ローカルニッポン

デザイナーから海女へ / 鈴木直美さん


2013年のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』にて一躍知名度が高まった「海女」(あま)。ここ千葉県南房総でも5月以降、磯漁が解禁されると多くの海女(男性は海士)が活躍します。特に南房総市白浜では毎年7月に「海女まつり」という盛大な祭りが開催されるなど、女性の伝統職としての「海女」を称える習わしが定着しています。この白浜に東京から移住して、海女となったのが鈴木直美さん。デザイナーから海女となり、元アマチュアサーファーとして全日本サーフィン選手権出場、そして海中パフォーマーでもある鈴木さんに、エネルギッシュな挑戦と海女についての話を聞いてみたいと思います。

海女の一日

白浜の海の目の前に自宅を構える鈴木さん。訪問するとさっそく今年2015年庭に建てた海女小屋、そして漁に出るまでの通勤路を案内してくれました。

“大体7:30過ぎにその日、漁ができるかを知らせる旗を見に行くんです。旗が挙がってなければOKで、朝食を食べて準備をして、9:00前に海士さん達と合流して入水スタート。5、6月はまだ少し寒いので1時間ごとに休憩していますね。15時に漁から上がると一旦自宅で着替えてから漁協に獲れた海産物を売りに行って一日終了って流れです。”

鈴木直美さん

磯漁とはいえ、時には陸から100~200mも泳いで沖に出て、5~10m以上も潜るそうで、もしもの時のために数人のチームになって漁に出ます。お昼の休憩に一旦上がり、この間海中で冷たくなった身を温める場所が海女小屋です。

“海女小屋は漁協が貸し出している小屋から自分達で建てる人まで様々です。私はもともと海女道具を収納する場所がなかったので、思い切って今年大工さんに建ててもらっちゃいました!昔はここでみんなスッポンポンだったみたいですが、私はちゃんと着てますよ!サウナスーツ(笑)”

そんな冗談を交えながら始終楽しそうに話を聞かせてくれる鈴木さんは、8年前に白浜に移住するまでは、商業スペースやグラフィックを手掛けるデザイナー。どうして海女の世界に身を置いたのか、また移住者が海女になれるのか?など聞いてみたいことばかりですが、まずは海女になったきっかけについて伺ってみました。

今年自宅の庭に建てた海女小屋

今年自宅の庭に建てた海女小屋

イルカとの出会い

撮影:酒井由紀代

撮影:酒井由紀代

“一番大きかった出来事は、伊豆七島御蔵島で触れ合ったイルカ達だと思います。私は小さい頃から動物、特に海洋哺乳類が大好きで、イルカと泳ぎたいという強い夢がありました。デザインの仕事も安定してきた頃、ふとこの夢を思い出して島を訪れ、イルカと泳いだ時、何か本能的なものを感じたんです。”

デザイナー業に勤しんでいたある日、鈴木さんは何年か前に保管していた新聞の切り抜きを棚から見つけました。「伊豆七島でイルカと泳ぐことができる…」。この切り抜きを便りに訪れた御蔵島で今でも忘れることのできない印象的なシーンに出会うことに。

“2004年4月その日は雲ひとつない晴天で海も穏やか、最高のコンディションでした。透き通った海の中でイルカが遊んでいるところに船で近づいて、飛び込みます。すると、なんとイルカの群生が私を取り囲んで目を見つめながら、海の底へと誘うのです。彼らの美しい姿と深遠な海の底、私にもっと潜る力があれば…。この記憶が脳裏に焼き付けられてしまったのですね。”

撮影:酒井由紀代

撮影:酒井由紀代

イルカ達の語りかけるような目から何かの意味を感じとった鈴木さんは、東京に戻ってからすぐに東京辰巳国際競泳場に通い、ダイビングプールで深く潜る練習を始めるようになりました。

海の中で仕事をしたい

撮影:酒井由紀代

撮影:酒井由紀代

鈴木さんと海とはこれ以前から深い関係があります。幼少時からスポーツに才覚を現し器械体操で数々の賞を受賞していた中学生の時に降りかかった左足の事故。競技を続けられなくなった鈴木さんを救ったのがサーフィンでした。

“生活を切り詰めて夏は日本、冬は南半球で練習の日々に明け暮れた20代、プロになりたかったわけではないのですが、納得のいくまでサーフィンを究めたかったんですよね。一応そこそこ良いとこまでいったんですよ(笑)。とはいえサーフィン人生に終止符を打ってデジタル社会のデザインの仕事、パソコン利用を一から始める中で、やっぱりどこかで海を求めていたんでしょうね。”

サーフィン

高校時代にサーフィンを始め、デザイン学校を卒業後に一旦は就職するものの、再び生活の全てをサーフィンに注ぎ込み、数々の大会で成績を残す鈴木さんの挑戦心はその後も健在。デザイン事務所を一から立ち上げて、どんな仕事でもこなし、一日20時間は苦も無く働く日々を突き進みました。この半生の中でイルカとの出会いは、こよなく愛する海との再会でもあったのです。

“競泳場に通って、潜るのが不自由無く楽になって来た時に、これが仕事にならないかな?とふと思ったんですね。潜る仕事、潜る仕事…、あ!海女だ!!(笑)って。以前サーフィンで通っていた南房総で知った海女さん。こんなタイミングで思い出すとは…ほんと人生何がどう繋がるかわからないものですよね。やっぱり南房総なんだ!”

競泳場にて潜る練習・撮影:秋本哲志

競泳場にて潜る練習
撮影:秋本哲志

海女になるために一軒家を購入

海に潜ることを仕事にしようと鈴木さんが思いついたのが海女という職業。しかし、他の職種と比べて、どうやったらなれるのか、当の鈴木さんも全く見当が付かなかったと言います。

“何を調べていいのかわからないので、白浜の漁協に直接「すいません、海女になりたいんですが?」って伺ったら笑われましたね(笑)。それで聞いてみると、まずは潜る地区で3年は住んで、その地区の海女さんにOKのサインをもらわなければならない、とまぁ色々と壁があることを知りました。え~これじゃすぐに海女になれない~!って当たり前か(笑)。”

日本では漁業権が法律で定められており、一般の人が無断で漁をするのを禁止することで、乱獲で資源が枯渇することを防止したり、漁業で生計を立てている人の生活を守っています。この漁業権は各地の漁業協同組合のもとに管理されており、その地域の漁協から漁業権を取得することが出来ますが、取得にあたっては審査があり、取得希望者がその地域で実体的に生活し人間関係を築いていることも問われるとのことです。

出漁中の鈴木さん

出漁中の鈴木さん

“それでも移住して3年も待てませんし、引っ越したら仕事も減ります。どうしたらいいんだろう~と色んな人に話を聞きに行きました。そこでわかったのは、結局は誠意なんじゃないかと。軽い気持ちの人には漁業権出せませんよ、というならば、それでは、家を買ったらどうか?って思ったんです。身銭をはたいて家を買う覚悟を見せたら少しは早く漁業権もらえるのではないかと(笑)。”

漁業権取得にあたっては地域の信頼が第一。鈴木さんはなんと、デザインの仕事で稼いだ資金をつぎ込み、家を購入するという大胆な手段に出ました。しかも、これが功を奏したのか、2007年に移住、9月に家を購入してから約一年半後という異例の短期間で、漁業権を獲得することができたのです。

自宅前にて漁果撮影

自宅前にて漁果撮影

日本女性最古の職業「海女」を伝えたい

白浜海女まつり 手に松明(たいまつ)を持って夜の海を泳ぐ「海女の夜泳」がクライマックス

白浜海女まつり 手に松明(たいまつ)を持って夜の海を泳ぐ「海女の夜泳」がクライマックス

2015年今年で海女になって7年になるという鈴木さんは、毎年7月に開催される「海女まつり」への参加はじめ、学術研究やメディアへの露出も積極的に受け入れています。

“海女の仕事を始めてわかったことは、海女が日本の女性最古の職業だということです。身体一つでボンベも使わず海に入って漁をする。こんな原始的で自然な仕事他にないですよね。機械化や効率化が進む現代だからこそ、このずっと昔から続いてきた仕事を伝えていきたいと思います。”

NHK連続テレビ小説『あまちゃん』では水中シーンを担当

NHK連続テレビ小説『あまちゃん』
では水中シーンを担当

高齢化により担い手不足も切実な課題となってきている海女の未来。一般の人にとっては漁業権の制約もあり、なかなかうかがい知れない世界ですが、今後も古来からの伝統業を次世代に継承するために多くの人々へ発信を続けていってほしいと思います。

文:東 洋平