ローカルニッポン

祖父母が続けてきたこうじ屋を継ぎ伝統的な製法を次世代へ/及川涼介さん


味噌、醤油、酢など日本料理には欠かせない調味料の数々。こうじ(麹/糀)という微生物の働きによって発酵作用が起こり、味わいの増していく伝統的な食品です。日本には昔から地域に多くの「こうじ屋」があり、こうじを仕入れて自宅で味噌や醤油が造られてきました。近年、味噌や醤油は造るものではなく買うものとなり、また食生活の変化から味噌や醤油の消費量も減ったため、「こうじ屋」が急速に姿を消しつつありますが、千葉県鴨川市大里では明治初期から続けられてきた糀店を継ぐ若者が日夜修業を積んでいます。及川涼介さんの志と将来の展望をご紹介したいと思います。

明治時代創業の芝山糀店

及川さんが家業を継ぐことを決意した芝山糀店は、母方の祖父が亡くなった後、祖母芝山博子さんによって細々と続けられてきた明治時代創業の米を原料とする糀業者(米だけでなく麦や大豆も原料とするこうじ一般は「麹」)。後継ぎもなく先行きは廃業を考えていたところ、4年前に孫の及川さんが千葉県佐倉市から鴨川市へ移住してきました。

“それは驚きでしたよぉ。長いこと期待もしてなかったですし、3人の孫のうち一番あとに生まれた涼介が?って(笑)。ただ、こうじ業だけでは食べていけないですし、嬉しい反面、孫の将来のことを考えると心配もあります。今や南房総のこうじ屋さんも残り3軒ほどかしら。昔は鴨川だけでも10数軒の店があったのですがねぇ。”

芝山博子さん

芝山博子さん

こうじ業者の役割は、こうじを製造して販売するだけでなく、農家が持ちこんだ大豆や米を使って、その農家の味噌や醤油造りを受託すること。昔はほとんどの家庭が毎日味噌汁を食べていたため、地域内に何軒ものこうじ業者が存在していました。味噌や醤油の消費量が減り向かい風の中、及川さんはなぜ家業を継ぐ決心をしたのでしょうか。

店を訪れたお客さんの一言から

“思い出せば、幼い頃から鴨川に家族で遊びに来ては室(むろ)で、糀を造っているところを手伝うのが好きでした。その後小学生の時に、店を訪れたお客さんが「この代で終わってしまうのは寂しいわね」とポロっと言ったのを横で聞いていたんです。この時に、愛されてきた祖父や祖母の続けた芝山糀店の味を終わらせてはいけないという思いが湧き上がりまして。当初高校へ行かずに鴨川で修業を積みたいと駄々をこねたこともありました。(笑)”

及川涼介さんと芝山博子さん

及川さんが糀店を継ごうと思った発端は、偶然鴨川の祖父母の家に滞在していた時にお客さんから聞いた一言から。千葉県の四街道市から車で1時間以上の時間をかけ味噌を買いに来たお客さんが、後継ぎがいないことを嘆く場面に遭遇しました。この時、遠くに住む人にまで愛されて、代々受け継がれてきた先祖の味を誇りに思い、同時に絶やしてはならないとの決意が芽生え始めたのです。

専門の大学で醸造を学び、いざこうじ業へ

“高校卒業後、主に味噌や醤油、酒について学ぶことができる東京農業大学の短期大学部醸造学科へ入学しました。祖母の薦めで食品科学科へ編入して結局4年間大学に通うことになりましたが、食品全般について学ぶことも今思えば必要なことだったと思います。その後晴れて卒業とともに鴨川に移住し、現在は祖母に指導してもらいながらこうじ業の修業を行っている最中です。”

地域の集まりにてこうじ菌や醸造について講義する及川さん Photo by 吉野善三郎

地域の集まりにてこうじ菌や醸造について講義する及川さん Photo by 吉野善三郎

こうじ(麹/糀)は無数に存在する微生物の一つで、こうじ菌の酵素が味噌や醤油などの発酵食品を生み出します。醸造学を学び、例えば味噌の原料となる大豆を分解するプロテアーゼという酵素や、酒の原料となる米を分解するアミラーゼという酵素について、キラキラした目で楽しそうに語る及川さん。目指したこうじ業者は天職だったようです。こうして4年前から芝山糀店にて祖母のもとで修行する及川さんに将来の目標について聞いてみました。

移住してからの出会いと探究

“実は、鴨川に来たらいずれは醤油を醸造したいなぁと思っていたのです。すると驚いたことに、引っ越してすぐに南房総地域内の手づくりで醤油を造る方々と出会って、早速醤油用の麹を造ることになりました。麹は生き物なので、長時間の輸送中には活発に活動して熱を発します。そのため麹を最良の状態で使うためには地域内でできた麹をすぐに使った方がよく、味にも反映してくるのです。できる限り、こうした地域内の要望に応えられたらいいですね。”

幅広い原料で醤油麹の仕込みを実験中。(左から醤油麹、米醤油麹、裸麦醤油麹)

幅広い原料で醤油麹の仕込みを実験中。(左から醤油麹、米醤油麹、裸麦醤油麹)

南房総で自家用醤油を作る人々は、蒸した大豆と炒った小麦を種麹と混ぜた「醤油麹」を他の地域から仕入れて手づくり醤油を製造してきましたが、麹の専門家である及川さんが移住してきたことで、醤油麹を地域内で自給することへの期待が高まっています。問題は南房総では収穫期が梅雨となり、乾燥の難しい小麦を生産すること。この解決策として及川さんが試しているのは、麦ではなく米を使った醤油造りです。昨年から仕込みを始め、麦からできる醤油に負けない美味しさを引き出していこうと日々改良策を練っています。

伝統的な製法の素晴らしさを見極める

“何より大事にしたいことは、昔ながら受け継がれてきた伝統的な製法です。蒸した米を「ムシロ」という藁で編んだ敷物の上に広げて、種麹と混ぜ合わせ、木箱で寝かせます。今では殺菌されたステンレスの機械で造られることの多い工程ですが、僕は「ムシロ」を使うことでこうじが米の中に入りこみやすいと考えています。こうした古来の製法と科学的な成果を応用して、良質なこうじを造っていくことが大切だと思っています。”

ムシロの上で炒った麦と蒸した大豆を混ぜ合わせる

ムシロの上で炒った麦と
蒸した大豆を混ぜ合わせる

曽祖父自慢の石室の中で糀の製造方法を語る及川さん

曽祖父自慢の石室の中で糀の製造方法を語る及川さん

明治時代に創業した芝山糀店には、江戸時代に作られた道具や曽祖父が自慢にしていた石室(いしむろ)が現存しています。大量生産に向かう過程でこうじの管理や生産の効率化が進み、現代では珍しい道具や建物ではありますが、微生物の繁殖環境を学んできた及川さんにとっては、現在では忘れ去られた技や知恵が細部に見受けられるということ。

本物の味噌や甘酒の味を感じてほしい

“そして、いつか本来の甘酒の味や糀を使った料理やスイーツが楽しめるカフェをやれたらなぁと建物を地道に改修しています。甘酒って「酒」という文字が入っているからか酒粕を使ったものと勘違いしている人も多いのですが、実はこうじにお湯を加えて一晩置かせた飲み物なんです。ブドウ糖をはじめ、ビタミンや必須アミノ酸の含有量が高く「飲む点滴」とさえ言われているんですよ。また我が家の味噌は木樽仕込みの天然醸造で発酵を止めません。発酵がなせる健康食品として本物の味を楽しんで頂けるよう精進していきたいと思います。”

味噌を醸造する木樽

味噌を醸造する木樽

小学生の時に家業を継ごうと思い立ち、目標に向かって脇目も振らず前進を続けてきた及川涼介さん。ようやく辿り着いたこうじ業者の次期経営者として、今後どのような製品や事業を具現化していくか思考錯誤の連続のようですが、地域にとっては日々の食事の基本となる味噌や醤油という発酵調味料を生み出すための数少ない職人。専門的な知識を携えて、及川さんが繰り広げようとしている温故知新の麹造りをこれからも注目し、応援していきたいと思います。

文:東 洋平