

双葉屋旅館の前で

小林さんの言葉1つひとつから、小高に対する郷土愛が伝わってくる。そして、震災から8年が過ぎ、未だ矛盾を抱えたこの土地の現況をなかなか変えることができないことへのさびしさと焦りと怒りも。

「小学校時代の担任の先生が、原発は危ないものだとおっしゃったことを覚えています。そのことを母に伝えたら、原発が来ると暮らしが豊かになると言いました。小高は歴史的に豊かな土地だったんです。お金をかけずに生きていける場所でした。自給自足ではないけれど、代々受け継いできた土地と家があれば、現金はなくても生きていける場所でした。

でも、時代の変化とともに現金が必要になってきたんです。家電を買い揃えたい。子どもを大学に行かせたい。上昇志向の象徴がお金だったんです。そのお金で失ったものを、今回のことで皆が実感したはずなのに、またお金に走っている気がします。愚かなことです。この土地がなくなるかもしれないという最大の危機を私たちは体験しました。そのことを後世に伝えなければいけないし、同じことを繰り返してはいけないと思います。

60歳を超えた自分たちには先が見えています。だからもう、誰に何を言われてもいいんです(笑)。残された時間は、あと10年と考えています。10年で何ができるか、何をしたいか。自分で決められるわけです。だからがんばれるんです。この10年で自分たちの代で完結できる小さな仕事を達成したい。そしてもし可能であれば、次の世代に託せる基盤となるものを作りたいと考えています。今年三男が戻ってきました。ずっとここにいるか分かりませんが、今私たちの背中を見ていると思っております。がんばります、次につなげるように」

文・榎本正樹

記事の続きは下記からご覧いただけます。


懐かしの味で小高の食を支える
──双葉食堂 豊田英子さん


文学と映画を愛する市井の文化人
──谷地魚店 谷地茂一さん


小高の復興に尽力する新世代
──小高ワーカーズベース 和田智行さん