ローカルニッポン

里山の暮らしと生物多様性/高知県梼原町(ゆすはらちょう)


高知の中心地から梼原町へは、車で90分。県西部の港町、須崎市から国道197号線を走ると、50分程で雲の上の町梼原の玄関口に到着します。その道もかつては道幅が狭く、いくつもの峠を越えなければならない過酷な道で、人々から酷道行くな(197)線とも呼ばれていました。そんな外部との往来も不便な土地柄だからこそ、この地で共に生きる全ての命を取り込んだ持続可能なコミュニティを必然的に作り上げ、その中での生活を続けてきたのです。その様子は、日本の原風景とも言える里山の姿そのもの。今回は、高知の里山「梼原」の人々の暮らしと多様な生き物たちの関係性について、移住者でもある私たちゆすはら応援隊目線でお話していきたいと思います。

山の恵み

山の恵み

江戸時代にはすでに紙の原料となる楮や三又が特産物として幕府に献上され、戦後の経済成長期には林野庁の営林署が置かれるなど、古くから山林は梼原の人々の稼ぎの場でした。今では原木椎茸の栽培も盛んに行われています。また、雑木を薪にしたり山中に炭窯を作って炭を焼いたりと「生活の場」でもありました。遠い昔から住民たちの大切な「生活の場」であり「仕事場」でもあった山々は、手を入れ、守られてきました。

私設の自然植物園「百一草園」を営む中平勝也さんは、梼原に自生する山野草の観察、保護、収集などを行っています。実は、ここ梼原は、全国的にも今ではなかなか見られなくなったような固有種も多く自生している宝の山なのだそうです。観察を続けていくうちに、これまで高知県には分布しないとされていた植物が梼原の山林で見つかるなど、予想外の発見があり面白いと中平さんはいいます。また、近年牧野植物園が行った調査では、日本固有のタンポポとスミレの種類が高知県内で1、2を争うほど多いということも分かりました。

山の恵み

棚田オーナー制度

ここ梼原は棚田オーナー制度発祥の地でもあります。1992年に全国に先駆けてこの制度が始まり、1995年には神在居集落の千枚田で全国棚田サミットが開かれました。今でも町内の3集落で、2つの団体がオーナーの受け入れを行っています。棚田オーナー制度とは、オーナーとして地主さんから借り受けた田んぼで田植えや稲刈りなどの作業を行い、その区画で収穫したお米を貰うことができる仕組みです。オーナーには、申し込めば誰でもなることができます。

棚田オーナー制度

この制度の目的は、大きく2つあります。梼原の地主さんとオーナーとして参加した町外の方の交流と、田んぼを守ることです。お米は日本人の大切な主食ですが、その消費量は年々減少しており、それに伴う減反、更には農業従事者の高齢化などから作付面積も減り、日本の田んぼは大きな危機に瀕しています。その周辺は動植物の宝庫で、田んぼが失われることによって住みかを失う生き物も多くいます。オーナー制度によって、田んぼに関わる人の多様性と、田んぼに生息する命の多様性が二重に保たれているのです。

タヌキの油

タヌキの油

高知県の山間部には「タヌキの油」といって、傷ややけどに塗ってよし、熱など体の不調には飲んでもよし言われている魔法のような民間療法があります。名前の通り寒冷期のタヌキの皮下脂肪を集め、煮詰めて作っただけのシンプルなものですが、梼原でも何かにつけて「タヌキの油塗りゃあすぐ治るわ」「タヌキの油飲んだらえいわ」と言われるくらい絶大な支持を得ているのです。もっとも、服用に関してはグリスと獣が混ざったような独特の臭いに、抵抗がある方も多いようですが。その効能についての科学的な根拠は分かりませんが、今のように医療が発達していなかった頃の知恵が、今でも生活の中に生きています。町内で生活していると鳥獣の解体現場に遭遇することもあり、我々は命を頂き生かされているのだということを、度が過ぎる程のリアルさをもって実感させられます。

虫送りと虫の知らせ

虫送りと虫の知らせ

虫送りは初夏の伝統行事として、梼原町四万川地区の3つの集落で今も行われています。毎年大祓の前日の6月29日の夜と決まっていて、太鼓や鉦をたたきながら念仏を唱え、竹の松明を持って集落の境から境までねり歩きます。元々は田畑の病害虫を駆除し、五穀豊穣を願うための呪術的な意味を持つ行事でした。こういった行事が脈々と受け継がれているのは、今も身近なところに、多種多様な虫の存在があるからだと言えるでしょう。

また梼原の人は、天気の話をよくします。その中には「雪虫が飛びだしたき、そろそろ雪が降るかねぇ」「アブが増えたけぇもうすぐナガセ(梅雨)が明けるぞ」といった虫にまつわるものも多く、生き物たちの動きから季節や気候の変化を敏感に読み取りながら暮らしている人の多さに驚かされます。

都市部で生活していると、我々人間も自然のサイクルの一部だということを認識するきっかけが少なくなってしまいがちですが、ここではそれを否応なしに感じさせられます。季節の移ろいに合わせ、種を播いたり山菜を摘んだり野菜を干したり…といったことが当たり前に行われている中で暮らしていると、その感覚が自分にも宿ってくるような気がしてきます。時には豪雨による道路の崩落や停電など、災害による自然の驚異を思い知らされることもありますが、柔軟に受け入れ地道に復旧していく姿は、人々がこの地に根を張って生きている証の様に感じます。そして梼原の人々が我々移住者を優しく受け入れてくれるのは、多様性に満ちたコミュニティで生きているからこそではないかとも感じます。豊かな生物の多様性を残しながらも、人の流れもますます多様性を増し、変化を続けていく町梼原。いつまでも、梼原が梼原らしくあるために、我々応援隊も、その一翼を担っていけたらと思います。

文:ゆすはら応援隊 西山璃美