ローカルニッポン

意味なく美しく生きる <僕らの鴨川移住記>

今年の6月に千葉県は房総半島、鴨川の内陸部に移住した僕ら家族の物語です。パーマネントな暮らしを求めて旅した末にたどり着いたのは、棚田の美しい全22世帯の小さな集落でした。実体験を踏まえながら、これからの地方移住の可能性を探っていきたいと思います。

はじまり - いのちの彫刻 –

山脈の間を抜けるように通った長狭街道。ある日、千葉県南東部のいすみの方で研修が終わり、たまたま鴨川を抜けて帰る途中でした。ふと”ある人”のことを思い出して、道の角を曲がり小道に入りました。水路の上には小さな橋がかかっており、釜沼橋と書いてあります。

”ある人”というのは、数年前に鎌倉で開かれたトークイベントで出会った林良樹さん(次の千年へ)という方。千葉の鴨川に20年前に移り住み、近代とは程遠い、昔ながらの生活をしているといいます。僕を惹きつけたのは、イベントが終わってすぐにやり取りしたメッセージが強烈に印象に残っていたからでした。

Apple不朽の名作CM「Think different.」を彷彿させる、良樹さんからのエッジが効いた熱いメッセージ。どこか社会に孤独と虚しさを感じていた僕の胸にグッサリと刺さってきました。

当時、僕はマンションのコミュニティ支援という特殊な仕事に携わっていました。広く言えば”まちづくり”にあたるのですが、”コミュニティ”という斜め上の目線や、自分の価値観とのズレが日に日に強まっていくのを感じていました。林さんの言葉に心を打たれた僕は、巡り巡って鴨川にたどり着いたのでした。

釜沼橋を通り過ぎると、一面に田んぼの風景が広がります。さらに坂道を登っていくと、突然に山の窪地に美しい棚田が現れました。まさに巨大なアースワーク、いのちの彫刻。芝生のように綺麗に雑草は刈り込まれ、柔らかい大地の曲線には一切の人工物が見当たりません。棚田の頂上には、大きなヤグラが。大自然の中のステージに誘うように、僕らを出迎えてくれました。まるで宝物を見つけたように、妻と二人ではしゃいだのを覚えています。「ヤッホーー!」妻が山に向かって叫びました。こんな集落の中でうるさいだろうと思いながらも、便乗して僕も「ヤッホーー!」。
後に知りましたが、この棚田こそ、林さんが手がける「天水棚田」の田んぼだったのです。

僕らを出迎えてくれた、いのちの彫刻

移住地探しの旅

元より、僕らは移住先の土地を探していました。妻とは横浜のシェアハウスで出会って結婚。当初から田舎暮らしの夢を描いていました。僕らが描いていたのは、パーマカルチャーと呼ばれる農ある暮らし。自由で、自給的で、持続的な未来。日本各地を旅して巡りましたし、海外にも足を伸ばしました。

そんな中で、ハワイ島の農園「ジンジャーヒルファーム」に寄った時のことなのですが、ここで素敵な果樹園の中で宿泊することができました。朝採れた果物たちが食卓に並び、、昼間はファームの手伝いをし、夕方はファームに関わるみんなが海の向こうの水平線に沈む夕日をゆっくり眺めます。なんて贅沢な時間。そして食べ物に囲まれた暮らしというのが、どれだけ安心と豊かさに繋がることか。

ジンジャーヒルファームは日本人のアーティスト兼平和活動家の小田まゆみさんが何十年も前にこの土地に移り住み、土地を開墾するところから始めた場所だそう。最初は大きな岩がゴロゴロしていて、とても農園には向かない土地だったそうです。アーティスト、そして平和活動家の方がなぜ農園を運営することになったのか、僕の中では若干の疑問でもあったのですが、その後に見つけた小田まゆみさんが手がけた絵本で、全てがつながりました。

その絵本のタイトルは「きままにやさしくいみなくうつくしくいきる」。

意味なく、美しく。

平和活動では常に”意味”を求められてきた小田まゆみさんが、”意味”を超えて、”美しく生きる”ことにフォーカスしていったことを考えると、その言葉に深みを感じます。様々な分断や主義主張を乗り越えて、美しく調和した世界を目指そうというメッセージが込められているのだと、本当のところはわかりませんが、僕はそう理解しました。

僕が感動したハワイ島ジンジャーヒルファームのガーデン。水平線の向こうに夕日が沈みます

重なり、つながる

僕らがたまたま鴨川に立ち寄って、美しい「天水棚田」の風景と出会ったその2-3ヶ月後のことです。房総半島は巨大な台風に直面しました。前代未聞と言われる暴風と豪雨。釜沼集落も被災しました。屋根が飛び、扉のガラスが割れて、部屋の中はめちゃくちゃです。
70-80歳のおじいちゃんおばあちゃんが1人,2人で住むには厳しいと、この台風をきっかけにして、空けてしまう家がポツポツとではじめました。そんな中で、偶然林さんの自宅の隣も空き家になりました。大きな南斜面の果樹園を背負った、築100年になる立派な古民家です。僕はこの土地を一目見て気に入りました。

果樹園は荒れて、雑草や雑木が生い茂っていましたが、手入れをしたらどれだけ美しい場所になることでしょう。妻も古民家の大掃除を僕がやるのを前提として、移り住むのに了解しました。こうして、僕ら家族の移住が決まっていきました。

移住は2020年の6月ですので、ついこないだのことです。ちなみにですが、古民家への移住というのは意外と難しいものです。特に、農家だった家に入るということは、多くの場合、広大な農地も一緒についてきます。そうした農地は、個人のものであるとともに、地域の資源でもあるので、簡単に絶やすことができないのも現状です。6月や7月というのは雑草が一番元気になる時期ですから、夕方ごろになると草刈機のエンジン音がいたるところで聞こえてきます。集落の生活では、一日の締めは草刈なんですね。

移住前はあまり想像できていませんでしたが、僕らも”毎日草刈”の日々がスタートしました。

僕らが借りた古民家。古道への入り口に位置することから、屋号は『越路(けいじ)』

意味なく美しく生きる

6月は田植えのシーズン。棚田のお手伝いをしに、田んぼに足を踏み入れました。ずっぷりと足が膝まで、生暖かく、柔らかい。なんとも言えない感覚です。こうした田んぼにずっと昔から日本人は関わってきたんだろうと感慨に浸りながら、田植えの作業を続けます。

横一列に並んで、苗を3-4本ちぎりとり、水に浸った粘土質の土に植えていきます。植えたところを踏まないように、そろりそろり。単純作業といえばそうですが、今まで都会で経験してきた作業とはやはりどこか違う感じもします。かがみながらの作業が多いので、腰がかなり疲労しますが、ふと、身体を起こして周りを見渡すと、爽やかな風が通り、一面に水のはられた田んぼが広がります。

美しいというのは、”調和”のことでもあります。先祖代々やられてきたことの苦労や積み重ねに共感できる、縦の調和。同じ時間を生きる生き物たちと直接触れて感じられる、横の調和。これは僕だけがそう思ったのかもしれませんが、1000年前の人もこの景色を見て、同じように”美しい”と思ったに違いありません。

田植え作業の様子。水糸を張って、その線に沿って真っ直ぐに苗を植えていきます

鴨川を選んだ理由

美しい棚田の集落に移住したのはつい先月の6月のことです。同時期に、コロナという全世界的なリスクと向き合うことになり、地方移住に関して多方から関心が寄せられているのも事実かと思います。そんな中で、なぜ鴨川に、そしてこの集落に、と言われるとご縁としか答えようがないところもありますが、僕らなりに移住にはある種の基準のようなものがありました。

一つ目は、距離です。
都会とのアクセス性というと一意的ですが、僕らにとっては長らく住んでいた横浜のシェアハウスとの時間的な距離でした。アクアライン、あるいは東京湾フェリーを使えば東京をまわるよりもアクセスが良く、およそ片道1時間半で行き来ができます。特に子連れの僕ら家族にとってはフェリーの存在は助かりました。シェアハウスの友人が別荘のようにいつでも遊びにこられるように、また僕らがいつでもシェアハウスに戻っていけるように、気軽な距離感を探していました。

二つ目は、農地の利用感と言いましょうか。
僕らの移住先のイメージには広い農地が付いていました。もっと都市部に近い場所にも農地はありますが、素人でも借りられる場所となると、そう簡単にはいきません。僕らが候補で考えていた三浦半島(三浦市)ではほとんどの農地が使われて空きがない状況でしたし、しかも無農薬栽培などを考えた場合は隣接する農地との関係性も絡んできますので、より複雑です。 鴨川では簡単と一言では言い切れませんが、少なくとも農地を借りるのには苦労が少なくてすみました。

実際に住みだして2ヶ月弱になりますが、たくさんの友人が遊びに(サポートに)来てくれました。このコロナで海外行きの予定が変わってしまった保育士の女の子が1ヶ月ほど住み込みで息子の面倒を見てくれていたり、元シェアメイトの友人がしょっちゅう遊びに来てくれるおかげで僕らも寂しくありません。

鴨川は、わざわざ行きたくなるほどの距離感で、ちょうど良さを感じています。都会から離れてちょっと一息つきたいな、と思った友人をいつでも受け入れられる。僕らも助かる。そんな場所に居られることに、今はとても居心地の良さを感じます。

鴨川で暮らしはじめた僕らの家族。さて、これからどんな暮らしが始まるでしょうか

文・写真 福岡達也