ローカルニッポン

漁業振興に新たな兆し―新規就漁した若手漁師2人の挑戦とは

書き手:東洋平
千葉県館山市在住のライター。2011年都内の大学卒業後に未就職で移住する。イベントの企画や無農薬の米作りなど地域活動を実践しつつ、ライターとして独立。Think Global, Act Localがモットー。

漁師になりたいと思ったこと、ありますか?夜明け前に出漁し、多くの人が家を出る頃には漁を終えて漁港に戻り、次の日の準備を進める漁師の仕事。場所や時間帯が異なるため、現場を見ることはそう身近にありませんが、大海原で日の出と共に漁に立ち向かう姿に憧れを抱く人も少なくないはず。農業と同様に担い手不足も続く漁業ですが、今回は南房総で新規就漁した2人の若手漁師が挑む漁業振興策から、漁業という仕事や暮らしをお伝えしたいと思います。

26歳で異例の抜擢を受けた漁労長

まずご紹介するのは千葉県鴨川市和泉(いずみ)出身の和田謙太郎さん(36)。和田さんは高校時代に漁師になることを決め、18歳で新規就漁。その後26歳という若さで千葉県南房総市和田町にある(株)庄司政吉商店定置網部の漁労長として16人の船団をまとめる立場へ抜擢されました。

新定置網の設計図を広げる和田謙太郎さん

新定置網の設計図を広げる和田謙太郎さん

“小さい頃から地元の海が大好きで、海で仕事したかったんです。親の知り合いに漁師がいましたが、特に漁に出たこともなく全くの新規就漁でした。しかし、いざやってみて漁業が本当に面白くて、仕事が終わってから遊びにも行かず、毎日漁のことばかり考えていました(笑)。海のこと、網のこと、魚のこと、次々と覚えることはありましたけど、誰にも負けたくない思いで、自然と身に付いていきました。そんなことで、入社当時は60代の先輩ばかりでしたが、世代交代という時期に漁労長を任されたのかと思います。”

提案してきた新定置網が完成間近

書きためたノートは数十冊にのぼる

書きためたノートは数十冊にのぼる

定置網漁とは、その名の通り定めた位置で海中に設置された網に回遊する魚を誘いこんで漁獲する漁法。68歳だった前漁労長からバトンを渡された和田さんは年上の漁師も多い中、ひるむことなく定置網漁への更なる探求を進め、10年目となる今年の11月、一大事業が節目を迎えました。

“定置網は一度設置したら動かせないので、良いポイントに張れるかがまず大事です。今設置している定置網は平成元年に完成したものなのですが、日々海を観察しているうちに少しずつ潮や魚の流れが変化していることに気づいたのですね。それで3年ほど前から現行の網より少し陸側に新しい定置網を張るべきだと提案してきたのですが、数億円もかかる事業です。もちろん簡単には通りません。”

定置網にかかった魚を漁獲する瞬間(右:和田謙太郎さん)  写真提供:西野嘉憲

定置網にかかった魚を漁獲する瞬間(右:和田謙太郎さん)  写真提供:西野嘉憲

“しかし諦めずに海中の調査を続けてデータをとって、網についても業者と交渉を続けてきた末に、今年の1月会社からGOサインが出たんです。感無量でした。それから急ピッチで設置工事を進め、実は網の土台作りがちょうど今日終わりましてね。ここ数年漁獲量が減っていたこともあって、この新しい定置網で安定した水揚げができることを願っています。”

今回設置する定置網は、漁港から船で15分ほどの沖にあり、水深27mで周囲の網の長さが800m。荒波や台風時にも網が流されないように、500キロの錨(いかり)を2120個海底に落とす土台作りが終了したとのこと。

漁師の暮らしと希望者ニーズの変化

冬場は5:30頃漁港を出て網に向かい、8:45頃に始まる漁港での入札に間に合うように帰港して漁獲物を魚種やサイズで分別し、業者の入札中に朝ご飯。その後は網の修繕や次の日の準備をしますが、(株)庄司政吉商店定置部では基本的に労働時間は7時間と定められています。

和田漁港で漁獲した魚を選別する(株)庄司政吉商店定置部の皆さん(手前:和田謙太郎さん) 写真提供:西野嘉憲

和田漁港で漁獲した魚を選別する(株)庄司政吉商店定置部の皆さん(手前:和田謙太郎さん) 写真提供:西野嘉憲

“大体冬場で13時、夏場は11時ごろ仕事が終わるので、午後は目一杯時間があります(笑)。娘が幼稚園に通っていた時は、いつも自分が迎えに行けるほど家族の時間を大切にできます。休みは月に2回と少ないですが、日々獲れる魚や海の状態も変わるため、毎日新しいところが漁師の醍醐味だと思います。その日の魚で料理長が作ってくれる朝飯も格別です。最近は東京で勤めていた会社員の方が転職するケースや若者も増えてきました。漁業の面白さをより多くの人に知ってもらいたいですね。”

漁労長である和田さんは、入社希望者の採用も担当しており、ここ数年異業種からの転職が増えていることについて「収入が多少減っても、自分らしい生き方をしたい人が増えているのではないか」と語ります。仕事内容だけでなく、余暇の時間や暮らしと言った観点からも漁業が見直されていることは興味深いところです。

幼少期に体験したエビ網漁をきっかけに

森川良徳さん

森川良徳さん

次にご紹介するのは千葉県勝浦市で、沿岸小型船漁業と海士を営む森川良徳さん(37)。森川さんは千葉県千葉市で生まれ育ちましたが、すでに中学生の時には漁師になることを志していました。

“父親が釣り好きで、よく外房の釣り船に連れていってもらっていました。ある日行きつけの釣り船の船長がイセエビの漁に出るから一緒にいくかい?と誘ってくれて、朝2:30頃に船に乗り込んでエビ網漁に同行させてもらった時のことです。数え切れないほどのイセエビが水揚げされる強烈な光景を目の当たりにしました。その時の興奮と漁師の姿への憧れが記憶に刻まれ、いつしか漁師になりたいと思うようになったのです。”

完全歩合の小型船漁業で新規就漁

千葉県内で漁業関係のカリキュラムのある高校のうち、勝浦高校へ入学した森川さんは勝浦市で一人暮らしを始め、栽培漁業コースを選択して3年間の履修を終えました。どのようにして新規就漁したのでしょうか。

“漁業関係の勉強をしたからといって現場仕事は未経験なので、最初はどんな漁業をするか悩みましたね。カツオ漁が有名な勝浦市で、カツオを釣る大型船の会社は就職しやすく固定給もあったのですが、一度体験してみてどこか違ったんです。そこで行きついたのが小型船漁業でした。小型船漁業は、はえ縄、立て縄、曳縄、エビ漁の刺網など数多くの漁法を駆使してキンメダイやカジキ、マグロを中心に様々な魚種を漁獲します。何よりイセエビ漁での記憶がどうしても忘れられなかったんですね。”

親方と2人で運営する漁船「妙法丸」 夜明け前に漁に出て9:30に漁港で水揚げが終わり、港に船をつける森川さん

親方と2人で運営する漁船「妙法丸」 夜明け前に漁に出て9:30に漁港で水揚げが終わり、港に船をつける森川さん

“とはいえ、小型船漁業はそもそも乗組員2人~5人ほどで家族や親戚で運営しているところが多く、自分のような移住者で新規就漁を受け入れてくれるところがあるか心配でした。すると当時の組合長が組合全体に話をかけてくれて、今の「妙法丸」を紹介してもらえたんです。漁獲量は安定しない上に収入は完全歩合、仕事もきつい、それでもやるか?と聞かれて「乗せてください」と一言応え、漁師の仕事がスタートしました。”

サメを有効活用する事例で全国大会へ

来年就漁して20年目を迎える森川さんですが、今年11月に開かれた「千葉県水産業青壮年女性活動実績発表大会」において、サメを資源利用する活動の発表で優秀賞を受賞して、3月開催予定の全国大会に進むことになりました。

千葉県水産業青壮年女性活動実績発表大会にて発表する森川さん

千葉県水産業青壮年女性活動実績発表大会にて発表する森川さん

“勝浦の沿岸小型船漁業の主力はキンメダイです。この地域では独自に7月~9月の産卵期に禁漁期間をもうけ、乱獲を防ぐなど資源の管理に取り組んできました。しかし最近問題となっていたのが、サメの被害。操業中に仕掛けを壊されたり、食害を受けたりと年々深刻化し、漁師達は漁のシーズンになると、組合全体でサメを駆除する日をもうけるなど対策を行ってきたわけです。サメは頭のよい魚種なので、一度漁獲を行うとその海域での被害が減ることが知られています。”

“しかしサメも漁獲する限りは「海の恵み」であり、昭和初期には地元勝浦でも水揚げし、築地などに出荷していたこともわかってきました。そこでサメが食材として利用できそうか勝浦水産事務所はじめ、色々な方の意見を聞いて取り組みが始まったのが、サメ料理と加工品開発です。サメ料理については去年「勝浦風カツオ漬け丼」で第3回Fish-1グランプリを獲得した地元の漁協女性部の皆さんに6種類のレシピを作ってもらうなど、漁業関係者や行政の協力を受けて食育とともに活用の幅が広がっています。”

アオザメでレシピを開発する漁業女性部の皆さん 写真提供:勝浦水産事務所

アオザメでレシピを開発する漁業女性部の皆さん 写真提供:勝浦水産事務所

和田さんが定置網漁をする南房総市和田町は、全国で4か所しかない捕鯨の伝統も根強く残る漁師町。そして森川さんが小型船漁業を営む勝浦市は千葉県内有数の水揚量を誇る漁業が基幹産業となっており、両地域ともに中心的な役割を担う漁業の活性化は他の業種や地域全体の活力へ影響します。漁業従事者の高齢化と減少などが報じられる一方で、お二人のような新規就漁者の挑戦が成功し、新しい担い手の発掘や地方漁業が発展に繋がっていくことを願います。

文:東 洋平